第3話

「……あー、頭パンクしそ」


 英語の補習、ぶっ通しの3時間。ホントなら今頃は長野に前乗りしてるはずだったのに、どうしてこうなった。


 机に突っ伏し、視線だけ動かして教室の様子を眺める。

 予定があるのかさっさと出て行く生徒。私のように疲れて動けなくなってる生徒。いつから寝てたのか分からない愛梨。スマホに視線を落としたまま動かない姫乃。

 補習に集まった生徒数は、ちょうど1クラス分くらい。6クラスあってこれだから、1学年の6分の1が不良生徒ということになるのだろうか。流石に多くない?


 静かな教室の中、かしゃん、と何かが落ちる音に振り返る。

 どうやら秋川の席の前を通りがかった男子生徒が、机に置いてあった筆箱に鞄を引っ掻け、落としてしまったらしい。口が開いていた筆箱から、いくつもペンが転がり落ちる。

 当の男子生徒は「わりっ」とだけ言うと、小走りで教室を出て行った。まぁほとんど初対面、それも呪いの日本人形みたいな女子生徒が相手なら、誰でもそんなものだろう。


 もし被害者が私だったら皆手伝ってくれたろうし、姫乃だったら――男子がそちらを見もせずに通りがかることなんて絶対ないから、筆箱が落ちることすらないのかも。

 そんなことを考えていると、転がってくるペンが2席離れた私の足元まで来たので、仕方ないから拾って、――「ん?」、と首を傾げる。


 ――見覚えのあるボールペンだ。

 私が昔好きだった、アニメのキャラクターがプリントされていた。

 よほど長く使ってたのか、プリントはほとんど剥がれている。でも、私はすぐに分かった。同じものを何本も持っていて、日常的に使っていたからだ。

 流石にアニメのキャラものボールペンを高校生にもなって使うつもりはないから自宅の引きだしの中に眠ってると思うけれど、――どうしてこんなのを、と秋川の方を見る。


 秋川は、じっと、こちらを見ていた。

 いや、正確に言うと私でなく、私が拾ったペンを、だが。

 ――無言の硬直。その空気に耐えられなくなって、席を立つと秋川の机に叩きつけるように置く。


「……ありがとう」

「どういたしまして。……ところであんた、そのアニメ好きなの?」

「はい……?」


 キョトンとした顔で、秋川は視線を落としてペンを見る。本気で何を言ってるか分からないといった様子。明らかに暗そうな女なのに、そういうの見てないのかな。


「ひょっとして、知らずに使ってたの?」


 秋川は静かに頷いた。なるほど、まぁそういうこともあるか。


 そういえば、中学生の時に参加した夏の全日本合宿――強化選手に選ばれたフィギュアスケーターだけが参加出来る合宿で、に同じペンを渡したことがあったっけ。

 座学の時に筆箱を部屋に忘れたとか、そんなしょうもない理由だった気がする。

 常に1位と2位ということもありいつもセットで扱われ、隣の席に座っていた私は、座学が始まってもペンがなくてフリーズしてたそいつを見て、溜息交じりに自分の持っていたそれを押し付けたのだ。


 ――なんで、そんなことを急に思い出したのだろう。


「ひなみ、かーえろっ」


 ようやく目が覚めたのか、愛梨が私の隣に立って言うと、秋川は目を逸らして荷物を片付け、逃げるように教室を出て行った。


「あれ、姫乃は?」

「さっき出てったよ、バイトじゃない?」

「……あー、そりゃクリスマス前なんて忙しいか」

「ね。あんなでバイトは真面目とか、マジで偉いわ」


 一回だけ、愛梨と一緒に姫乃のバイト先に行ったことある。こじんまりとしてお値段も比較的お手頃なお店だったが、そこらの高級レストラン並みに美味しかった。

 まぁ私達が驚いたのは値段や味でなく、学校ではいつも何考えてんのか分かんない表情した姫乃が、メイド喫茶ばりの笑顔と愛想をお客さんに振りまいていたことだったが。

 友人のあまりに普段と違いすぎる姿を見ちゃった私と愛梨は、店を出て静かに呟いた。「もう来るのやめよっか」、と。

 私達が見ちゃいけない姿な気がしたんだ。本人は全く恥ずかしがった様子はなかったけど。


「愛梨、彼氏は?」

「外で待たせてるー。車でお迎え来てくれたんだって。一緒乗ってく? 送らせるよ?」

「…………遠慮しとくわ」


 なんで顔も知らない男の車に乗らないといけないのよ。嫌よ。普通に怖いじゃない。


「んじゃ、よいお年をー」

「えっ、待って愛梨っ、明日からは!?」

「今日で終わりだけど?」


 あっさりした顔で言う愛梨は、「にっ」とピースをしてきた。うぅ悔しい。

 私はあと3日も補習あるんだけど、そういうことなのね四辻愛梨。あなた、授業中いっつも寝てるのに、私より頭良かったのね。なんなら彼氏作れないことよりも悔しいかも。


「まぁ良いわ。よいお年を。暇になったら連絡して」

「りょっ! んじゃねー」


 去っていった愛梨の背中を見送って、「……帰るか」、と一人呟き、教室を出た。

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