第8話 地下室の扉
田中はまた眠れぬ夜を過ごした。森の視線の感覚、看板に浮かぶ名前、そして門を通り抜ける「客」たち。すべてが恐ろしく、謎に包まれていた。自分が一体何に巻き込まれているのか、まるで分からない。
朝を迎えたものの、疲労感は一層強まっていた。いつものように看板を背負い、山道へ向かう準備をする。しかし、その日、彼はある異変に気づいた。
音がする。
小屋の奥から、微かだが確かに響く音――何かが擦れるような音が聞こえてきた。田中は背筋を凍らせながら音の方へ歩み寄った。音の出どころは、小屋の床だった。古びた木の床板がわずかに揺れている。
「ここ……何かあるのか?」
彼は慎重に床板を調べた。板の端を手で押し上げると、隠された扉が現れた。錆びた金具で固定されていたが、力を入れると簡単に外れた。
扉の下には暗い空間が広がっている。地下室だ。
田中は躊躇しながらも、手近な懐中電灯を掴み、地下室へ降りていった。湿った空気が鼻を刺し、古い木材の匂いが漂っている。階段を下りきると、彼の視界に驚くべき光景が飛び込んできた。
地下室の中には、無数の看板が立てかけられていた。どれも古びており、表面には名前が刻まれている。それは田中が今まで見たことのない名前ばかりだった。
「山田太一」「西川涼子」「坂井誠」……
田中は息を呑んだ。この看板は一体何なのか? そして、これらの名前は誰のものなのか?
さらに奥へと進むと、床に積まれた古い紙の束を見つけた。それは過去の契約書だった。どれも内容は田中が交わした契約と同じだが、日付は何十年も前のものばかりだった。
「全員……消えている?」
田中はその意味に気づき、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。契約書の名前の持ち主たちは、全員がどこかへ「送られた」のだ。
田中はさらに地下室を調べ続けた。奥には大きな黒い柱が立っており、その表面には無数の奇妙な文字が刻まれていた。まるで異世界の言語のようだったが、不思議なことにその意味が頭の中に直接響いてきた。
「門の鍵は選ばれし者。お前はその一部である。」
柱を見つめていると、田中の頭にまた映像が流れ込んだ。門の奥に進む「客」たち。その背後には田中自身が立っている。彼の背中には看板があり、それが門を開く鍵となっているように見えた。
田中は叫び声を上げ、柱から離れた。
小屋に戻った田中は疲れ果てていた。看板を壁に立てかけ、無意識にその表面を見た。そこには、また新たな名前が浮かび上がっていた。
「川村俊夫」
田中は看板から目をそらし、震える手で顔を覆った。この仕事には確実に「終わり」がある。しかし、それが自分にとってどのような形で訪れるのか、まだわからない。
その夜、田中は再び鏡を見つめる夢を見た。鏡の中には無数の人影が映っており、その全員が田中をじっと見つめていた。
「次はお前だ。」
低い声が頭の中で響いた瞬間、彼は目を覚ました。部屋の中には、看板が微かに光を放っていた。
(第8話 終)
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