第7話
「もう姫乃居ないから、気を付けてよ」
秋川を部屋に上げ、テレビを付ける。コースにしたのもあってゆっくり食べちゃったけど、まだ開始前だ。よかったよかった。
お爺ちゃんが引っ越し祝いに買ってくれた超大型テレビは、正直大きすぎてゲームとかするのに不便だけど、こうして試合観戦する時は迫力があっていい。小さいテレビだとどうしても細かい動作まで見えないからね。
「……気を付けるって、何を?」
「喧嘩止めてくれる人、居ないってこと」
「…………」
不満げな顔で、こちらをじっと見つめてくる。
あー、なんでこんな女を部屋に上げちゃったんだろうなぁ。話の流れではあったけど、ちょっと後悔。
「しないわよ、もう」
ぷいっと顔を逸らされて、溜息を返した。
「あっそ。もう始まるわよ、ソファ……、だと髪片付けるの面倒だから、こっちの椅子座って」
「え、えぇ……。手慣れてるのね」
「まぁ友達何人も上げてるしね。ちょっと鏡動かすから邪魔でも我慢してね」
ソファの対角に置いてあるテレビの角度を変えて、ダイニングの椅子の正面に向かわせる。秋川はリモコンでテレビの角度まで変わるのに驚いて言葉を失っていたが、他の子もこんな反応するのでもう慣れた。可動式のテレビ台と超大型テレビが一体いくらするのか、想像すらできない。
カット用の大鏡を動かし(流石にこれは手動だ)、ギリギリテレビ視聴の邪魔にならないところに2枚配置。
すぐに中継が始まったので、そちらに目を向ける。
昨シーズンまで圧倒的実力で優勝を続けていた男子選手が引退を発表したこともあり、今年は誰が勝つか全く予想できない、波乱の全日本と言われている。
――まぁそれは、女子も一緒なんだけど。
「油谷くん引退して、はじめての全日本なのよねー」
「……そうね」
「誰が勝つと思う? 一昨日の感じだと梶村君が良かったけど」
「でも梶村君、ジャンプで稼ぐ割に4回転3本しか跳べないのよね。まだ構成も甘いし、
「フリーだけに?」
「馬鹿にしてるの?」
「……わざとじゃなかったのね」
「違うわよ、」とそっぽ向いて返されて、――鏡で見ると顔が赤くなってた。ホントに偶然だったらしい。
「私は、広野くんが良いと思うけど……」
「え、広野くんこそ4回転2本しか跳べないじゃない。そりゃ年齢重ねてて技術はあるけど……、あんたって昔っから
「はー、これだから
「馬鹿にしてんの? つーかあんたなんで4回転練習すらしなかったの?」
「ジュニアの女子に4回転なんて必要ないもの」
「は? 前のオリンピックメダリスト全員4回転跳んでたのに?」
「ジュニアって言ったでしょう。ジュニアのうちは成功率の低い4回転1本跳ぶより演技全体で得点を狙った方が良いに決まってるじゃない。どうせジャンプなんて成長すると跳びづらくなるんだし、どっかの誰かさんみたいに『ジャンプ跳べば勝てる』みたいな変な勝ち癖は付けない方が良いの。3回転アクセルが跳べれば
「私公式試合で4回転サルコウ成功率80%超えてんだけど? これでも成功率低いって言うの?」
「跳ぶことしか能がないなら、100%成功しなきゃ勝てないわよ、そんなことも分からなかったの? それとももう私に負けたこと忘れた?」
「忘れてねーよバーカ。ねぇちょっと頭動かさないで」
「えっ、うん……」
反論のためこちらを向こうとした秋川の頭を、ぐいと前に向ける。こんなボサボサの頭だったら濡らしてからカットしたいとこだけど、もう中継始まっちゃったし霧吹きで良いや。びしょびしょにしてやろ。
「明日の女子フリー、チケット取れてたのよね」
ぼそりと呟くと、頭を動かさず「えっ」と声が漏れる。
「……私も」
「補習なければ行けたんだけどね。まぁ補習ブッチして行っても良いかなーと思い始めてんだけど、あんたは?」
「……補習を休むなんて発想がなかったわ。どうなるの?」
「常習犯の愛梨曰く、『このままじゃ進級できないぞ!』って脅されるけど実際はそんなことないんだってさ。まぁ体調不良とかでどうしようもなく休む子も居るしね」
「それはそうだろうけど……、その、お友達もこのタイミングの補習を休んだことはないんじゃないの?」
「そうね」
夏くらいのことかしら。あの時も愛梨と姫乃と一緒に夏休みに補習受けまくってたし。確かに冬休みの補習は夏休みのそれより重要度が高い気がする。進級出来ないのは流石にキツいし。
「あんたどうやって移動するつもりだったの?」
チョキチョキとハサミで毛を切りながら聞くと、「えっと……」と指折り数えられる。
「で、電車で」
「そりゃそうでしょ、時間とか、予定決めてなかったの? どうせ一人で行くつもりだったんでしょ?」
会場は長野だ。流石に電車以外のルートは想定されていないだろう。流石にお爺ちゃんでもプライベートジェットとかは持って……るかも。でもそもそも長野って空港あるのかな?
