第39話 翡翠色の魔法

「心臓は最後に残そうね」


 ジルが葵の肩を抱いて囁く。

 

 やめろと言いたいのに、止めたいのに体が動かない。

 

 嫌だ。葵にそんなことさせないで。

 私たちから、私から、もう奪わないで――!

 

 葵はメイスをゆっくりと持ち上げる。私は目を瞑った。


 ――次の瞬間。

 少し離れたところでカランカランと金属が転がる音が聞こえた。


 目を開けると、葵がジルに後ろ手に捕らえられていた。葵はきれいに結いあげた髪が掴まれて乱れるのもかまわず、声を上げる。

 

 

「さっちゃん、聞こえてる……!?」


「ちょっとだけ、時間、つくるから! ナスカを癒して……!」



 葵の言葉に応えるように、空間がゆがんだ。

 

 叫んだ瞬間にはじけ飛んだ葵の髪飾りが、空に浮いている。

 私とサフィール以外のすべてが翠色に彩られ、凍り付いたように止まっていた。サフィールは体を起こし、私に這いずって近寄る。ほんの少しの距離なのに、何度も咳き込んで、そのたびに口を押さえて。

 

「何してんの! 私より、自分のこと治しなさいよ!!」


 口を動かしたはずなのに、音が耳に帰ってこない。


 サフィールは首を振って、手で私の膝に触れた。痛みの予感に一瞬身構える。だが、触れられたのに、なぜか痛くなかった。彼は短く何度も息を吸って目を閉じ、私の膝を触れるか触れないかの強さで撫でていった。撫でられたところから痛みが引いていく。


 サフィールはもう一度息を吸いこみ、私の膝に息を吹きかけた。


 ぱちぱちと何かが光るような感覚。


 砕けていた骨が、ちぎれていた腱が一つずつ、元に戻っていくのを感じた。足を動かしてみると、痛みもなく動く。サフィールは私の足が元に戻ったのを確認すると、ほっとしたように表情を緩めて私の肩を叩いた。

 

「あと、たのむな」


 サフィールはそう口を動かして、地面に倒れ込む。

 どさりという音とともに、世界に音が、色が戻った。

 葵の髪飾りが地面にぽとりと落ちた。葵自身も糸が切れた人形のように力を失う。ジルは舌打ちをして葵を抱え直し、メイスを取りに走り出した。

 

「待ちなさいよ!」


 ――絶対に許さない!!


 そう思うのに、打たれた膝のことが頭にちらつく。

 それに、あいつは葵のことも抱えたままだ。私も葵を盾にされたらきっと剣を振れない。きっとこれが最後のチャンスなのに、足を踏み出すごとに失敗のことばかりが頭に浮かんで、追いつくイメージが思い描けなかった。

 

 歯を食いしばろうとしても歯の根が合わない。

 手が震えて剣を落としそうだ。

 怖い、弱虫、だめだ、無理だ、馬鹿!

 

『大丈夫』


 急に、頭の中に声が響いた。聞きなれた声。葵の、優しい声。

 

『ナスカの可能性を『ある』にしたから』


 ある? こんな時まで、よくわからないことを言う。本当に不思議な子だ。でも、なぜだかその言葉が心にしみこんでいく。私の心を奮い立たせる。

 

『だから――』



斬って。



そう心臓に重なるように、言葉が響いた。


いつの間にか、体の震えが止まっていた。



「――斬れば、いいのね!」



 私が信じなければ、戦わなければ、何もかも終わってしまう。そうだ、私は葵のことを疑わないって誓ったんだ。

 私は葵の言葉を胸に足を上げた。

 踏みこんだ足が羽のように軽い。一歩一歩が正解の動きで距離を詰めていく。


 私はあっという間に二人に追いついた。ジルがこちらを振り向いて、驚いたような顔をする。とっさにジルの手が伸び、私の左手を掴んだ。

 引っ張られる感触に踏みとどまる。拳の骨がずれて、砕かれる感触があった。


 ――こんなんで、止められると思ってんの!


 私は葵とジルの間に迷わず剣を走らせる。

 まるで何かに導かれるように、剣の軌道が二人の間を縫うように踊った。ジルの両腕だけが落ちる。支えを失った葵が地面の上に倒れ、白いワンピースが流れた血でぱっと赤く染まった。


 私は返す刀でジルの胸を貫く。吸い込まれるように、肋骨の間をすり抜けて心臓を射止めた感覚があった。だけど、絶対に、力を緩めてなんてやらない。

 剣の軌道を思い切り下に向けて、ジルの身体を地面に縫い付けた。


 私は炎の精霊に念じる。


 ――絶対によみがえることがないように、この心臓を焼いてしまえ!!


 剣から炎が燃え上がる。真っ赤な炎がジルの心臓を、体を燃やしていった。



 その体は、灰も残らずに焼け落ちた。

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