第34話 ふたりの秘密

 Sランクの依頼をこなしたことで、三人ともBランクになることができた。


 飛び級でSランクを選ぶこともできたようだが、最初に相談した通りあまり目立たないようにということで保留にしておいた。


 シャルロットは何度も礼を言い、カルメルに帰って行った。

 色々と理不尽なところはあったけど、十分な報酬はもらえたし、彼女にも事情はあったのだろうと思うとあまり責める気にはなれなかった。自分を悪者にしてでも為したかったことなのかもしれないし、私たちを過大評価したのかもしれない。今更考えても仕方ないことだけど。


「あ、みっけた」


 よく晴れた日。

 青々と茂った野菜畑の中で、私は慎重に目の前の盛り上がった土の近くにシャベルを刺す。土の感触を確かめながら少しずつ押し込み、一気にはじき上げた。

 キュイ! と短い声を上げて土と混ざった粘性のかたまりが跳ねる。べちゃっと地面に落ちたそいつ――スライムは、目を回したようにぺちゃんこになっていた。

 

「氷の精霊さん、その子を固めて!」


 葵が呪文を唱える。白い光が舞って温度を冷やし、目の前のスライムを凍らせた。私は農作業用の手袋をした手で凍った塊を拾い上げて、油紙を貼ったかごにほうりこむ。

 かごには同じようなスライムの氷漬けがいっぱいに入っていた。

 下の方は溶けてうにょうにょと動いている。これだけいると、まあまあ気持ち悪い。

 

「今日はこのくらいかな」


葵はかごに蓋をして、封印の魔術をかける。


「お嬢ちゃんたち、ありがとう!」


 畑の主がちょうどかごを取りに来てくれたようだ。両手に一杯の果物を抱えている。

 

「君たちのおかげでだいぶスライムがいなくなったよ。本当に助かった。これ、不揃いで出荷できないものだけど、味はいいから食べて」


「わあ、ありがとうございます!」


 私は手袋を外して手を拭いて、果物を受け取る。

 あれから一週間。私たちはこつこつと依頼を受けてお金を溜めていた。葵と二人だけだからCランクの仕事に限っていたが、先日の依頼でほぼお金はたまっていたので割と苦労なく目標額に達しそうだった。

 サフィールは、早く回復するためには清浄な空間で魔力を使わないようにしておく必要があるという事で、部屋でできる依頼を主に行っていた。古代魔導書の翻訳とか、論文の資料整理や代筆とか、ギルド外のものも含めて色々なんだか難しい事をしているみたいだ。

 

「もうすぐエイシャに行けるね」


 ギルドへの帰り道、葵がにこにこしながら言う。ダンジョンから帰ったばかりの時はこの世の終わりみたいな顔をしていたが、ようやくいつも通りに笑うようになってきた。

 

「あいつの手が元通りになったらね」


「うーん、あと爪がちょっと、って言ってた。形がまだあんまりきれいじゃないって」


「ほーん……」


 女子みたいなことを言う……と思いながら自分の手を見る。爪が不ぞろいでがさがさしてるし、ところどころ割れてたりする。さらに、さっきまで土いじりしていたから指も黒く汚れている。自分は気にしなさすぎかもしれない。

 

「ナスカも、爪気になる?」


「えっ……ああ、まあね」


 突然葵に言われてどきっとする。同時にきれいじゃない指を見られて少し恥ずかしくもなった。果物の入った袋を抱える指先の爪は、ピンク色でつやつやしていていた。

 

「後で宿のお部屋きて。かわいくしてあげる」


 葵は私の顔を覗き込む。かわいく……と言われると、なんだか照れてしまう。

 なにしろ今まで自分を飾ることは考えたことがなかったから、なんだか柄じゃないような気がする。でも、ちょっとだけ興味もある。私は控えめにうなずいた。



***



 葵の部屋は私と同じつくりで、ベッドと小さな机、いすだけが置いてあるシンプルな部屋だ。手は洗面所できれいにしてきてねと言われたので、がっしがしに洗っておいた。

 机の上には花が活けられていて、小さな小瓶とやすり、小さな木のへらなどの道具がいくつか置いてある。なんだか、いいにおいもする。別世界に来たみたいだ。

 

「ベッドの上、座って、右手を僕の膝の上において」


 私は言われるとおりにした。葵は私の手を取って、包み込むように握る。木のへらや鑷子で爪の周りの皮膚や甘皮の形を整えた後、やすりで丁寧に爪先を削り始めた。最初は荒く、だんだん細かくして、なめらかになるように整えていく。それだけでずいぶんきれいになったように見える。

 

