第17話

「……やっぱ、生で見る銀子さん、良いなぁ」


 演技が終わり、会場内が大きな拍手に包まれる。この会場に集まるスケートファンのうち、恐らくほとんどが銀子さん目当てだ。去年までは市来奏コイツの可能性もあったんだけど。

 冷えた会場が暖かく感じるほどの熱気と、歓声が聞こえる。――こんな歓声、これまで浴びたことはない。現役時代の私が知らなかった世界である。


「へぇ、そうなの? あまりあなたが好きそうなタイプではないけれど」


 意外そうな顔で言われ、溜息が漏れる。


「そりゃ確かに銀子さんはジャンプで点稼ぐタイプじゃないけど、スケート歴20年の経験値から生まれる圧巻の演技見たら、スケートやってれば誰でも感動するでしょ。スケーティングのレベルに5があったら絶対5取れてるわよ」

「……それは、そうでしょうけど」


 スケーティングもスピンも、得点基準にはレベル4までしかない。だから市来奏も銀子さんも、明確に二人より劣っている私だってレベル4を取れていた。

 しかしもし4から先があったら、私たちでは到底勝てない領域に居る人なのだ。

 秋川もそれを理解していたか、自信なさげに俯いた。


「銀子さんがオリンピックの個人で銅取った時、普通に号泣したわよ?」

「……そ、意外。泣いたりしないタイプだと思ってた」

「は? 初対面の時に泣かした女がそれ言う?」

「そうだったかしら? 忘れたわ」

「あんたねぇ……!」


 そんな言い合いをしているうちに、得点発表――当然、暫定1位。

 しかし、まだ本調子ではないのであろう。オリンピックや昨シーズンまでと比べると、どうしても演技の精彩を欠いていたように思えた。事実、総合点もそこまで伸びていない。

 SPショートプログラムでの転倒が響き点数が低かった分を今日のFSフリースケーティングで挽回できると思っていたが、これでは厳しいかもしれない。


「……銀子さん超えそうな選手、誰が居ると思う?」

「私」

「あんたは出てないでしょうがっ!」


 思わず突っ込むと、「ふふっ」と笑われる。えっ今のボケだったの!? 素で言われたのかと思って本気で突っ込んじゃったんだけど!?


「まぁ真面目に答えると、倉科さんかしら」

「ガチガチの演技構成点PCS派ね。3回転アクセルで減点なければギリ銀子さんに届くかなってレベルじゃない?」

「そうね。ただ倉科さんはSPショートでも3回転アクセル跳んでたし……」

「モロ回転不足喰らってたと思うけど」

「……跳べるようになってるかもしれないでしょっ!」

「理論派の癖になんでそこだけ感情論なのよ。……って、あぁ、倉科さんってあんたの同門か」

「そ、そうよ。それがどうしたの?」

「いやあんた、同門を応援する気持ちとかあったんだなーって」

「馬鹿にしてるの!?」

「馬鹿にしてたのはあんたじゃないの……?」


 あんたに勝てない私、めっちゃ馬鹿にされてたんだけど。

 Wikipedia曰く、倉科さんは以前秋川が所属していたクラブチームで、同じコーチに師事していたらしい。私たちと1年だけジュニアの期間が被っている。ぶっちゃけ全然覚えてないけど。

 17歳になってすぐシニアに移っているらしく、恐らく市来奏と同じ年齢区分であるジュニアであと2年を戦う勇気がなかったのだろう。そういう子、当時は結構多かった。


 当然、ジュニアからシニアに上がっただけで勝てるようになるわけじゃないけど、少なくとも推薦出場枠のない大会にはジュニア王者の市来奏が出られない。

 シニアに上がってオリンピック日本代表選手たちと競う方が、ジュニアのまま市来奏と競うよりマシだと考えたのだろう。――当時のこいつは、そう思われるほどに強かったのだ。


 実際、当時のジュニアには市来奏だけじゃなくて私も居たわけだしね。13歳の身でありながら、19歳までの年齢区分で常に2位取れてんのよ。充分凄いでしょ? なんで自分が一番そう思えないんだろうなぁ。


「あれ」

「どうしたの?」

「この子、SPショートの時に名前見たことないなーと思ってたけど、全日本初出場だ」


 見覚えのない子が氷上に立ち、緊張した面持ちでコーチと話している。

 スケート観戦は現役時代から趣味だったから、全日本に出られるくらいの選手の顔は大体覚えている。そんな中に知らない子が出てきたら「おっ」と思うのだ。


「へぇ……。えっ、ノービスもジュニアも出てないってこと!?」

「そういうことになるわね。……スケート始めたの中2なんだって」


 Wikipediaに個人名の記事すらなく、唯一出てきたSNSにそう書かれていた。

 中学2年生の時にスケートに出会って、それから3年で全日本選手権に出場。――なにそれバケモノじゃない。


「……すごい経歴ね」

「あんたほどじゃないと思うけど……、スケート歴3年みたいよ」

「さっ、3年!?」

「…………それは流石にあんたでも驚くのね」

「わ、私だって全日本出られてないだけで小学校の頃からスケートやってたし……」

「ま、そうよねぇ」


 SPショートプログラムFSフリースケーティングというルールが違う2種の演技の合計点で競うので、先に行われるSPの成績が悪くてもFSで挽回するというケースは度々見られる。

 4回転ジャンプのような大技が使えない女子SPは地のスケート力でしか勝負出来ないため、地のスケート力が明確に現れると言われている。全日本を3連覇した市来奏すら、SPでは銀子さんに勝てなかったほどだ。


「さ、滑るわよ」


 流れるのは、最近流行りのアニメソング。フィギュアスケートでは一般的にクラシックが採用されるので、日本語歌詞の曲で滑る子はあまり多くない。私は好きで日本語の曲ばっか使ってたけど。


 そして、緊張した様子だったその子は、曲が始まると同時に豹変した――――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る