第49話 ぼくのはなし、奇跡のゆくえ

 ◆◆◆


 ぼくは、じぶんがきらいでした。



 ちいさくてのろまなあしが、きらいでした。

 みにくいからだも、きらいでした。

 みんなはうすくてきれいなはねをもっていて、じょうずにそらをとべます。

 

 ぼくは、いつもおなかがすいていました。

 

 おいしいまほうは、ぼくがおいかけているうちにみんながたべてしまいます。


 ぼくは、むこうのせかいのあるとないのあいだで

 いたずらをすることもできません。

 ぼくのからだは、みんなみたいにうすくてひらひらで、

 きらきらしていないからです。

 

 みんなにきいたら、ぼくがおとなじゃないからとわらいます。

 

 ぼくは、いつおとなになれるんでしょうか。

 ぼくも、きらきらになりたいです。



 あるひ、あるとないをみてみたくて、むこうのせかいをのぞいてみました。

 むこうがこっちになるのはふしぎなきもちです。

 

 めのまえに、こころのいれものがありました。

 きらきらで、かわいくて、やわらかいからだ。

 そのからだの、あるとないのあいだでぼくはねむりました。

 あたたかくて、やさしくて、あまいきもちになりました。


 とても、うれしかったです。



 目が覚めたら、ぼくは僕になっていました。

 

 テープでぴったりと張り付けられたみたいに、出ることも、あっちに戻ることもできなくなっていました。僕にとって、こっちが僕の世界になってしまいました。


 おいしい魔法も、もう僕にとっておいしいものではなくて。

 大人になることも、もうできないみたいです。



 そんな僕の手を取って一緒に旅に出てくれた、王子様みたいなお姫様。

 あまいケーキみたいな魔法をくれて夢を見せてくれた、神様みたいな魔法使い。


 

 

 あなたたちに会えて、うれしかった。




 ぼくは、僕は……。





 ……ボクは、もういちど、





    キ

     ミ 

         た    

  +。        ち   

     に


 ***  +

      *。あ

   。      + 。ぃた

   . +*   ・   ぃ.+。


 

 

 部屋を満たしていた光が、静かに瞬きながら雪のように降り落ちている。


 全員が、何も言えず黙っていた。奇跡の後というにはあまりにも重苦しい代償で。なのに、目の前の景色があまりにも美しすぎて、なにを思ったらいいのかすらわからなかった。


「葵、できたよ、俺。なあ、ここにいるんだろ。……応えてよ」


「たくさんの光が見えてるのに、お前の色だけが無いよ……。確かに精霊たちの姿を見て、声を聞きたいと願ってたけど、なんで。なんで、どうして今なの……」


 うずくまった背中の向こうから聞こえてくる、囁くような、祈るような声が胸に刺さる。

 サフィールは確かにこの儀式を自分のために成したいといった。だけど縁も何もない私にずっとついてきてくれて、その旅の途中で大切なものを手に入れた結果の果てがこれだなんて。怒ったっていいのに、その気持ちを私たちにぶつけもしないで、ただひとりで抱え込もうとしている。

 こんな時になって初めて、とんでもないことをしてしまったという気持ちになってきた。


 アベルが悲しい顔をして私の方を見る。私もきっと、同じ顔をしている。


 止めるべきだったんだろうか。


 彼がこの儀式を為すのを選んだことも、本当はただの強がりだったのかもしれない。あるいは、昨日の夜のように短い人生の者たちに幸せを譲ることが、彼にとっては当然なことになっていたのかもしれない。

 だけど、ゆえにそれが本人にすら真に欲しかったことを曇らせて、私たちへ譲らせてしまったのだとしたら。


 ――だったら、私は、自分のことを許せない。

 

 私は静かに立ち上がり、杖を握りしめた。もしも葵の魔法が生きているならと希望にすがる。


 ねえ神様。もしもいるのだとしたら、これだけは我慢させないであげてください。

 葵も、そう思ってるよね。そう思いながら、宙に声をかけた。


『ねぇ、応えてあげて……』


 それに、私だって。



 ……葵に、会いたいよ。



 耳のそばで、ちりんと杖が鳴った。



「……?」


 ふと、目の端、祭壇の向こうに何かがよぎった気がした。

 耳を澄ましてみると、てちてちと小さな足音のようなものも聞こえる。その方向に目を凝らしてみると、淡く光る何かが祭壇に隠れるようにしてこちらをのぞき込んでいた。

 

