第41話 魂と記憶とこころ
私たちは人に見られないように裏路地を通り、宿の裏口に辿り着いた。
全員血まみれだし、葵は意識を失って私が抱きかかえているしでさすがに正面から入るのは気が引けた。使用人に幾許かの口止め料を払い、鍵を開けてもらう。
階段を上がり、すぐのところにあったサフィールの部屋に入った。
部屋の中は明日の旅立ちに向けて荷物などはすでに片付けてあり、お香のような匂いがかすかに残っていた。サフィールは壁にかけていたいつも着ている方のローブの袖から、薄いシーツのようなものと何本もの瓶を取り出した。瓶を机の上に置き、ベッドの上にシーツを引く。
「この上に寝かせてあげて」
私が言う通りに葵を寝かせている横で、先ほど出した瓶の中身を飲み干している。かなりの刺激物のようで、飲むたびに大きく息をついていた。というか、さっき確実に内蔵やられてただろうに、そんなもの飲んで大丈夫なのだろうか?
サフィールは私の目線に気づいたのか、瓶の中身を示しながら言う。
「これ?
お酒を飲んだ時のように、少し赤くもなっている。抽出には強いアルコールかそれに類したものを使うのだろう。最後の一本は何度も休みながら飲み切っていた。
「さて、やるか……、と言いたいところだけど。ひとつ、話しておきたいことがある」
「何よ」
「……えっと、俺は今からこの子を起こす。だけど……」
エーテルを飲んでいるときの気合の入れ具合とはちぐはぐに、妙に歯切れが悪い。
「だけど……何よ?」
「多分、目覚めるのは葵じゃない」
「えっ……?」
あまりのことに何も言えなくなってしまう。
だけど、少し予感はしていた。さっきの時間を止める魔法、そして、心の中に響いた葵の言葉。葵があんな魔法使ったのを、見たことがない。これはきっと、その代償なのだ。
「葵はきっとこの体の中に居る。でも起きるのはこの子だってこと。あと、起きたこの子がどんな反応しても、ちょっとだけ我慢しておいてもらえると嬉しいかも」
「よくわからないけど……わかったわ」
「ありがと」
サフィールは巻物を開いて、呪文を唱える。白き翼の民の言葉だ。二人の間に四角い魔法陣のようなものが浮かび、サフィールが指を動かして何事かを書きはじめた。少し考えて何かを書き、私を振り向いた。
「葵からの呼び名、ナスカでよかったよな?」
「え、うん、そうだけど」
「わかった」
入力が終わったようで、魔法陣が空間に溶けるように消えた。数秒の間をおいて、葵の唇が動く。
「――帝国語モードで起動します」
機械音声のような、単調な声だった。葵はいつものように眠そうによいしょ、と言った感じで起き上がる。そして、可愛らしく膝に手を置き、サフィールと私を順番に見た。
「はじめまして、ご主人様、ナスカ様。私は、お人形(ストラシス)第二世代……以降ご希望により形式型番等省略、登録名称『葵』と申します。よろしくお願いいたします」
そう言って『葵』はぺこりとお辞儀をした。仕草や声は似たような感じなのに、ふるまい方は別の人格のようだった。私は呆然としてしまう。
「葵、どうなったの……」
「これから確認するから。その前に、ちょっとだけごめんね」
サフィールはそう言って両手でぽんぽんと葵の体に触れた。固まった血がはがれて、粉のようにシーツに落ちる。葵は真っ赤に染まっている自分の服を怖がりもせずにじっと見ていた。
「見たところ大きな怪我はなさそうかな。痛いところはない?」
「はい。でも……」
「でも?」
葵が胸を押さえる。
「ここの奥が、熱くて痛い気がします。痛覚のない場所のはずなのに」
胸が詰まる。
それは、きっと葵の魂の痛みだ。もしもあの時体から離れてしまったのだとしたら、私が見逃すわけない。私は小指を見た。葵が塗ってくれたネイルが、もはや誰のものかわからない血に塗れて、それでもその下から輝きを放っていた。
「この子たちは『
