第26話 みどりのうみ

「よし、ここで休憩じゃな」


 人の姿のまま道案内をしてくれていたカリィが地図を広げて、道に立てられた道標を確認する。私たちは水と軽い食事をとった後、もう少し立ち止まることにした。

 少し小高い休憩所のそばにある崖から眼下に広がる風景は、深い木々の海。

 その中に、大きな鉱物の結晶がそびえ立っている。結晶は時折太陽の光を反射し、キラキラと光る。時折雲の作る影が、大きな魚のように海の上を横切っていく。

 はるか遠くには、高い山が横たわっているのが見える。黒い山の背に、雪が筋のようにもようを作っている。きっと、このあたりにあるよりもずっと高い山なのだろう。


 それは、帝都でもエイシャでも見たことのない風景だった。


「きれいだね」


「葵」


 ぼうっと見ていると、うしろから声がかかった。葵はうっとりと目を細めて緑の海を見ている。余裕を持って行動していたおかげか思ったよりも疲れていないようだ。

 

「僕、緑って好きだな。この風のにおいも好き」


 風がさらさらと葵の髪を揺らす。その姿はあまりに儚くて、きれいで……ほんのりと光を放っているようにすら見える。


 一瞬その背中に、小さな翠色の翅が見えたような気がした。


 私は驚いて目をこすって、葵をもう一度見る。


「……?」


 葵が不思議そうな顔をして私のことを見てくる。もちろん背中には何も生えていない。


「な、なあ、少しだけ……! いいだろ?」


「しつこいのじゃ!」


 後ろで何やら騒ぎが聞こえる。

 

「この街道なら人里から十分離れてるし、大丈夫だって! ちょっとだけ、飛ばせて!」


「遊びではないのじゃぞ!」


「頼むよ~!」


「ダメじゃ! こらっ! ほっぺをムニムニするでない! やめれ~~!!」


 サフィールがカリィの目の前にしゃがみこんで、何やら言い争っていた。どうやら、この緑の森の上を飛んでみたいらしい。先ほど馬車を連れてくると言っていたのも、もしかしてそれが目的だったのだろうか?


「別に……いいんじゃない?」


「だめじゃ」


「そうなの? なんかここ飛んでみたいって気持ちはちょっとわかるんだけどなぁ」


「カルミアはもうこの峠を越えたすぐ先じゃぞ。狩人たちに見られたらどうするのじゃ。そもそも、なぜそのような危険を冒そうとする?」


 カリィが不服そうに腕を組む。


「あの山の先、はるか北に白き翼の民の里があるって聞いてて……ちょっと、見えないかなって」


 サフィールは遠くの山を差して背伸びした。この自治区がどのくらいの大きさかは知らないけど、あの山の向こうって相当遠いんじゃないだろうか……。


「そんなの、見えるはずがなかろう……」


 カリィがあきれたように見上げる。


「白き翼の民ってなに?」


「俺たちは自分たちのことをそう呼ぶからね。天の使いというのは人間が勝手に思い込んで呼んでいるだけ。そんな伝承の存在なんかじゃないし、不遜すぎる」


 葵もうんうんと頷いている。そういうものなのか。


「ふーん……で、あんたはそこで生まれたの?」


「いや、俺は帝都生まれ。でもやっぱ気になるじゃん。故郷ってさ。」


 私は自分の故郷エイシャを思う。

 ここよりも深い緑の中に広がる、私が生まれ育った懐かしい場所。私が今目指すべき場所。


「まあ……それは、そうね」


「お前の故郷にも、絶対に連れてってやるからな」


 サフィールは私の方に向き直り、胸を張って笑う。


「……うん、ありがと」


 私はなぜか泣きそうになってしまった。


 ことあるごとに胡乱な目で見てしまっていたが、こいつにはなんだかんだで助けてもらっている。

 多少は彼の言動にも問題があるとは思うが、それ以上に私の思い込みとか嫉妬とかいろんな余計な感情が邪魔をして、歪んだ目で彼のことを見てしまうのだ。それは学院の人たちが私に向けていた目と変わらないものなのかもしれない。


「白き翼の民といいながら、俺の羽根は白くないけどな」


 サフィールはそう言いながら、あははと笑った。冗談のつもりなのだろうか、あんまり笑えない。そう、こういうところだ。


「私、あんたのそういうとこ、よくないと思うわ」


 つい、思ったことが口をついて出る。きっとめちゃくちゃむすっとした顔をしてるんだろう。サフィールは目を丸くしてこっちを見ている。目が合うと、にやっと笑った。


「俺はお前のそういうとこ、かわいいって思っちゃうな」


「そういうとこもよくない」


 私は一転げんなりしてしまう。全く、この軽口さえなければ、と思う。


「じゃあ、変に茶化すのは改めることにするかな」


「誰にでも好きとかかわいいとかいうのもやめなさいよ」


「それは、本当に思った時にしか言わないからなぁ……」


「うん、ナスカはかわいいと思います」


 分かっているのか分かっていないのかはっきりしない発言にげんなりしていると、葵が真剣な顔で割り込んできた。

 二人ともだいぶおかしい。私みたいなのをつかまえてかわいいだなんて。


「それについては、わしも同意なのじゃ」


「えっ」


 カリィも満足げにうなずいている。えっ、なにこれ……?


「ちょ、ちょっと……みんな何よ……!」


 三人ともにこにこしながらこちらを見ている。茶化さないって言ってすぐこれって、どういうことよ……!


「も、もう! 休憩終わり! 行くわよ!!」


 私は荷物を持ち上げて、歩き出した。

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