 じっと見ていると、目があった。


 『それ』は、私と目があった瞬間ぴょこっと飛び上がって祭壇の後ろに隠れてしまった。だが、すぐにまたそろりと顔を出してくる。

 なんと表現したらいいのかわからないが、『それ』は、葵のような姿をした何かだった。

 そのままサイズだけ小鳥くらいに小さくして、頭には触覚、背中には翡翠色の翅。体に服は纏っていないが、六本の肢には手袋とソックスのようにもふもふとした毛が生えている。シンプルに言えば妖精と虫を足して二で割ったような姿だ。とても、かわいい。

 

 葵は不安そうに私とサフィールの方を交互に見て、私の顔を伺う。

 そういえば、こいつ虫苦手だったっけ。そのことは葵ももちろん知っていた。なるほどね、と思い、私は少し頭の中でシミュレーションしてみる。たとえこいつが暴れ出しても、乗っかって腕を押さえてフルパワー腕力ならたぶんいけるだろう。


 私は拳を握りしめて上下に振り、抑えるからおいで! と身振りで示す。葵はそれを見て、おそるおそる歩き出した。飛ばないんだ、てちてちという音がかわいいなと思っていたら、たどり着く前にサフィールが顔を上げた。

 

 葵がまた飛び上がって祭壇の後ろに隠れる。

 

「待って……! あっ!」


 サフィールは体にまだ麻痺が残っているのか、隠れる葵を追いかけようと起き上がってべちゃっと倒れる。その音にまた葵が顔を出した。心配そうにこちらを伺っている。サフィールは上手く身動きが取れないようで、先ほどまで葵の上にかかっていた白い布を握りしめてうずくまってしまった。



『いかないで、ここにいて……』



 掠れて震えた音で、祈りの声が響く。

 その音に呼応するように、雪のように積もっていた光がふわりと散り退いて、葵の前に道をあけた。葵はその様子を見てきょろきょろしていたが、祈るように胸の前で手を合わせ、意を結したようにうなずいた。


 葵が六本の肢で駆け出す。

 

 その足跡から、花びらのように翠色の光が散った。花びらは舞い上がってひらひらと踊る。それはいつか見た翅の色、私の小指に宿り続ける色だと思った。

 サフィールが再び身を起こす。同時にその胸に葵が飛び込んだ。彼は迷うことなく葵を包み込むように両手を胸に当てる。その手の向こう側から葵のくぐもった声が聞こえてきた。


「あの、怖がらないで……ください」


 サフィールは両手を大切なものを捧げ持つようにそっと開いた。その中から葵がぴょこっと顔を出して、不安そうにサフィールの顔を見上げる。彼はそうするのがやっとのように小さく頷いてうつむいた。震えているその手の指を、葵の肢が優しく握る。

 

「あのね、ボク、あの子の中でさっちゃんたちの事ずっと見てたんだよ。いまは、あの子の魂もボクといっしょになっちゃったみたいなんだけど」


 葵はそう言って自分の顔と体を肢でムニムニと触っている。

 

「だから、えっとね。あの子……『わたし』の分も言うね」


 葵の言葉に反応するようにサフィールが少しだけ顔を上げた。儀式のために結い上げていた髪が乱れてはらっと落ち、その表情を隠す。

 

「ありがとう。みんなの夢、いっぱい叶えて、いっぱいがんばって、えらいです」


 葵は器用に肢を伸ばしてサフィールの頬を撫でているようだ。白銀の御簾の向こうで、葵があのねと小さくささやいて、誇らしげに翅を開いてみせた。



「……ボクもね、おとなになれたみたい」



 一瞬の間をおいて、葵の上に水滴が落ちた。つづいて、押し殺すような嗚咽が聞こえてきた。



 ああ、確かにこれは千金の奇跡だ。

 男だから、大人だからじゃなくて、願い続けた者だから成すことができた魔法。


 私はまばたきをして上を見上げる。蝋燭はとうに消え、窓から差し込んだ夜明けの光が優しく私たちを照らしていた。

 

 白金の光は、いつの間にか現実のものに置き換わっていた。

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