昔ヘリには乗せてもらった記憶あるのよね、あれが私物だったのかも、ヘリで長距離移動できるものなのかも知らないけど。
「……朝出れば、昼には間に合うかなって」
「ほとんど無計画だったってことね」
「あっ、あなたは!? 人に聞くあなたはよほど崇高なスケジュールを立てていたんでしょうね!?」
「ちょっと動かないでって。ウチの運転手に車出してもらって、前日入りして現地で友達と遊んで翌日観戦してから帰るつもりだったんだけど」
「…………」
黙るなよ。言っちゃ悪いけどスケジュールの雑さは似たようなものよ。
「でも、考えてみたら、案外間に合うのかもね」
「……え?」
「ほら、今まだ3時でしょ? 昼過ぎに始まる女子フリーなら補習受けてからでも間に合いそうじゃない?」
「それは、そうだけど……」
「ちょっと調べてみて。たしか長野って新幹線通ってたでしょ」
「えっ、調べるって、……何を?」
「時間」
「時間を……? どうやって……?」
煽ってるわけでなく、本気で疑問符を浮かべている様子が鏡に映る。えっ待って、このレベルなのこいつ?
「……乗り換え案内のアプリとかサイト、あるでしょ」
「…………」
「知らないの?」
「というか、」
「というか?」
「スマホ、持って来てないのだけれど……」
「…………は?」
えっ、待って、どういうこと?
こいつ、女子高生よね? 原始人とかじゃなくて?
「えーっと……、忘れてきたの?」
「違うけど?」
「…………どういうこと?」
「スマホの月額料金は前のお父さんが払ってたから、もう解約されてるの。今はネット環境がある近所の図書館に行く時くらいしか持ち歩いてないわ。外に持ちだして失くしたら怖いし落として壊したら直せないし、大事な写真いっぱい入ってるし」
「…………死なん?」
「死なないけど? あなたこそ、そんなものに現を抜かしてるから補習になるんじゃない?」
「いやスマホ持ってないあんたが補習受けてる時点でその理屈は通らないでしょ……」
「…………」
黙るなよ。図星かよ。
スマホが、うん、まぁそりゃ普通の子は親が月額料金払うわよね。小中学生の時点でお小遣いから払ってる子はそうそう居ないと思う。
高校生にもなったらアルバイトする子も多いから、そのあたりを境に自費になるケースもあると思うが、親が居なかったら? ――えっ、払えないの? そういうものなの? ならバイトして自分で払えば良いんじゃないの? スマホ持ち歩かないって選択肢になるの? 全然意味分かんないんだけど。
「…………待って、」
女子高生でしょ? スマホもネットも無しにどうやって生きてるの? 私小学校2年生の時にスマホ買ってもらってから今に至るまで、1日何時間も触ってると思うんだけど? それを持ち歩かずに、どうやって生きてるの?
「……ちょっと、流石にあんたに同情するわ」
「そんなことで同情しないでくれる? スマホがないくらいで人生は変わらないわよ」
「変わるに決まってんでしょ。誰とも連絡取れないし……、あ、連絡する相手が居ないか」
「はぁ? 友達がたくさん居たら偉いの? 馬鹿みたいな友達を大勢引き連れて王様気取るの、昔っから変わらないわね」
「……あたしのことはどうでもいいけど、友達の悪口言うのやめて」
「どうして?」
「姫乃も愛梨も、たぶんそれ言われたら普通にキレるから。っていうか朝も姫乃ちょっとキレかけてたし。お願いだから二人の前では煽らないで。あたしは慣れてるけど、普通の子は喧嘩売られてると思うわよ」
「…………」
流石に言い過ぎたと感じたか、俯いた秋川の悔しそうな顔で鏡に映る。背中向けてるから何も見えてないと思ってんだろうなぁ。人よりデカい鏡に全部映ってんのよ。
「……それは、ごめんなさい」
「別に。あんたがあたしに悪口言うのはもう慣れてるし」
「それはあなたが――、」
「初対面から煽ってきたの、どっちか忘れた?」
「…………」
自覚あんのかよ。まだたまに夢に見るわよ。
「……ごめんなさい」
「別に。あっ、あんたの推し滑るわよ」
「別に推しってわけじゃ……」
かつての市来奏と同じ、ジャンプの難易度でなく失敗のない堅実な構成、スケーティングの上手さで点数を稼ぐタイプの男子選手の番が来ると、流石の秋川もテレビに釘付けになる。
10年以上に渡って絶対王者が世界に君臨していた男子シングルは、現役選手のほとんどが大きな大会で金メダルを取ったことがない。1位を除いて全員の実力に大差はないと言われていた。
そんな団子の中から誰が抜け出すのか、ハサミを動かしながらドキドキしながら見守る。
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