第27話 港町カルミア

「うそでしょ! そんなにかかるの!?」


 私は思わず大声を張り上げる。

 葵が横でしー! しー!! と袖を引っ張った。

 

 私たちは海のそばにある小さな海運会社の事務室にいた。

 

 大きく開いた窓から潮風が吹き込み、カーテンを揺らす。乱雑に紙の積まれた事務机の向こう側で、よく日焼けして人のよさそうな顔をした事務員が苦笑いしている。部屋の壁には舵輪と旗が飾られ、定期船の写し絵と運賃が書かれた看板がいくつもかかっていた。

 

「はい。エイシャまで行くための船の貸し出し費用と、燃料と、島まで渡る技術を持った船員の給料と、それと保障費……なので」


 これでも安いほうだとは思うんですけど、と事務員は付け足して言う。とにかくエイシャに向かえるかどうかが気になったので、カルミアに着くなり港にある小さな海運会社で渡航費の概算を出してもらったのだ。

 王女の立場でならいざ知らず、正直、学生の立場では見たことないし請求されることもないような値段だ。壁にかかっている定期船の費用よりも何十倍も高い。

 

「まあ、妥当ではあるかな……」


 サフィールが見積もりを見ながら言う。うう、やっぱりそうなのか。

 

「この見積もり、言い値でいいから有効期間付きで出せる? ひと月ね」


「ひと月ですか……まあ、いいでしょう」


 事務員が手際よく見積もりの書類を記入する。出されたものを三人で見て間違いがないことを確認し、袋にしまった。


「とにかくお金を溜めなきゃだから、狩人ギルドに登録するわよ!」


 私たちは確保した宿の食堂で少し遅い昼食を食べながら、今後のことを話していた。

 

 そう、狩人ギルドだ!


 冒険者っぽい響きでわくわくする。それに、登録しないと魔物を倒して素材を集めてもお金にすることもできない。今日の宿代も返す約束でサフィールに出してもらっている。さっさと借りは返したい。

 

「何いってんの。今日は大事なことをしないと」


 サフィールが言う。大事なこと? 何だろう。何かあったっけ……。

 

「街での生活の準備、必要でしょ。あと、服買いに行こう。それじゃ仕事しにくいからね」


「あっ……」


 そういえば、この制服しか持っていないんだった。そもそも、今まで制服で歩いていたことに気付いてちょっと恥ずかしくなる。


 食事が終わった後、私たちは商店街に向かった。

 カルミアの街は白壁が美しい街だ。坂道に沿って白壁の丸みを帯びたシルエットの建物が並んでいる。宿は山側に、商店街は港側にあり、その間に住宅や小さな商店が建っていた。港町らしく商店街はとても賑やかだった。石畳の道には色とりどりのテントが並んで、様々な国からやってきたであろう果物や土産物が並んでいる。しばらく歩いて冒険者用の武具や衣類の店がそろった通りに着いた。

 

「好きな服選んでいいよ」


 良さそうだなと思った服を見ていると、サフィールがにこにこしながら言う。まるで買ってくれるような口ぶりだ。お金はほとんど持っていないから借りるつもりなのだけれど、あまりに自然な言い方だったのでからかってみることにした。

 

「えっ、まさかこれ買ってくれるとか~?」


 とおどけながら手に持っている服を見せる。黒の魔法糸で編まれた表地に、水色のフードと裏地のジャケットだ。普通の服と違って防具仕様なので、まあまあのお値段がする。

 

「かっこいいじゃん。これなら強度もそこそこだし似合うしいいと思う。他は?」


「えっ」


「えっ?」


 想定外の返事が返ってきた。

 向こうも私の反応は想定外だったらしい。念押しで確認してみる。

 

「ひょっとして、買ってくれるの?」


「そうだけど、一度着てみて動けるか試したほうがいいかな。あと、ジャケット以外のインナーや着替えも買わなきゃ」


 完全に買ってもらえることになって話が進んでいる。よく考えたら、大きな商家の治療師って相当なお金持ちなんだろうか。服もよく見てみるとほぼ白一色に見えて微妙に光沢や色の違う素材が使われているし、艶や縫い目の処理もその辺で売っている服とは明らかに違う感じがあって、高そうな感じがする。ローブだけで私のいま持っているジャケットなんか何着も買えてしまいそうだ。

 

「いや……でも悪いし! 服代借りるのは借りたいけど、ちゃんと返す!」


「そう?」


「……こないだも言ったけど、子供扱いしないでほしいし、女扱いもしないでほしい」


 もし私が男だったら、彼はたぶん服を買ったりとかはしてくれないだろう。だから、これは対等じゃない。帝都を出るときになりふり構わずその手を使おうとしたとはいえ、対等じゃない立場を利用するのはずるい気がして、やっぱり嫌だった。サフィールはようやく私の意図を理解したのか、にやっと笑った。

 

「ああ、そういうこと。なら、貸しってことで」


「それで頼むわ」


 交渉成立だ。ちゃんと話が通じるのは、気持ちがいい。インナーも選ぼうと手を伸ばした時、試着室のカーテンが開いた。私たちの目はそこにくぎ付けになる。

 


