第2話 夜の訪問者
田中は、夜中に目を覚ました。外から聞こえる足音――それがきっかけだった。
「誰だ?」
小屋の中は静まり返っているが、外では確かに何かが動いている音がする。砂利を踏む軽い足音が、ゆっくりと小屋の周りを回っているようだった。
彼は寝袋から抜け出し、慎重に窓の外を覗いた。しかし、外は深い闇に包まれ、月明かりすらも差し込んでいない。風の音すら聞こえない静寂の中で、その足音だけが妙に際立っていた。
カサリ……カサリ……
「……動物か?」
自分にそう言い聞かせたが、何かがおかしい。足音のテンポが規則的すぎる。まるで人間が意図的に足を運んでいるかのようだ。それでも誰かいるわけがない。こんな山奥に、こんな時間に、人が訪れる理由がない。
田中は恐怖を振り払うように、玄関の扉に手をかけた。外に出て確認しようか迷ったが、結局やめた。もし「何か」がいたら、どうする?
彼は息を潜め、耳を澄ました。その時、不意に足音が止まった。外は再び静寂に包まれる。しかし、それがかえって不気味だった。まるで何者かがこちらを見つめているような、そんな感覚が背中を這い上がる。
「……誰だ……?」
思わず小声で問いかけたその瞬間、窓の外で何かが動いた。影が一瞬、横切ったように見えた。
田中は恐る恐る窓に近づき、外を覗いた。しかし、そこには何もない。ただ森の闇が広がるばかりだった。だが――目を凝らすと、森の奥深く、木々の間に「何か」が立っているように見えた。
それは、ぼんやりとした輪郭だけの存在だった。頭や手足があるようだが、人間の形にしては不自然に歪んでいる。全体が黒く滲んでいて、目を凝らしても詳細が分からない。だが、それがこちらをじっと見つめていることだけは確信できた。
「……立ち続けろ……」
低く掠れた声が、どこからともなく響いた。それは頭の中に直接届くような、不気味な感覚だった。田中は慌てて窓から離れ、扉に鍵をかけた。そして、その声の意味を考えないようにして、寝袋に潜り込んだ。
朝になった頃、田中は結局ほとんど眠れなかった。外は穏やかで、昨夜の不気味な気配はどこにもなかった。しかし、ふと玄関の前に何かが置かれていることに気づいた。
それは、古びた靴だった。泥にまみれたその靴は、大人の男性用のように見えた。だが、不自然に大きい。それに、こんな靴を誰が、何のために――?
田中は靴を拾い上げようとしたが、手が止まった。靴の中に小さな紙切れが挟まれているのを見つけたからだ。
紙には、汚れた文字でこう書かれていた。
「今日も立て。そして待て。」
田中の背筋に冷たいものが走った。靴を置き、家の中に戻ると、昨日の看板に目をやった。昨日は「待つ者あり。立つ者なし」と書かれていたはずの看板には、新たな文字が浮かび上がっていた。
「迎える者あり。立つ者あり。」
田中は看板をじっと見つめ、深い不安に飲み込まれながら今日も仕事の準備を始めた。逃げるわけにはいかない――契約に縛られた身なのだ。
小屋を出て、看板を背負い、山道に立つ。その背後で、また風が不気味に木々を揺らしていた。
(第2話 終)
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