第5話

 して、やってきました姫乃のバイト先(兼・下宿先)

 ここに来るのは随分久し振りだ。普通に正面から入ったら、店員の40代男性(渋め)が「あれ? 今日はお客さん?」と驚いた顔で迎え入れてくれた。


 テーブル席を案内され、メニューに視線を落とす。

 ランチの一番安いセットで2800円。お手頃とはいえ高校生が気軽に来るような店でない。


 クリスマスイブということもあり、デート中であろう若いカップル、井戸端会議をしている近所のマダムたち――、制服姿の私たちはそれなり浮いてるようだが、常連らしきマダムらは姫乃に気付くと、「今日はそっちなの?」なんて声を掛けてきて、姫乃はいつものにへら、とした顔で笑って返す。


「おかみさんが奢ってくれるから、秋川さんも何頼んでも良いよ」

「えっ!?」


 驚いた様子の秋川は、開かれたメニューを凝視する。指折り数えて、一番高いランチコースが15000円(ただし要予約)なことに気付き、わなわな震えていた。

 30代後半から40くらいか、ホールの女性がこちらに近づいてきて「勝手に奢らすな」とトレイでチョップ。どうやら彼女が『おかみさん』らしい。痛そうにした姫乃が「あんなこと言ってたけど大丈夫」なんて頭を擦りながら言う。

 とりあえず当日飛び入りで注文できる一番高いランチコースを注文し、――姫乃は何も頼まなかったし注文を聞かれもしなかった。秋川は、――フリーズしてる。


「ちょっと、秋川?」

「な、何よ」

「注文。まだ決まんないの?」

「ま、待って、えっと――」


 あわあわ視線を泳がせている。どうやらこういう店に慣れてないようだ。秋川も良いとこのお嬢様のはずなんだけど、あんまり外食とかしない家だったのかな。


 スケートには金がかかる。それこそ、常人には考えられないほどの大金が。

 お金を掛けなければ、練習すら出来ない。氷の上に乗るのは有料だし、本気でやるならリンクの貸切まで考慮する必要がある。チームメンバーで割り勘したところで、毎日数万円が飛んでいく。

