第9話 通行者たち
翌朝、田中は目覚めると同時に昨日の地下室で見た光景を思い出した。無数の看板、消えた名前、黒い柱――それらが何を意味するのか、彼には全く理解できない。しかし、一つだけ確信していることがあった。
「これはただの仕事じゃない……。」
背中の看板に刻まれた名前「川村俊夫」。その名前が何を意味するのかを考えながら、田中はいつものように山道へと向かった。
山道で立つ田中の周囲はいつも通り静寂に包まれていた。しかし、この日はどこか異様だった。風が止み、木々が動かない。空気が重く、森全体が彼を押しつぶそうとしているように感じた。
その時、背後から足音が聞こえてきた。振り返ると、霧の中から一人の中年男性が歩いてきた。黒いコートを着たその男は無表情で、どこか虚ろな目をしていた。
田中は息を飲みながら、声をかけた。
「川村俊夫さん……ですか?」
男は田中を一瞥し、無言のまま看板を見つめた。そして、静かに口を開いた。
「そうだ……私だ。」
その声には深い疲労と諦めが滲んでいた。男は田中に背を向けると、ゆっくりと山道の奥へ歩き出した。田中は追いかけようとしたが、またしても体が動かない。看板が彼をその場に縛り付けているようだった。
「待ってください! あなたはどこへ行くんですか?」
田中の声に反応することなく、男は霧の中へと消えていった。田中は立ち尽くしながら、胸の奥に深い不安を感じた。
夕方、小屋に戻った田中は、看板を壁に立てかけた。そしてまた新たな文字が浮かび上がっているのを目にした。
「三人目、門を通過。」
田中は深いため息をついた。この看板を背負って立つことが「門を通過する者」を導く役割だということが少しずつ明らかになりつつあった。だが、それがどういう意味を持つのかは未だに分からない。
その夜、田中は再び夢を見た。暗闇の中、巨大な門がゆっくりと開かれ、奥から無数の影が現れる。そして、その影の一つが田中に近づき、低い声で囁いた。
「次に導く者は……近い。」
田中は目を覚ました。額には冷たい汗が滲み、心臓が激しく鼓動している。看板を恐る恐る見つめると、そこにはまた新たな名前が浮かび上がっていた。
「藤本美代子」
田中はその名前を見つめながら、深い不安に飲み込まれていった。導く者たちは一体どこへ向かっているのか? そして、その先に何があるのか?
次の日が来ることが怖い。だが、契約に縛られた彼には逃げ出す術がなかった。
(第9話 終)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます