第45話 贄


「……っ! はあっ……、っ」


 視界が戻ってくる。目の前がぼやけてうまく周りが見えない。いつの間にか、私は涙を流していた。愛しくて苦しい、燃え上がるような決意が胸を焼く。あの時の感覚がそのままに鮮烈に蘇ってきて、そのあまりの強さに私はうずくまってしまう。

 ――そう、私は思い出した。消し去っていた大切な記憶。自分が確かにエイシャの大教皇を引き継いだという事と、秘密にしておいた愛おしい思い出。ばらばらになっていた自分が、一つになった感覚がした。

 

「大丈夫?」


 顔の近くでアベルの声がして、私はうなずいて頬をぬぐった。少しクリアになった視界に、思い出の愛おしい相手の――兄の顔が映る。思わず私はびくっとして身を引いてしまった。まともに顔が見れない。

 

「あ、う……うん。これはもう、しまっておいていいわ」


 目をそらしてやっと告げると、アベルは不思議そうな顔をしながら箱のふたを閉めた。だめだ、その動き一つ一つに胸が苦しい。見れないのに、目が逸らせない。頬が熱い。

 

「で、どうだった? 気持ち変わった?」


 私たちの様子を見守っていたサフィールがにやにやしながら聞いてくる。私が赤くなっているのに確実に気づいているはずなのに、こういうところまじで腹が立つ。でも。

 

「好きな人が増えたくらいかしらね」


 そう言って、思いっきり睨んでやる。サフィールは口に手を当てて、へぇ〜と余計にニヤついた。私はため息をつく。無視して話を続けることにしよう。

 

「でも……、二人とも生きていてよかったわ」


「ん、二人って、他にもいるの? 彼は新しい王で、ナスカが久々に会ったときいきなりキスされた人って訳じゃないの?」


 サフィールはいまいちわからないといった様子で口を出してくる。というか、カルミアでちょっと話した程度の話を持ち出すな! そもそも、もしもの話って言った気がするんだけど!?

 

「あれは仮定の話だし……! ていうかそれ考えてニヤニヤしてたの!?」


「いや、珍しいこと言うな~って思ってたからずっと考えてた……」


「最っ低!! あの、アベルは聞かなかったことにして……」


「……」


 カリィとアベルが話しにくそうにうつむいている。一瞬、空気が冷えた気がした。二人は少しの間目を見合わせて、カリィがこちらを向いて神妙に話し始めた。

 

「覚えておるか? ひと月前帝都を離れる船の中で話したこと」


 ええと、と私は少し考えた。そういえば、そんな話を聞いたような気がするが、記憶が少しごちゃついていて混乱する。何だったっけ……?

 

「結論から言うと、サフィール殿、アベルを復活の魔法で治してほしいのじゃ」


「え? 俺!?」


 サフィールは自分に話を振られるとは思っていなかったようで、自分を指さして目を丸くしている。カリィはその服の袖をぎゅっと握りしめて引っ張った。

 

「無理を言っているのはわかっているのじゃ! 頼むのじゃ!!」


「カリィ、あんたねぇ、そりゃ過ぎた願いだよ」


「い、いやじゃ……」


 ライラが困った表情をしてカリィを窘めた。カリィはむすっとしてサフィールの袖の後ろに隠れている。そうだ、継承の儀式についての話だった。そこまで思い出して、私はふと一つの疑問に行き当たった。

どうして、二人とも生きているのだろう。

エイシャの王位継承の儀式は、神器を受け継ぐ儀式だという事は知っている。だけど、それ以上のことは過去の自分も知らなかった。双子の兄と旧館のことについてのこと以外で思い出したのは、記憶を取り戻す前の自分が覚えていたよりも少し詳細なエイシャの歴史と精霊とのかかわり方、そしてエイシャに恵みを与える儀式での振る舞い方くらいだ。つまり、夢以外のことは覚えていた記憶と変わらないのだった。

 つまり、記憶通りであれば彼らは首から下の一つの体を共有していたはずだ。でも、帝国学院に来ていたカインも、今目の前にいるアベルも一人の人間だ。彼らになにが起こったのか、よくわからない。

 

「あの、お兄ちゃんたちは二人で一人だったはずで……結局あれからどうなって、こんなことになっているの? それに、生きているのに復活の魔法って、訳が分からないわよ」


「それは……」


「待ちな、エイシャのことをこれ以上よそ者の前で話すわけにはいかないよ」


 アベルが話しかけたのを肩に乗ったライラが遮る。確かにサフィールと、会話に参加してはいないけどその横で座っている葵はよそ者ではある。だけど、私にとってはよそ者じゃない。

 

「私が大教皇として許可します。この人たちは私の大事な友人、失礼なことは許さないわ」


 私は思い出した振舞い方で話す。ライラは私の方を見て、渋々といった様子で黙った。

 

「俺も、アベルくん……でいいのかな。君の話をちゃんと聞きたいかな」


「ありがとう。えっと、知らない人にどう説明したらいいのかわからないけど……。僕は双子であるカインと、首から下の体を共有していたんです。あの、想像できますでしょうか?」


 サフィールは頷いている。治療師であればそのくらいの知識はあるということなのだろうか。

 

「僕たちはこの旧館に隠されて育てられていたんです。さすがに公表するわけにはいかなかったんでしょうね。ただ、王になるために必要な剣術を教えられることもありませんでしたし、本当にただ毎日を過ごしていただけでしたから、いずれ命を失う運命にはあったと思います」


 アベルは俯いて、祈るように手を組んだ。

 

「そして僕たちが十八になった日、父上がこの旧館にやってきました。エイシャの王位継承の儀式は、新しき継承者となるもの……王族の男子が成人となる十八となったときに行われます。剣で戦いあい、勝った者がカリィとライラを引き継ぎ、王となることができるんです。――父は、きっと自分が勝つ算段だったんでしょうね。でも、現実は違った。大教皇の従者であるモーマスが、ナスカの命令で僕たちを王にしようとしていたんです」


 私はあっと声を出す。

 そうだ、私は確かにお兄ちゃんたちを支えてほしいと言ったのだった。

 

「剣技の修行、地獄みたいだったよ……」


 アベルはそう言って苦笑いした。

 

「だけど、そのおかげでカインは勝ったんです。父上に斬られ僕を失っても、精霊魔法で自らを癒して、僕の左腕を自分のものにして、一人の人間として生き残り王となりました」


「継承の儀式という言葉はていが良いが……実質あのようなものは父子、兄弟の殺し合いではないか。それが、何百年と繰り返されておるのじゃ。工師様はわしになぜこんな役割を託したのじゃ……」


 カリィがこれ以上聞きたくないといった様子で頭を抱えた。隣で座っているサフィールが肩を抱いてやっている。

 

「もう嫌なのじゃ……だから、わしは継承を否定してしまった」


「そう、そうしたらライラが父上の体から離れて僕を生かしてくれたみたい。その時は意識がなかったから、気が付いたらこの体になっていたんだけど」


 アベルはそう言って私の手に触れる。たしかに皮膚は柔らかかったけど、そのすぐ下には何か固い殻のようなものがあって、人間の肌の湿度も温度も存在していなかった。握り返すと、ぎし、と殻がきしむ音がした。サフィールも失礼するよ、とアベルの反対側の手を触って、難しい顔をする。

 

「言う通り自動人形の機構っぽいな。ライラの方は継承すべき体がなかったから、誤認識を起こしてアベルの体を補ってしまったというわけか。カリィは見た通り武器型の自動人形、だけど高度な制御が必要となる構造だ。それを制御する能力を持った補助装置としてライラが存在しているといったとこかな」


「……やけに詳しいのね」


 カリィの扱い方も私以上に知っていたし、本当に妙なくらい詳しい。やはり、彼は学院長と何かしらの知り合いなのだろう。白き翼の民は永い時間を生きるというし、その暗い昔に生きていても不思議じゃないのかもしれない。

 

「まあね。おおかた、『工師マスター様』は、古くから続いているエイシャの儀礼に乗っかって実験でもしようとしたんだろう。酷いことをする」


「……わしは遣わされた身とはいえ、このエイシャという国を、守り続けてきた王家の子供たちすべてを愛しておる。どうか、救ってはくれぬじゃろうか」


「その思いはよくわかるけど……」


 サフィールがアベルの方を見て、困った表情をする。

 

「さすがに心臓がない体を蘇らせることはできないよ。というか、残存部の機能が維持できているのも不思議なくらいだ。さすがに限界が近いんじゃないの」


「あはは……見抜かれちゃいましたか。すごいですね」


 アベルは気まずそうに笑っている。私は驚きのあまり声を荒げてしまう。

 

「限界って何!? どういうことよ!」


「言っている通りだよ。本来自動人形は生体の補助には使えても生命維持をすることはできない。もう一月くらいになるんだろ。持ってあと数日と言ったところだね」


 持って数日だなんて。私はにわかには信じられなかった。だが、アベルも、他のみんなも否定しない。

 

「じゃあ、どうにもできないっていうの!?」


「治療師してて、同じようなケース……結合双生児の分離術式は何度かしたことがあるけど、命の根源である心臓だけは代用が聞かないんだ。どちらの魂が生きるかを選ぶしかない。もし両方救いたいなら、贄が必要になる」


 贄。


 つまり、代理となる心臓を持つ生きている人間が用意できるなら可能という事だろう。だけど、もちろんそんなあてはない。

 

「あの……」


 黙って座っていた葵がおずおずと手を上げる。全員が注目した。

 

 

「それなら、わたしの体を使ってください」



「えっ……!? だ、だめよ、そんなの……!」


 とんでもないことを言う。いったい何のつもりなのだろう。

 疑似人格と言えど、葵なのだ。心臓を与えるという事は、つまり死んじゃうってことでしょ。そんなこと、許せるわけがない。

 葵はサフィールの袖を引いて顔を覗き込む。


「ご主人様、わたしのわがままを聞いていただけませんでしょうか?」


「えっ……と、それを言われたら、弱いんだけど……」


 サフィールはどうしたらいいかわからないといった様子でゆっくりと目をそらした後、俯いて固まってしまった。

 葵は真剣な目をして、もう一度私を見上げる。葵の瞳に偽りの色は見えない。


 気持ちが揺さぶられた。

 

 本当はわかっていた。大切な人を失ってしまうことを許せるわけがない、葵の魂はどう思うのか考えないとなんて、葵を失いたくない私たちの気持ちから出たことにすぎない感情だ。

 きっと、私の知っている葵も、同じように自分の身を捧げるのだから。

 あの日魂の自由を代償に奇跡を使った時のように、キミたちは大丈夫だから僕にまかせて、って。たとえそれが炎に身を投げるようなことであっても、彼女はたやすく選んでしまう。


 誰かのために自分自身を捧げること、それはエイシャの常識では最も尊い行為だ。

 だけどやっぱり、じゃあそうしましょうなんて言えるわけがなかった。

 

「あの……、今日は移動で疲れてるでしょうし、一晩考えませんか? 僕もナスカに記憶を取り戻してもらうという目的は終わりましたし、今日は体の調子も悪くないんです」


 アベルが微笑みながら言う。生命に関する儀式をするなら夜明け前がいいだろうという事になり、私たちは早めに休むことにした。

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