第25話

「うん……?」


 その日の昼食時間。隣のクラスの様子を伺うと、意外なことにクラスメイトに囲まれてる秋川の姿があった。

 呪いの日本人形時代からは考えられない様子だが、――声を聞かないでも表情だけで分かる、お決まりの塩対応だ。


 しかしクラスメイトはめげずに秋川を何かに誘って、――ようやく廊下から私が見てることに気付いたのか、ぺこりと頭を下げると小走りでこちらに近づいてくる。


「お待たせ」

「えっ、良いの? なんか誘われてたみたいだけど」

「別に良いのよ」

「あっそ? ま、あんたが良いなら別に良いけど……」


 秋川と話していた――といっても一方的だろうが――クラスメイトの方をちらりと見ると、目を見開きこちらを見ていた。

 睨まれてる様子もないから、元ド陰キャと隣のクラスの派手めな生徒3人がツルんでることがよほど意外だったのだろう。


「うーわ、こうして見ると変わったねー」


 急にぐいっと近づいてきた愛梨に、秋川が一歩下がる。心の壁が目に見えるようね。


「……あの、あなたは」

「四辻愛梨。隣のクラス」

「そう、……あなたが例の」


 「例のて」とけらけら笑う愛梨は、秋川の塩対応をそこまで気にした様子はない。まぁギャルやってると人に避けられることくらい慣れてるだろうしね。

 いくら偏差値が低い高校とはいえ、愛梨ほどの『誰がどう見てもギャル』はそこまで居ない。私や姫乃みたいに髪をド派手に染めてる生徒は1クラスに数人居るが、黒ギャルは校内全体で見ても片手で数えられる程度だ。


「秋川さん、覚えてる?」

「姫乃さん、ですよね」

「そうそう、名字は?」

「……聞いた記憶はありませんが」


 「そだっけ」と笑う姫乃は、「月舘、だよ」と続けると、秋川が「わかりました」と頷いた。愛梨の時とは随分反応が違って見える。慣れ、かな? 愛梨と違って一緒にランチ食べた仲ではあるしね。


「てかよく知んないんだけど、ひなみとどんな関係なの?」


 明らかに壁貼られてるのをぶち破るように――陰キャにそれは悪手よ愛梨――ぐいと接近して聞かれ、再び秋川は一歩下がる。


「どんな……、と言いますと」

「むかーし仲悪くて、今仲良しなんでしょ? なんかあったん?」

「……いえ特には」

「なかったんかーい。ひなみ的には?」

「え、……そうね、仲直りのエピソード的なのは別にないかも」


 考えてみたけど、なんというか――、誤解が解けただけ、と言えば良いのだろうか。

 仲直りするのに必要だったのは、お互いが一旦スケートから離れることだった。


 一度接点を失って、それでもう一度会ってみたら自分の気持ちに素直になれた――、とか、そんな程度。だから、どちらかが何かをして仲直りしたわけじゃ、たぶんない。

 まぁまだ割とコイツのこと気に食わないけど、自分がスケート出来ないんなら私の夢をこいつに任せるしかない。人として嫌いとか、そんなこと言ってる場合じゃないんだ。


「えー、姫乃的にはー?」

「うんー?」

「恋のキューピッドしたんでしょ?」

「それはしたかもしれないけど」


 しとらんわ。


「……姫乃がしたのは橋渡しでしょ」

「そうそれ。話し合う機会を用意しただけで、別に何かしたわけじゃないかなぁ?」

「えー、つまんない」


 愛梨が不満げに言うと、秋川が明らかに暗い顔で「つまるつまらないの話じゃ……」なんて超小声で呟いた。姫乃には聞こえちゃったみたいで、後ろを振り返るとにたぁと笑う。


「ま、昔色々あったけど今は仲良しってこと分かれば良いんじゃない? ってか個人的にはひなみがあの家に誰か泊めるって結構驚きなんだけど」

「えっ、どうして? 愛梨も姫乃もあたしん泊まったことあるでしょ?」

「あるけど……ねぇ?」


 姫乃は愛梨に同意を求めると、愛梨も「うんうん」と頷く。


「ひなみ結構壁作るタイプじゃん?」


 ん?


「それあるー、結構感じるよねー」


 え?


