第36話 ストロベリー・ショート・ケーキ
◇今回はサフィール視点のお話です◇
それは、突然葵から告げられた。
「さっちゃん、明日、どこか行きませんか」
「えっ……」
俺は、飲みかけの水の入ったグラスを思わず取り落としそうになる。
夕食後の宿の食堂。ちらほらと人は見えるがほとんどの人は自室に帰っている。ナスカもそうだった。「今日は疲れたので早めに休む」と言って部屋に引っ込んでしまった。
つまり、ほぼ二人きりの状態だ。
「あ、えっと……近いうちにエイシャに発つなら、その前に思い出作りたいな、なんて」
葵はちょっと頬を染めて、上目遣いでこちらを見ている。
「もちろん! どこ行く!?」
「さっちゃんの行きたいとこなら、どこでもです」
「どこでも……」
つまり、お任せってことだろう。カルミアでの生活の中で、いつかお誘いできるチャンスが来ることを信じてその手の情報はチェックしていた。自分から誘えなかったのは残念だが、この際それは気にしないことにしよう。
「わかった。いいところ考えておく」
葵はこくりと頷いた。ヤバい。今日の夜は眠れないかもしれない。
***
――翌日の昼過ぎ。
朝方にギルドの簡単な依頼を済ませておいた。髪を結って、いつもの法衣を略式にする。防御性は減るが、狩りに出るわけでもないので特に問題はないだろう。
少し早く待ち合わせ場所のラウンジに向かったつもりだったが、すでに葵は準備して待っていた。階段から降りてきた俺の姿をみて、小さく手を振ってくる。
カルミアに来てからお気に入りになっているツインテールに、随所に花の装飾をあしらった白いワンピースと白いサンダル。さらさらの水色の髪が窓から差し込んでいる光を反射して、淡く輝いている。
え、何、俺はこの子とこれからデートするの? 死んじゃわない? 大丈夫?
そんな気持ちをできるだけ表に出さないように、俺も小さく手を振った。
「待たせちゃった?」
「ううん」
葵は首を振る。
「今日の葵、いつもよりさらにかわいい。服の色合わせてくれたの? 嬉しい」
俺の言葉に葵ははにかんでこくりと頷く。
「さっちゃんも、今日は髪あげてて、かっこいいです」
そう言って俺の首筋を見つめてくる。普段見せていない部分を見られるのは、なんだか恥ずかしい気がして耳が熱くなる。
「そりゃ、好きな子にお誘いいただけたから気合も入るよ」
今日は絶対いい日にする。
そう思いながら最初の目的地のカフェに向かった。
カフェは海沿い通りに建っていた。白壁に配置されたステンドグラスが海の色に映える、美しいたたずまいの建物だ。午後には果物の甘味のメニューがあり、なかなか人気の店らしい。話を聞いてきのうの夜のうちに予約を取っておいたのだった。
「すごい……どれもおいしそうです……!」
葵はメニューを見て目を輝かせている。
「どれでも頼んでいいよ」
俺がそう言うと、葵はさらに目を輝かせた。
メニューには旬の果物を使ったパフェやタルト、ケーキなど、好きな人なら大喜びするようなお菓子たちが並んでいる。他の卓に供されているものやほかの客の反応を見る限り、値段とボリュームのバランスも良く、新鮮で美味しいものなのだろう。
だけど、正直に言うと俺は甘いものが食べられない。
果物もこの後の体調のことを考えたら避けたほうがいいかもしれない。何かないかと探して、メニューの下の方にコーヒーゼリーの文字を見つけた。
葵は苺のケーキを頼んだ。
帝都の菓子店でもよく見る形の、白いクリームに包まれて苺が乗っている三角形のケーキだ。分厚くて白い皿の上に乗せられ、クリームと苺の輪切りが添えられている。
「おいしそう……」
葵は銀のフォークを手にうっとりとケーキを見つめている。どこから食べようか考えているようだ。それにしても。
「他にもいろいろあるけど、それでよかったのか?」
見た目にはクリームとケーキ生地、それと苺だけ。メニューには様々な果物が乗ったタルトや、豪華な盛り付けをされたパフェもあったのに、どうしてそれを選ぶんだろうか。
「うん。シンプルだからこそお店の良さが出るんだよ」
そういうものなのかと見ていると、葵はフォークでケーキの先を少しだけすくって口に運んだ。目を閉じておいし~! と味わっている。
美味しかったならよかった。そう思って自分も食べようとスプーンを手に取ったが、葵がじっと俺を見つめているのに気が付いた。
「それにね」
葵が目線を再びケーキに落とす。
「似てるなって」
葵の持ったフォークの先がすすっと動く。
銀色の先端がケーキに乗った苺を撫でて通り過ぎ、周囲を薄く纏うクリームを割いて生地を崩した。
かさ高に作られたケーキは、間に挟まれたクリームと苺の層で折れて倒れる。
葵は丁寧にそれをひとまとめにしてフォークですくい、口に運んだ。ゆっくりと味わって飲み込んで、またフォークを滑らせて、生地を崩す。