「ナスカには、どの色がいいかな……」


 葵は小瓶を眺めながらしばらく考えて、一本を手に取る。肌色に近いピンク色の液体が入っていた。

 

「動くとはみ出ちゃうから、楽にしててね」


 小瓶の中に入っている液体が爪に塗られると、少しひんやりした感触がした。爪に乗った液体はすぐに固まって爪の上に膜を作る。傾けると、少しキラキラした。控えめに光る粉が入っているみたいだ。

 

「この色、好きかも」


「だよね、絶対似合うと思ってた」


 葵は一本一本、丁寧に爪を塗っていく。最後に残った左の小指を見ながら、葵は少し考えこんでいる。

 

「ね、違う色も塗っていい?」


 私は頷く。葵は他の小瓶を取り出して、薄翠色の液体を塗った。光に傾けてみると、白や深緑に色を変えてきらきらと光る。

 

「きれい……。この色も、好き」


 葵はえへへと笑って、私の小指を撫でる。

 

「ナスカは、精霊さんが見えるんだよね。こんな色、見えたことある?」


 私は記憶を巡らす。見えるようになってからのわずかな記憶に残っている限りで、あるような、ないような……、と思ったところで、一つ思い当たった。でも。

 

「うーん、ないなぁ」


「そっか……」


 葵は少し残念そうな顔をして、小瓶に入ったクリームを手に取る。くるくると手をこすり合わせて伸ばし、私の手を握った。柔らかくて、あたたかい。

 

「僕、ナスカの手……好きだな」


「そんな……硬いし、いつもは爪だってきれいじゃないし」


「頑張りやさんの手だよ」


 両手の親指で私の手のひらを揉みながら葵が言う。午前中シャベルをずっと持っていて疲れていたのでかなり気持ちいい。窓から降ってくる午後の光のぬくもりもあいまって、だんだん眠くなってきた。ふわふわした気分のまま、つい言わずにおいておこうと思ったことも言ってしまう。


「あいつの手に比べたら、全然だめじゃない?」


 白魚のような手とはああいうのをいうのだろう。詳しく見たり触ったりしたことはないけれど、刻まれた呪術の紋様以外には、傷ひとつない手だ。所作一つも儀式めいていてしなやかで、私の手とは真反対だ。

 

「さっちゃんは、また違うよ。……特別で、誰とも違う」


 まあ、それはそうだろうな。葵は頬を染めてうつむく。少し考えた後で、顔をあげる。

 

「あのね、僕、許嫁というか……決められてる相手がいて。でも僕ね、その人のこと……苦手なんだ」


 初耳の話だ。とはいえ、、貴族であれば珍しい話ではない。そもそも私も婚約者がどうこうと父様からの手紙に書かれていたし、その真偽を確かめるためにエイシャへ向かっているのだ。

 そして、葵の言葉に思い当たるやつはいる。帝都を出るときに襲ってきた赤髪の少年。私と一緒に葵を連れ帰ると言っていたような気がする。確かに話を聞かなさそうだし、暴力的だし、正直怖かった。


「そっか、初めて聞いたかも」


「うん……変な話して、ごめん」


葵はなぜか縮こまってしゅんとしている。


「ううん、葵の思ってること、話してもらえてうれしい。もっと聞きたいなって思ってた」


 私は葵の手を握る。

 

「たぶん、その人は僕のこと好きなんだと思う。でも、僕のこと想ってる人のこと、苦手って思ってもいいのかな」


「他人は他人じゃない? 好かれてるからって、好きになるかは自分次第でしょ」


「そっかぁ……!」


 葵は顔を上げる。一瞬晴れやかそうな顔をしたが、また恥ずかしそうな顔で縮こまってしまった。

 

「どうしたの?」


「それに僕、ちょっと変みたい。さっちゃんのこと独り占めしたいの。それでも、好きって言っていいかなぁ……」


 葵は私の手の甲を撫でながらもじもじとしている。意外と大胆だ。でも、外目から見たらそういうところがかわいいとも思える。葵が思う存分あいつを振り回しているところも、正直見てみたい。

 

「それは、別にいいでしょ。逆に何の問題があるの?」


「いいかなぁ……!」


 私は葵の目を見て、頷いて見せた。葵はえへへ、と笑った後、私の手をぎゅっと握って、何かを思うように目を伏せる。

 

「僕ね、どんなことがあってもナスカのお願いを叶えるから。だから、代わりにこの色を憶えてて。忘れないで」


 葵はそう言って、いとおしそうに私の小指を撫でた。薄翠色が陽の光にあたって、きらりと揺れる。湖のような翠色、翡翠の色だ。

 私はうん、と小さな声で答えて、大切な秘密を守るようにその指に葵の小指を絡ませた。

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