 トップレベルのコーチは1時間何万も取るし、日本在住ですらなかったりするので、コーチに合わせて引っ越すなんて然程珍しくもない。

 ノービスやジュニアの選手はコーチを独占できるほどのお金も立場もないから、コーチのスケジュールに合わせて移動することになりがちだ。

 大会のほとんどは海外でやるけれど、すべて実費。優勝賞金はあっても、湯水のように飛んでいくお金の補填にすらならない。


 普通のサラリーマンの家庭で生まれ育った子は、絶対どこかで脱落する。それが、フィギュアスケートというスポーツである。

 つまるとこ、お金持ちの家に生まれ育った子しか強くなれないのだ。


「……じゃあこいつのも、私と一緒ので。嫌いなものとかないでしょ?」

「ないけど……、ま、待って、悪いわよ」

「気にしないで良いでしょ、奢りだし」

「奢りだからってあなたねぇ……!」

「まぁひなみは奢らなくても良いんだろうけどねー」


 肩肘ついた姫乃が、こちらを見て言う。


「そうね、カードでいい?」

「結構手数料取られるから現金でお願い」

「はいはい」


 なんでちょっと経営者目線なのよ。


「……え?」


 しかし、私と姫乃のやり取りを理解出来ないのか、秋川はキョトンとした顔でこちらを見る。


「何?」

「……あの、えっと」

「言いたいことあんならいつもみたいに言えば?」


 きょろきょろと店内に視線を向け、まるで不審者だ。

 いや座敷童か呪いの日本人形みたいな頭してる女子高生がそれなりにお高めのフレンチレストランに制服で入ってきただけで、まぁまぁ不審ではあるけど。

 会話は聞こえないくらいの距離だが、マダムも秋川をチラチラ見ている。私や姫乃とは明らかにキャラが違うからだろう。


「秋川さん、こういう店慣れてないの?」

「えっ、あ、はい……」


 姫乃にはやけに行儀いいなこいつ。


「スケートやってる人みんなお金持ちって聞いたけど、そうじゃないんだ?」

「……うん? でも秋川、海外遠征の時のホテル、いっつも一緒だったわよね」

「だから何? いくらあなたの家がお金持ちだからってホテル一棟貸切ってるわけじゃないんだから、同じところに泊まることくらいあるでしょう」


 なんで私には即喧嘩腰になるのよ。

 まぁスケートリンクから近くて、セキュリティ万全な高級ホテルなんてそこまで数多くないから、行先一緒だったらホテルが被るのは当たり前なんだけど。

 仮にそこまでお金持ちじゃなかったらもうちょっとホテルのランク下げると思う。平気で1泊何十万みたいな部屋取ってたからね。お母さんとかいつも旅行感覚で着いてきてのんびり観光してたし。


「なんか秋川さん、お金持ちには見えないなー」

「昔は見えたんだけど、今はね」

「……お金持ってるかどうかは、そんな重要?」

「重要でしょ」

「重要よ」

「…………そう」


 しかし、この場だと少数派なのを理解したか、秋川は反論することなく静かになる。


 そのうち、前菜から料理が並びだす。もう少し驚く顔が見れるかと思ったが、料理が到着してからの秋川の所作は丁寧なものだった。

 幼少期からちゃんとした店で食べてきたのが分かる、フォークやナイフの使い方。なら店に入った時若干キョドってたのは何だったのだろう、なんて考えながら、料理に舌鼓を打つ。


 デザートまでしっかり食べ終えたが、気付くと正面――秋川から驚愕の目を向けられている。なんか用あったら言ってくるでしょ、と無視していたが、私が何食べてもそんな様子なので流石に気になる。

 食後のコーヒーに砂糖をだばだば入れて飲んでいると、ついに秋川が口を開いた。


「……あなた、ちゃんと食べるようになったのね」

「あぁ、そういうこと。そうね、もう現役じゃないし」


 ようやく分かった。秋川は、私が驚いていたのだ。

 私が過度な食事制限をしていたことは同期なら誰でも知っていただろうし、そんな私の姿を2年間見てきた秋川にとって、大の大人でも満腹になるくらいの量が出てくるフレンチのフルコースを普通に完食した姿はよほど意外だったのであろう。

 お陰で現役時代から体重は10キロ以上増えちゃったけど――、元が痩せすぎだったから、これでもまだ平均以下くらい。

 思えば、食べるの大好きな私が3年くらい食事制限してたの、ホントに信じらんないわね。


 身体が重くなると、ジャンプが跳べなくなる。

 中学に入る少し前くらいから、、私はご飯をほとんど食べなくなった。一日おにぎり一つ食べれば多いくらいだった。

 お陰で体重はほとんど増えなかったけれど、代わりに、成長期を栄養不足の状態で越えてしまった私の身体は、中学に上がった頃にはもうボロボロで。

 ――そんなところに、ホンモノの天才が現れた。そうして私は、二度と表彰台の真ん中に上がれなくなった。


「今思えば、ちゃんと食べてた方が現役長く居られたのかもね」

「……でしょうね」

「あんたは普通に食べてたけど、なんで辞めたの? 跳べなくなったわけじゃないんでしょ?」

「あなたに言う必要がある?」

「あっそ」


 やっぱこいつ腹立つなと思いながらコーヒーに口を付けると、姫乃が「あはは」と笑い出す。


「いや、聞きなよ。なんでそこで煽られて諦めちゃうの。露骨に聞いて欲しそうなアピールしてんじゃん」

「そっ、そんなつもりじゃ――」


 私だって、教えてくれんなら知りたいわよ。でも、こいつが話すわけないじゃない。

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