「……待って、壁とか作ってないけど、てかそれ言い出したら姫乃のが――」


 姫乃は自分の中の何かに絶対触れられないように生きてる――、そう感じるのだ。

 私や愛梨が他の人より姫乃と仲が良い自覚はあるけど、それでも他の人と比べたら、というだけだ。まぁ深読みしすぎてるだけで何も考えてないだけなのかもしれないけど。


「ま、私は誰にでもこんな態度だしね?」


 それを自覚した上で自分のキャラとして生かせてるのは、本当に強い女だよ。


「んじゃさ、からしたらひなみってどんな子?」


 急に呼び捨てになったな。


「……およそ神、かしら」


 なんて?

「なんて?」

 声に出ちゃったよ。


 姫乃も愛梨も爆笑してる。まぁそうでしょうね。何言い出すのこいつ。


「もはや心酔じゃん」

「これに気付かないひなみって……」


 笑うな。


「……秋川、待って、それどういう意味?」

「あなたは自分が天上人だという自覚をした方が良いわよ」


 出来ねーよ。

「まぁそうかもしれないけど……」

 案外出来たわ。私の自己肯定力舐めんじゃないわ。


「ん? でもひなみより秋川さんのが強かったんだよね?」

「……数字上はね」

「どういうこと?」


 ちょっと気になる発言だ。これまで私のスケートに対する姿勢をボロクソに貶してきた秋川が、急にデレたように感じてちょっと怖い。


「じゃあ、えっと……四辻さん?」

「はーい」

「あなたが昔から憧れてる人が居たとして――、たとえばSNSのフォロワー数でその人を上回ることがあったら、その人の価値が下がるように感じるかしら?」


 そう聞かれた愛梨は、「んー」と首を傾げしばし考える。


「それはないかな? 近づいた気はするかもだけど、超えた気もしないし、憧れは憧れのままになるんじゃないかなー?」

「そういうことよ」

「なるほどー」


 なるほど?


「……でも待って、秋川あんた、スケートで憧れてスケートで勝ったのに、まだ自分の方が上だと思ってないの?」

「むしろ、どうしてそう思えるの?」

「うん?」

「私は採点方法や審査基準から逆算して、をしていただけよ。げんに私に憧れてスケートを始めた人なんてこれまで見たことないし、スケーターの誰からも好かれてない。それはあなたが一番よく分かっているでしょう?」

「…………」


 市来奏に憧れてスケートを始めた人間が、居ない?

 ――そんなはずない。だって、こいつは日本に何度目かも分からないスケートブームを巻き起こした女で――


 しかし、考え方を変えたらどうだろう。

 確かにこいつは、圧倒的な実力者だった。天才肌で遅咲きの天才――いかにもメディアが好きそうなキャラクター性ではある。事情を何も知らないファンが増えるのも当然だ。


 しかし、憧れるかと言われたら――、否。

 私たちより早くからジュニアのステージに上がっていた先輩スケーターは、市来奏に憧れるどころか、こいつの居る舞台を避けてシニアに上がっていた。ジュニアのうちに引退する選手の数は、例年より明らかに多かった。


 同期の誰とも話さないのは、――ひとえに避けられていたから。

 こいつと肩を並べて戦えるのは、世界でただ一人、仁井ひなみわたしだけだった。

 結果的に私は常に負けていたけれど、引退する最後まで市来奏に勝つことを諦めていなかったのは、たぶんこの世で私だけだ。


 ――それは、もう憧れなどではない。


 他者からしたら、避けるべき災厄のようなものである。

 こいつと一緒の舞台に居たら、絶対勝てない。オリンピックメダリストの銀子さんをもってして、たかだか13歳、少し前までランドセルを背負っていた市来奏に勝てなかった。


 そんな女に、唯一負けじと挑んでいた私は、よほどプライドが高かったのだろう。

 ノービス王者としてのプライドが、市来奏に負け続けることを許さなかった。こいつに勝てるのは私だけだと、まぎれもなく本心でそう思っていた。

 銀子さんでなく、他の誰でもなく、こいつに勝つのだと――


「その点、あなたは違ったわね」

「……まぁ、そうね。私に憧れてスケート始めたって子、本当に数えられないほど見たし」

「それに、避けられることもなかった」

「…………」

「そういうことよ」

「……そういうことね」


 ようやく、こいつのことが少しだけ分かってきたような気がする。


 ――そっか、そうだったんだ。


 自分一人で強くなるんだと思い込んで突っ走った私でも、誰かを導くことは出来たのだ。

 羨望の目を向けられてもそれを特別と思わず、私ならそう思われても当たり前と思えた。

 しかし秋川は、そうではなかった。


「んー、横から聞いてても、なんとなく分かるかなぁ」


 姫乃がそう言うと、秋川は頷いた。分かってないのは、私だけだったみたいだ。


「詳しい事情は知んないけどさ、秋川さんにとっては、だったんでしょ」

「そうですね」


 うん?


