第16話

「間に合うもんねぇ」

「これ間に合ったって言える……!?」

「ほら、もうじき始まるわよー」

「ま、待って! ちけ、チケット!」


 さて、クリスマス当日です。

 私たちは長野に来ています。――午前中に補習受けて予約配車していたタクシーで東京駅に向かい、そっから新幹線に乗って長野までやってきた私たちは、制服姿のままスケートリンクに入る。


 まさか新幹線の駅ホームで不審物が見つかったとかで到着が30分以上も遅れるなんてね。ちょっと余裕もって着く予定だったのに、お陰で開始ギリギリの到着である。


「今日も油谷くん来てるのかな」

「聞いてないの?」

「うん、別にそんな普段から連絡取り合ってるわけじゃないし」

「……それなのにあんな気軽にコーチ頼んでたの?」

「そうだけど、何?」

「…………なんていうか、度胸がすごいわね」

「知らなかったの?」

「知ってたけど……」


 私の度胸の高さは折り紙付きだ。練習で成功率30%くらいのジャンプを本番に構成する女よ。それも体力的にキツくてリカバリーも出来ない後半で。

 だってそうでもしないと技術点TESで大差つけることなんて出来なかった。

 演技構成点PCSで4回転ジャンプ一本分の点差を付けられる以上、私もジャンプ一本分の点数をどこかで稼がなければ、市来奏には絶対勝てない。

 スピンも、スケーティングも、お互い最高得点レベル4。ならば技術点TESで差をつけるには、市来奏が跳べない4回転ジャンプをいくつも構成するしかない。

 跳べるジャンプの回数に制限がある以上、どこかで無茶しないと勝てなかった。


 ――結局、無茶した上で一度も勝てなかったんだけどね。


「男子ほどじゃないけど、女子も今年からは魔窟よね……」

「そうね、3連覇してた前王者が居ないんだもの」

「……それ自分で言って恥ずかしくなんない? あんた引退してんのよ?」

「全然」

「あっそ」


 ま、そうだろうなぁ。勝てなくなって引退したんじゃなくて、こいつは勝てるのに引退したのだ。プライドが折られることもなく、高いままであろう。


「で、あんたは17からシニア行くでしょ?」


 フィギュアスケートの年齢区分は、一般的なスポーツとは違う。ジュニアが13歳から19歳、シニアは17歳から――。つまり、17歳から19歳はジュニアとシニア、どちらの舞台を選んでも良いというわけだ。

 一般的にはジュニアの方が勝ちやすいからジュニアに居座る子も多いけれど、オリンピック選考会にはシニアの選手しか出られないから、そっち意識で早めに上がる子も居る。時と場合によるというわけだ。


「ま、まだ復帰するとは明言してないけれど……」

「しなさい。これはもう確定だから」

「どうしてあなたが決めるの……!?」

「勿体ないもの」


 そう、勿体ない。


 愛梨は言ってた。女子高生の感じる時間はサラリーマンの3倍だと。いやサラリーマンが3分の1だっけ? どっちでも同じか。

 姫乃も言ってた。時間がもったいないと。私たちが世界で一番自由な女子高生でいられる時間は、あと2年しかない。


 時間と、自由と、体力が揃う――、それが女子高生である。


「……勿体ない、ね」

「少なくともオリンピックで個人の金メダル取るまで、辞めちゃ駄目だからね」

「…………どうしてそれをあなたが決めるの?」

「人にレール敷かれるの好きなんでしょ。だから、あたしが決めたげる」


 私の敷いたレールの上を走っていた、この女は。


 ――きっと、まだそのレールを探しているんだ。


 なら作ってやろうじゃないか。氷の上に居なくとも、私なら出来る。かつて天才と呼ばれた、仁井ひなみなら余裕だ。


「…………ふふ」


 穏やかな顔で、秋川は小さく笑った。

 それはかつて『氷の君』と呼ばれていた女が、絶対見せなかった笑顔だ。

 こいつが復帰して、またメディアで注目される日が来ても、もう以前のようには呼ばれないかもしれない。そう思えるのだ。


「私がオリンピックに出れるとしたら、19歳ね」

「……そうね。あと3年しかないけど大丈夫?」

「誰かさんと違って、私の体調は万全よ?」

「体重増えたでしょ」

「…………は?」

「いや見た感じ、たぶん5キロくらいは増えてると思うけど、違う?」

「…………どうして分かったの?」


 合宿の時とかは皆一緒に大浴場入ったし、昨日下着姿も見たからね。現役時代と比べたら明らかにプヨってたわ。

 実体重の増加が5キロ程度でも、筋肉量は相当に減っているだろう。腹の肉が証明してる。毎日スケート漬けの生活を急にやめたら、当然だ。


「そりゃ運動辞めたら太るわよ。あたしなんて10キロ以上増えちゃったし」

「……ダイエットするから」

「またシングルジャンプから練習ね。ま、リハビリで変な癖付いちゃうと困るから、ちゃんとコーチして貰えるようになるまでは陸トレだけにしましょうか」

「……そうね」

「ただ冬場に走り込みとか結構危ないのよね……、ダイエットくらいならそんなに負荷かけないで良いでしょうし、ルームランナーとか買おうか?」

「買っても置く場所なんてないわよ!?」

「あれっ、一軒家とかじゃないの?」

「違うわ。木造アパート。築40年くらいのね。そんな重いもの入れたら床が抜けるし、騒音で追い出されるわ」

「……じゃ、ウチでいっか」


 まぁそれが無難かな。ならいっそ陸トレ用の器具揃えるかなぁ。


「え?」

「いやだって、ウチならスペースいくらでもあるし。あんた見てないだろうけど使ってない部屋まだあるのよ」

「それは、物置にしてたあの……」

「そこじゃなくて、もう一部屋あるの。ほらお風呂の横にドアあったでしょ? あそこに6畳の部屋あって、掃除も面倒だから本当に何も置いてないわ。月1ルンバしてるだけ」

「えぇ……」


 ドン引きである。そりゃ、その部屋なくても充分広いからね。3SLDKの、余ってる部屋はS――サービスルームに当たる。サービスルームって何? 普通の部屋と違うの? まぁエアコンとか付けてないから使うならそれも買わなきゃか。

 昨日は私の寝室に来客用の折り畳みベッドを置いた。他の部屋は物置だったからね。姫乃とか愛梨は一緒のベッドで寝るから最初はそのつもりだったけど、秋川が全力で拒否したから仕方なく予備ベッドを出したのだ。


「あ、銀子さん滑るよ」

「グランプリシリーズは調子悪かったみたいだけど……、大丈夫かしら」

「そうねぇ、東日本大会では2位だけど――」


 私たちの大先輩である、浦本銀子さん。今年で25歳、9つも上の選手だ。

 オリンピックにも二度出場しており、現役の女子選手の中では恐らく一番多くのメダルを獲得している大ベテラン。

 ただ、昨シーズンの怪我を今年も引きずっており、今シーズンあまり成績は芳しくない。間違いなく次の、――3年後のオリンピックまでには引退しているだろう。

 そんな大ベテランの、いつ最後になるかも分からない演技を、黙って見守る。

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