 そこには、天使がいた。



 いや、妖精かもしれない。もしかしたら神様か何かかもしれない。

 

 ピンク色の花と羽のモチーフの髪飾りで留めてツインテールにした水色の髪。細い体を強調するようなオーバーサイズの白とピンク色の上着。特徴的な逆三角形の大きな襟が付いていて、中心には髪飾りとおそろいの花の飾りがつけられている。その下には、ストライプ柄で薄い生地のワンピース。

 

「「かわいい……」」


 ふたり同時に声が出た。本当に可愛い。制服の優等生っぽさとは全然印象が変わっている。たとえて言うなら、本当に天使や妖精のような人の域を超越したかわいらしさだ。もともと美少女とは思っていたが、さらに超えた超絶アルティメットファイナル美少女になってしまった。葵はくるくると回りながら、驚いたように自分の姿を確認している。

 

「そ、そうかな……」


「幻惑と防御強化の魔法付きにしたから、戦闘用にも使えるからね。ポケットにストレージオプションもつけてもらおう。後で使い方教えてあげる」


 なるほど、こいつの見立てか……。というか、私もそのオプションのおすすめ聞きたい。急いでジャケットに合うインナーを選ぶことにした。

 

 私のインナーはジャケットに似合う白のタンクトップとショートパンツ、それと黒の手袋にサイハイソックスにした。ストレージというのは、異空間を作ってそこにいろいろな物を入れることができる魔法らしい。ポケットやかばんにつけることができるのだが。私の選んだショートパンツはぴったりとしたタイプなので、別に鞄を買ってそれにストレージを付けることにした。

 着てみると、制服よりも軽くて動きやすい。なによりスカートよりもショートパンツのほうがいろんな意味で戦いやすさが段違いだ。


 オプションは相談して筋力強化にしてもらった。速度強化も考えたが、常に強化するよりも適宜風の魔法で調整したほうがよいし、筋力があれば走るのだって早くなる。力こそパワーだ。

 

 私たちは新しい服を手に、そのほかの生活のための用品を買ってから宿に帰った。

 

 二人におやすみを言い、部屋に入る。狭いがそれぞれ個室を借りることができた。一人の部屋なんてエイシャに居た時以来だ。学校に来てからも寮生活だったから、私の記憶がはっきりしている範囲に自分だけの時間なんてなかったんだな、とふと思う。

今日はもう共同浴場で汗を流して眠るだけだ。



……それにしても、今日は疲れた。



 あんなに長い距離を歩くなんて演習くらいだ。ちょっとだけ、と思ってベッドに横になる。天井の魔法灯がオレンジの柔らかい光を放ちながら揺れている。洗い立ての毛布のにおいがして、気持ちいい。

 

 私は無意識に目を閉じた。


  ***



 ――雨が、降っていた。



 気が付くと、私はエイシャの森にいた。

 いつもは陽に照らされてきらきらと光っていた緑も、その日は雲った灰色の空にその輝きを隠されていた。森の奥は霧に満たされて、その深さをすこし怖く感じる。地面はぬかるんで、石畳は歩くたびに滑りそうで、私は恐る恐る足を進めていく。

 この雨は、涙の雨だ。母様の、父様の、民の。そして、私の涙。

 これは、母様が死んだ日の夕方のことだ。私はエイシャを離れることを伝えたくて、わがままを言って従者に連れて行ってもらっているのだ。


 ――どこに? 誰と?


 私は隣に歩く従者の顔を見上げる。エイシャ正教の式服、柳色の髪の青年が横にいた。大きな傘を広げて、私が濡れないようにそばを同じ歩調で歩いている。モーマスだ。本来であればエイシャ正教の大教皇の従者。だが、今はエイシャの王を名乗る男、カインの従者。

 私は前を向く。真新しい祭服の装飾がちりんと鳴った。そうだ、この日は祭服を着ていた。雨で汚れると言われたけど、どうしても着たくて、見てもらいたかった。だって、二人のどちらかにとっては最後になるかもしれないのだから。


 ――私はなにを言っているのだろう。何が最後なのだろう。


 ふと気づくと、私は古い建物の前にいた。木造で高床の建物だ。古いとはいえとてもよく手入れされていて、細部の装飾もきれいに残っている。ツタ模様の装飾のつけられた階段を上がり、入り口をうかがう。

 

「約束を、思い出してくれたか」


 銀髪の少年がそこに立っていた。カインだ。学院で会ったときの姿で、エイシャ王家の式服を着て私の前に立っている。気が付くと、私も今の姿に成長していた。

 

「約束……」


 どうしてだろう、確かにこの旧館のこの場所で、大切な約束をした気がする。何も言えずにいると、カインが悲しそうな顔をした。学院で見せたあの顔だ。私は胸が苦しくなって、思わず目を閉じてしまう。

 

――私、こんな風になるために、××××××たんじゃないのに。



「――ごめんなさい」



 私は自分がそう喋る声で目が覚めた。

 

 気が付いたら眠ってしまっていたのだ。慌てて制服から部屋着のシャツに着替える。まだ入浴が可能な時間であることを確認して、浴室に急いだ。

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