その動きのひとつひとつから目が離せない。ひどく、喉が渇く。
「似てる……」
やっとのことでひとこと、掠れた声が出た。
「白に赤って、かわいいと思うんです」
葵は俺をちらりと見る。
そして、ケーキに乗った苺をフォークですくって皿に置き、フォークで突き刺した。皿の上に添えられていたクリームをたっぷりとすくって口に運ぶ。葵の歯が苺の果肉を優しくかじり取った。
俺はなぜか見てはいけないものを見てしまったような気がして、あわててコーヒーゼリーを一口食べたが、なぜかまあまあ砂糖が入っていた。
カフェを出て近くの砂浜に向かう。ギルドでも宿でも、なじみの店でもおすすめしてもらった。町に長く滞在している人なら誰もが一度は訪れているおすすめの場所らしい。
砂浜に着くと、葵がわぁっと感嘆の声を上げる。
美しい、白い砂浜だ。
遠くの大きく付き出した岬から海岸が緩やかなカーブを描いてこちらのほうまで伸びている。海は透明度の高いエメラルドグリーンで、水が優しい波音を立てながら波打ち際に寄せている。海岸沿いには椰子の木や美しい花々の咲く木が並んで、それに沿ってベンチや東屋が所々に配置されていた。
まだ遊泳には早い季節だが、ちらほらと友人同士や恋人同士、家族連れが過ごしている姿が見えた。
葵はサンダルを脱いで、はだしになる。
「砂、あったかい! さらさらしてます!」
そう言ってきゃっきゃっと笑いながら足で砂を撫でている。乾いた細かい砂粒が、足の指の間から零れる。小さな桜色の爪が、貝殻みたいだと思った。
たしかに楽しいかもしれない。
だが――眩しい。
一歩でも影から出ると何も見えない。はだしではしゃぐ葵の素足と白いワンピースが、比喩的な意味でも物理的な意味でも両方でまぶしすぎて頭がくらくらする。
そもそも砂浜って、何をするところだっけ? 水に入る季節でもないし、そういう季節でもこんな開けた海岸で不特定多数の人前で肌を見せるなんて無理だし、何してるか他人を覗き見るのもあれだし、そもそも見えない。なんだか頭も痛くなってきた……。
そんなことをぐるぐると考えていたら、葵から声がかかる。
「眩しい?」
「そ、そんなことない」
「これ、なんほん?」
葵は恐らく指を差し出している。が、ぼやけてよく見えない。焦点が合わせられない。
俺は目を閉じて首を振る。
「ここで待ってて」
そう言って、葵はどこかへ行ってしまった。仕方ないのでそばにあった日影のベンチで目を閉じて待つ。しばらくするとぱたぱたと音が聞こえて、葵が帰ってきた気配がする。葵は俺の隣に座った。
「ここ、横になって」
葵は自分のスカートをポンポンと叩いている。俺は言われるままに膝の上に頭を乗せると、すぐに目の上にひんやりとしたなにかが乗せられた。ハンカチを水につけてきてくれたのだろうか。癒しの術もかけられているようで、心地よい。
「ごめん……」
「ホントです」
葵はちょっと怒っている様子だ。楽しませるつもりだったのに、申し訳ないことをしてしまった。
よくよく考えたら、この手の純粋な昼間のデートはしたことがなかった気がする。今まで俺が女の子としていたことといえば、怪しげな音楽が流れている薄暗い店でお酒を飲んだり、胡散臭い店の並ぶ通りで宝飾や服を選んだり。で、そのあとは……みたいなのばっかりで。もうちょっと健全な経験もしておいたらよかった。
そんなことを考えていると、上から声がかかる。
「さっきのとこも、ここも、素敵だったけど。さっちゃんの行きたいところじゃないよね?」
「へ……?」
予想外の言葉を投げかけられて。俺は呆けた返事をしてしまう。
そういえば、昨日はそんなことを言われていたような気もする。
「僕は最初からそう言ってました。さっちゃんがこの町でいちばん楽しかったとこに、連れてってほしいです」
「一番って……」
それなら思い当たる場所がある、だけど。
「葵にはそんなに楽しくないんじゃないかなぁ……」
俺は目に当てられたハンカチをめくる。視界に控えめだが柔らかそうな胸と、ちょっとむくれた顔が現れる。そうだ、膝枕されているんだった。せっかくの幸福な状況なはずなのに、まだ若干目がちかちかするし、頭の後ろで結った髪がぐちゃぐちゃになっているのを感じて気が気ではない。
「勝手に決めつけないでください」
「そんなこと言って、大人なお店とかだったらどうするの」
「そんなお店いってたの!?」
葵は顔を真っ赤にする。
「違うよ」
葵はもうっ、と言って俺の額をぺちっと叩いた。俺は笑いながらゆっくり起き上がって、髪を結い直す。
「じゃあ、行く?」
葵は無邪気に「やったー!」と手を上げて喜んでいる。ほんとうに引かないでよ、と予防線を張りながら、馴染みの場所に向かった。
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