「本当の意味で自分を見てくれてる人」

「……えぇ」


 待って、二人だけでなんか納得した感出さないで。愛梨――も、なんか分かったみたいな顔してウンウン頷いてる。嘘でしょ?


「相思相愛じゃんねっ!」


 は?


「待って!? 私別にこいつのこと好きじゃ――」

「恋愛的な好き以外にもあるんでね?」

「……いやまぁ、それはあるだろうけど」

「アタシだってひなみと姫乃のこと好きだしさー、恋愛的な好きと、友情的な好きがあるんだから、もっと他の、アタシも知らない好きがあってもおかしくないじゃん? たぶんそれだよね、二人とも」

「…………そうなの?」


 二人に問う。


「そうそう」

「これは流石に愛梨に同意かなー」

「…………そうなの?」


 次は秋川の方を見ると、恥ずかしそうに頷いた。


「そうなの…………」


 最後に自分の足元を見て、溜息交じりに呟いた。

 なるほど、――わからん。


「ひなみのことは昔から応援してたの?」


 姫乃が聞くと、秋川が少し天井を見上げるようにして思案する。


「……えぇ。ノービスB――小4の時からかしら」

「うん?」


 あれ、私ちょうどその頃から実名でSNSやってたけど、まだノービスBで一度優勝した程度で世間的な知名度もほとんど無名に近かったはず。確か銀子さんがアカウント作ったから、それに倣って作ったのよね。

 あの頃の私はまだメディアに露出もしてなかったし、当時から私の名前を知ってるのはせいぜいノービスの選手やその親くらいのはずだ。


 ――しかし、その頃から大会に出るたびいつも長文リプライで応援してくるファンが居た。

 マネージャーから「こういうファンのアカウントからのリプライには絶対返信しないで下さい」と念押しされてたので毎回無視していたが、それでも懲りずに引退するその日まで長文リプライ送ってきてた奴が居たわね。


「ひょっとしたらなんだけど、『ちくわ食べ食べ』って――」

「私よ」


 一切表情に出ないまま返すやん。焦れや。


 『ちくわ食べ食べ』――もとい『ちくわ食べ食べ@仁井ひなみ単推し』というアカウントについて、私はよく覚えている。

 なにせ私のファン一号だ。


 私が引退を発表した後はアイコンを黒く染めて『隠居します』とか名前を変えていたが、いつの間にか復活して週1くらいのペースで私の現役時代の写真をアップするアカウントになっていた。いやそんないっつも見てたわけじゃないのよ? 偶然目についただけだからね?


「あっ、待って、ひょっとして中2の頃の私がハンガリーの空港で寝てる写真上げたのって、海外で出回ってた写真拾ってきたんじゃなくてアンタが撮ってたの!?」

「なんか文句ある?」

「あるに決まってんだろ馬鹿ッ!! 盗撮すんな! つーかネットにアップすんな!!」


 あーもうやだよ! 大量にアップされてる写真の中に見覚えないものがあって、心配になって前マネージャーしてた人に電話で聞いたら「ハンガリーの空港じゃないですか?」って教えてくれたんだけど結局出処が分かんなくてだいぶ怖かったのよね! 盗撮だったのアレ!? 怖すぎるってか、キモい! たしかによく一緒の飛行機乗ってたしあの時は乗り換えと時差でフラフラだったけどさぁ!


「ねぇひょっとして他にもネットに上げてないあたしの写真持ってたりしない!?」

「…………無いわ」


 ぷいと目を逸らされた。おいこいつッ!!


「消せ!」

「嫌」

「やっぱ持ってんじゃんふざけんなって! 変な写真あったりしないわよね!?」


 合宿の時とか一緒の部屋になったこともあったんだけど!? ねぇ怖いよ! だれかたすけて!! ここに私の悪質ストーカーが居ます!!


「そもそもあなた、見られて恥ずかしい身体じゃないっていつも言ってるじゃない」

「それはそうだけど、それとは話違くない!?」

「何が? フリー素材の分際で文句とか言わないで」

「フリー素材じゃねーけど!?」


 愛梨も姫乃もげらげら笑ってる、ねぇ助けてよ親友でしょ!?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る