第4話 最初の「客」

翌朝、田中は疲れ切った顔で目を覚ました。昨夜の不安な気配は消えていたが、胸の奥に広がる不快感は拭えない。外を見ると、森に霧が立ち込め、まるで世界全体が霞んでいるようだった。


いつものように看板を背負い、山道へ向かう。すでに「意味のない仕事」だとは思っていない。昨日の出来事が、すべての常識を覆してしまった。


昼を過ぎた頃、再び背後に気配を感じた。田中は緊張しながら振り返る。そこに立っていたのは、見知らぬ老人だった。杖をつき、背中を曲げた姿がかすかな風に揺れている。


「……あなたも、ここへ来たのか?」


田中は恐る恐る声をかけたが、老人は返事をしない。代わりに、じっと田中の背負う看板を見つめた。視線が突き刺さるようで、田中は思わず一歩後ずさった。


「その看板、長い間待っていたよ。」


老人は低い声でそう言った。田中は看板を見下ろすが、ただの木板にしか見えない。それでも老人の目には、何か別のものが映っているようだった。


「何のことですか?」


田中が尋ねると、老人は薄く笑った。


「お前はまだ知らないだろう。この看板が持つ役目を。だが、いずれ理解する時が来る。」


老人はそれ以上何も言わず、杖を引きずるように歩き出した。田中は慌てて追いかけようとしたが、霧の中で老人の姿はあっという間に消えてしまった。


田中はその日、終始落ち着かなかった。老人の言葉が頭の中で何度も反響している。


「この看板が持つ役目」


それは何を意味するのか? 普通の広告看板であるはずがない。そう考えている間に、夕方が訪れ、田中は小屋へ戻ることにした。


小屋に戻った田中は、看板を壁に立てかけ、じっとそれを見つめた。どこにでもある古びた木板だ。それなのに、あの老人や昨日の男にとっては特別な意味を持つものらしい。


その夜、田中は看板に触れてみようと思った。手を伸ばし、表面を撫でると、冷たい感触が指先に伝わる。だが、次の瞬間――。


「ザザザ……」


耳元で小さな音がした。まるで砂利を踏むような音。振り返ると、小屋の窓の外に何かが動いた気がした。


「……誰だ?」


田中は声を上げたが、返事はない。再び看板を見ると、そこに文字が浮かび上がっていた。


「迎えられた者、再び帰る。」


文字を見た瞬間、田中の頭に強烈なイメージが流れ込んだ。それは昨日の老人が杖をつきながら、どこかへ向かって歩いていく姿。そして、その先にあるのは、暗闇に浮かぶ巨大な門だった。


田中は目を見開き、呼吸を整えようとした。看板を手放し、椅子に腰を下ろす。頭の中には依然としてあの門のイメージが残っている。


「迎えられた者……帰る?」


この山奥の仕事には、確実に何かが隠されている。そして、田中はその中心に立たされている。だが、すべてを知るにはまだ時間が必要だと感じた。


彼は目を閉じ、深い不安を胸に秘めながら、眠りの中に落ちていった。


その夜、夢の中で田中は再びあの門を目にした。門の奥から、無数の目が彼を見つめていた。


(第4話 終)

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