第18話

「えぇー……、マジかぁ……」

「…………」


 会場中が、大きな拍手で覆われる。スタオベだ。

 ノーミスだけでなく女子では珍しい4回転ジャンプを2本成功し、スケーティングとスピンはちょっと荒かったけど――、それでも、ジャンプは相当凄かった。すべてで高い加点を貰ったであろう。


 なにより、高さがあった。初心者にありがちな横跳びジャンプじゃなくて、非常に高さのある綺麗な高跳びジャンプだ。あまり小柄な方ではなかったがこのポテンシャル、元々は別のスポーツをしていたのかもしれない。


「……あなたみたいね」


 そう思ったのは、私だけではなかったようだ。溜息なのか感嘆なのか、小さく息を漏らして秋川が呟く。

 使用曲は日本語歌詞付き、演技構成点PCSが低くSPは順位落としがちだが、4回転の跳べるFSの技術点TESで総合点を稼ぐタイプ。まさに現役時代の私と同じスタイルの選手だ。

 これがスケート歴3年目の17歳というのだから恐ろしい。将来どんな選手に育つのだろう。


「ま、顔はあたしのが上だけどね」

「その自分の顔面に対する圧倒的な自信なんなの?」

「姫乃以外の人類には勝ってると思うから」

「そんなに自信満々なのに姫乃さんには負けてる自覚あるのね……」

「そりゃ、ねぇ……」


 ちょっと、姫乃は別格よ。なんか、オーラからして違うもの。

アイドルみたいに顔ちっさいし髪さらっさらだし憂いを帯びた表情(実際は何も考えてないだけ)は非常に男ウケが良いし――、唯一欠点があるといえば胸が平均以下ってことだけど、姫乃に会って胸を直視する男子はそうそう居ない。

 顔面が強すぎて、そこに意識が集中してしまうのだ。なんなら全裸になっても胸に意識が行かないくらいよ。


「ねぇこれ、ひょっとして――」

「……そうね」


 ――得点発表。会場内が、一瞬沈黙に包まれる。

 本調子じゃなかったとはいえ、オリンピックで個人銅メダルを獲得した銀子さんを大きく上回る点数。SPと合算され――、なんと、暫定1位に上り詰めた。

 キスクラ――採点待ちの席でコーチの隣に座ってる姿すらカチコチで、「おい、1位だって」のように肩叩かれても微動だにしてない。よほど緊張していたのだろうか。演技中は楽しそうに笑ってたのにな。


「……完成版のあなたみたいね」

「誰か未完成よ」

「だって、事実そうじゃない? 3回転アクセル2本に4回転トゥループに4回転サルコウ――、この構成、あなた成功したことないじゃない」

「…………スピンとスケーティングは勝ってるわよ」

「曲がりなりにもノービス王者が負けたら駄目なところよ」

「……そうね」


 でも、秋川の言葉は正しい。この子は私がシニアに上がった時に目標にしていたような構成を、完璧に跳んでみせたのだ。

 その分、経験の短さによる甘さはあったけれど、ジャンプに関して天性の才能があることだけは間違いない。――私のように。


「……あなたと違って演技構成点PCS捨ててるわけじゃないだろうし、そっちでも稼げるようになったら化けるわよ」

「いやあたしも捨ててはなかったけど!? 優先順位がジャンプより低かっただけ!」

「同じでしょう」

「ジャンプの精度上がったら演技構成点PCSも取りに行くつもりだったし……!」

「捕らぬ狸の皮算用って言葉知ってる?」

「知ってるわバーカ」


 と、そんなやり取りをしていると、バッグに入れていた(通学鞄だ)スマホが着信音を鳴らすので、探して取り出す。開始ギリギリに慌てて入ったから電源切るの忘れてた。


 ――姫乃からだ。


 マナー的には席外してから電話出るべきだろうけど、騒がしくなってるのでまぁいいかなとそのまま出る。


「どしたの?」

『あ、ひなみ出た。今おかみさんとテレビでスケート見てたんだけどさぁ』

「さっきの子、すごかったわね」

『ごめんそれは分かんない。んでも、ひなみと秋川さん、今めっちゃテレビ映ってるよ』

「え?」

『地上波生放送で』

「……え?」

『解説とか実況の人も混乱してる。「この二人は非常に仲が悪かったはずですが仲直りしたんでしょうか?」だって。解説の人にまで仲悪いの知られてんだ』

「…………待って」

『そんだけー、んじゃねー』


 ぷつりと切れ、とりあえずこちらに向いてそうなカメラを探す。――あった。中継用の大きなカメラを立てたカメラマンが、私の視線に気付いたか親指をグッと立ててくる。

 通話の切れたスマホを見ると、メッセージ通知が何人かから飛んでいた。大方みんなスケート観戦してて私に気付いたのだろう。


「……ねぇ秋川」

「何?」

「あのカメラ。……見える?」

「カメラがどうしたの?」

「今地上波で私たち映してるって」

「へぇ、…………え?」

「手でも振ってあげたら? ファン喜ぶわよ」

「なっ、なんで!?」


 慌てて両手で顔を覆った秋川が、カメラから顔を逸らす。

 ま、昨日も油谷くんが一般の観客席で観戦してるとこ普通に映されてたしね。

 広いリンクの中を高速で移動するフィギュアスケートの撮影って慣れてるカメラマンにしか出来ないから、大方以前から私たちを映していた経験があり顔を覚えていたのだろう。

 秋川はナチュラルメイクだし、髪型も真っ黒のままだから雰囲気は一緒。まぁ私のメイク技術のお陰で前までより可愛いけどね。それに比べて私、秋川が初見じゃ気付かなかったくらいにはイメチェンしてるつもりなんだけど、よく分かったわね。


