第5話 鏡の中の誰か

田中は不安な眠りから目覚めた。昨夜見た夢――暗闇に浮かぶ巨大な門と無数の目。その不気味な光景が頭から離れない。彼は胸に重いものを抱えながら、いつものように看板を背負い山道へと向かった。


山道は相変わらず静かで、風が木々を揺らす音以外には何も聞こえない。昨日現れた老人や、最初の日に見た男の姿はなかった。しかし、田中の中には常に「見られている」という感覚が付きまとっていた。


昼を過ぎても何も起こらない。ただ時間が過ぎるだけだ。田中は看板を下ろし、石に腰をかけた。じっと看板を見つめる。


「お前は一体なんなんだ?」


そう呟いた瞬間、背中に冷たい視線を感じた。慌てて振り返るが、そこには誰もいない。ただ風が吹き抜けるだけだった。


夕方、小屋に戻った田中は、また一日が終わったことに安堵するはずだった。しかし、今夜は違っていた。彼は小屋に入ると、無意識に壁に掛けられた古びた鏡を見つめた。


その鏡はずっと小屋にあったが、これまでほとんど気にしたことがなかった。しかし、今日はなぜかその鏡が気になった。ぼんやりと自分の顔が映る。疲れた顔。やつれた目。それを見つめながら、ふと気づいた。


自分の背後に、もう一人の人影が映っている。


田中は反射的に振り返った。だが、背後には誰もいない。急いで鏡を見ると、確かに影がそこに映っている。それは黒いシルエットで、顔や服装の詳細はまったくわからない。ただ、田中をじっと見つめている。


「なんだ……お前は……!」


田中は叫んで鏡を叩いた。すると、その影はまるで溶けるように消えた。しかし鏡の表面には、何かが書かれている。


「次に来る者を迎えよ。」


文字は、田中が見ている間に少しずつ消えていき、跡形もなくなった。彼は震える手で額の汗を拭った。


その夜、田中は眠ることができなかった。鏡の中に現れた影。そしてその文字。それが意味するものを考えると、胸がざわつく。


看板を眺めると、また新たな文字が浮かび上がっていた。


「門は開かれつつある。」


その言葉を見た瞬間、田中の頭の中にまたしてもイメージが流れ込んだ。今度はあの門の奥――そこには捻じれた空間が広がり、無数の影が田中を見上げていた。そしてその中に、鏡に映った黒いシルエットが混じっていた。


「……もう無理だ……。」


田中はその場に座り込み、頭を抱えた。しかし、ここから逃げることはできない。契約は絶対だった。逃げ出せばどうなるのか、考えるだけで恐ろしかった。


翌朝、田中は鏡を避けるようにして小屋を出た。看板を背負い、また山道へ向かう。そしてその日、再び奇妙な訪問者が現れることになる。


(第5話 終)

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