「といっても、俺たちと同じ構造の身体だから……。魂が何らかの原因で表に出られなくなったり離れてしまったりしたら、こうやって擬似人格を起こさないと生命の維持ができなくなって死んでしまう。もし魂が閉じ込められていたとしたら、そのまま体と一緒に消えてしまうから……。だから、こうするしかなくて」
サフィールは誰に言うとでもなく、いいわけをするようにぽつぽつと話して、
「ごめんな……」
そう一言言ったきり、項垂れて黙り込んでしまった。
その様子に、急に怒りみたいなイライラみたいな感情が湧き上がってきた。私はその首根っこを掴む。そのまましゃきっとさせるように引っ張り上げた。
「んんっ!?」
「……あのね! あんたがそれでどうするのよ!! こうやって葵のこと起こしてあげれたから、希望がつなげたんでしょ!」
「ね、葵」
うっかりいつものノリで葵に話しかけてしまう。葵はにこにこしながらうなずいた。
「はい、ナスカ様。わたしの
「メモリー……。そうか、魂とは別に記憶があるのか」
葵の記憶。間違いない、彼はたまに頼りない時もあったけど、いつだっていざという時には私たちを庇護してくれる強い大人だった。
いや、そうあろうとしていたんだ。
今だって誰よりも一番つらいくせに、私が傷つかないように気を遣ってくれている。
……そっか、だからこそだ。
私は子供扱いも女扱いも嫌だというくせに、無意識に彼に頼って、何とかしてもらおうと思っていた。そんな自分に、腹が立ったんだ。これじゃ、いつまでたっても変われない。
私はサフィールの肩を掴んだ。
「サフィール!」
「は、はい!?」
突然名前を呼ばれて驚いたのか、彼は固まってまばたきしている。私はかまわず手に力を籠めて、その目を見据えた。
「今度は私があんたを助ける番だから! 一緒に葵の魂を取り戻すわよ!! ……あっ、ど、どうやってかは……これから、考えるけど」
かっこいい事言おうと思ったのに、余計なことを言ってしまった。全然決まらない。サフィールはじっと私の目を見つめ返した後、ゆっくりと両手で顔を覆った。
「……うん、助けてほしい」
「俺、精霊の姿見えないし、声も聞こえないから。きっと葵の魂がどこかに行っても、見つけてあげられない……」
「ご主人様、わたしはここにいます」
葵が心配そうにサフィールの背中をさすった。そうだ、葵はまだここに居る。希望を捨てちゃいけない。サフィールはゆっくりと顔をあげ、私たちの顔を確かめるように見る。
「……ん。そうだな!」
サフィールは気合いを入れるようにそう言って、背を伸ばして座りなおす。
「情けないとこ見せてごめん。まずはナスカとの約束を守らなきゃ。明日、予定通りエイシャに出発しよう」
「……あ!」
出発と言われて私はふと思い当たることがあった。改めてきちんと片付けられて旅立ちの準備をしているこの部屋の様子を見て、一気に冷や汗が出てくる。
「どうした?」
「部屋の片づけと出発の準備、終わってなかった……」
「……」
サフィールがどん引いた目線を私に向けた。
「だ、だって昨日巻物渡されてから、ずっと悩んでて……!!」
そうなのだ、私だって何も考えていなかったわけじゃない。
「仮住まいだし、出立のめども決まってるんだから片づけはするだろ……?」
それを言われては何も言えない。
ぐぬぬとなっていると、葵があっと声を上げる。
「わたしのメモリーにも、荷造りをしていた記憶がないです。昨日は服を選んでいて、そのまま寝てしまったような……?」
葵はうーん、と考えた後、首をかしげてサフィールの袖を引く。
「ご主人様、手伝ってください……」
「寝ちゃったならしょうがないかぁ……いいよ」
態度違いすぎない!?
……でも、ある意味いつも通りのような感じもして、少しほっとしている自分もいたのだった。
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