「あー、今日の解説って相内さんか……」


 もう引退してる先輩だけど、そういえば高校入ってから会ったわ。夏頃に結婚式に呼ばれたので参列したけど、金髪にしてたから結構驚かれたっけ。日本人選手でここまで染めてる人もそうは居まい。


「ほら、流石にもう映ってないわよ」


 先程こちらにカメラを向けていたカメラマンは、氷上でウォームアップを始めた選手にカメラを向けている。私たちを映してたのは休憩時間の暇つぶしだっただけかな。


「わー……、ちょっとこれ」

「……なに」

「『市来奏』で検索したらすごいことになってるわよ」

「見たくない……」


 まだ顔隠したまま、秋川が小さな声でそう返した。

 SNSで検索してみたら、およそ1年ぶりにテレビに映った市来奏に、ファンが大盛り上がりしているのが伝わってきた。ところで隣に座ってる私についての言及はあんまりないわね。たまに「市来奏の隣に居るギャルってひょっとして2位ちゃん?」とか言われてるくらい。

 解説の相内さんが私って気付いてからは「市来奏と仲悪かったんじゃないの?」「引退して仲直りしたのかな」みたいな反応が増えてきてる。


「っていうかあんた、カメラ向けられて恥ずかしがってるとこ見たことないんだけど」

「え、だって……」

「だって?」

「カメラ、見えてなかったし……」

「……そういやあんた視力かなり悪かったんだっけ」


 コクリ、と小さく頷かれた。

 先日補習で再会した時には瓶底みたいな分厚いダサ眼鏡を掛けていたが、今は外させている。あまりにダサすぎて、どう足掻いてもメイクと合わなかったからだ。

 ならばコンタクトにしてるかと言われたら別にそういうわけでもなく(私はコンタクト買えと言ったが怖いからと断られた)、今は裸眼だ。まぁ観戦くらいは出来るらしい。


 以前は演技中以外はスポーツタイプのオシャレ眼鏡を掛けていたが、視力落ちるペースが早くてもう度が合ってないから家に眠ってるんだとか。

 確かに視力悪かったらどこにカメラがあるかもよく分からないか。緊張してないんじゃなくて、ただ見えてなかっただけとはね。


「裸眼いくつあんの?」

「……今は0.3くらい」

「本ばっか読んでるからよ……」

「逆に聞くけど、あなたはどうしてずっとスマホしてるのに目が良いままなの?」

「さぁ? 才能じゃない?」

「要らない才能ね」

「いや要るでしょ」


 リンクに視線を向けたままそんな言い合いをしていると、周囲の観客らもようやっと私たちに気付いたのか、チラチラとこちらを見ている。

 というか、正確に言うと見られてるのは秋川の方ね。全日本選手権の生観戦するようなスケートファンならジュニアの大会から見ていてもおかしくないし、なんならこいつは去年までのシニア王者でもある。そりゃ顔見たら分かるわ。


「ファンサとかしないの?」

「するわけないでしょう!? 私がそんなことしたの見たことある!?」

「……ねーわ」


 ないわ。マジでミリも記憶にない。ずーっと無表情で、小さな子に手を振られたり声掛けられてもガン無視してたの覚えてる。クッソ塩対応ね。それなのにどうしてかファンからは人気あったのよねぇ。圧倒的な実力あれば愛想は要らないってか? うっせぇわ。


「ほら、あんたの推しの出番よ」

「いや倉科さんは別に推しってわけじゃ……」

「じゃあ誰推しなの?」

「……内緒」

「あっそ」


 そっぽ向いて言われたので、まぁ良いかと流す。追及しても絶対ロクなことないしね。



「惜しかったわねぇ」

「……そうね」

「さっきの子――、碧ちゃんのジャンプ見る前だったら驚いただろうけど、ちょっと観客の反応も悪かったわね」

 秋川の推し(じゃないと否定されたが)は、苦手なジャンプで着氷に失敗してお手付きをしてしまっていた。回転は足りてるように見えたが、審議にはなるだろう。

 高難度ジャンプをいくつも構成し、ノーミスで降りた先程の碧ちゃんと比べたらどうしても見劣ってしまう。秋川もちょっと悔しそうだ。

 結果は暫定5位。これまでの成績を思うと充分高いと思うが、ノーミスであったら優勝が狙えた構成であろうに、非常に惜しい。


 それ以上の波乱はないまま、全日本選手権はすべての種目を終了した。

 表彰台に上ったのは、初出場初優勝、スケート歴3年の新星、17歳の明城あかぎみどり


 翌日のスポーツ新聞では、『市来奏の再来か、スケート歴3年の天才現る』なんてデカデカと一面に書かれていた。


 ――ライバルが汚されたようで、少し、寂しくなった。

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