第25話 狩人の国カルメル


 数日後の早朝。

 私たちは、港町カルミアから少し離れたところに降ろしてもらった。

 

 時制的に航路に関係のない港に入港した記録を残したくないと言うのと、海の深さと岸壁の関係で着岸できるのがこのあたりになるという。歩いて半日ほどで目的の港町『カルミア』にたどり着けるらしい。レオは着の身着のままで出てきた私たちに、そのままでは不便だろうと予備の非常持ち出し鞄を渡してくれた。本当に感謝だ。

 歩き旅なんて初めてだったが、なんだか冒険みたいで少しうきうきもする。何よりここには私たちを追う人もいない。必死に逃げる必要もないのだと思うと、少し楽しむ余裕が出てくる。

 

 高い木々の森を囲うようにそびえたつ大きな山々を見上げる。


 めまいがするくらい高い山だ。むき出しになった黒い岸壁がこちらを威圧するように聳え立っている。足元に生えている植物の葉のかたちや色が普段見るものと違うことにすらわくわくした。


「これからの旅程についてじゃが、順当に歩いて昼過ぎにはたどり着けるじゃろう」


 カリィはそういって地図を開いた。葵とサフィールのふたりはカリィの示す道とやらにうんうんと頷いているが、私には何が描かれているかいまいちわからない。まあ、ついていけばいいだろう。


「まあ、古いものの整備された街道があるから、そこまで苦労はせぬ」


「俺が街の近くまで飛んで行って馬車なり呼んでくればいいんじゃ?」


 サフィールが名案とばかりに胸を張る。それもそうかもしれない。だが、カリィは苦い顔をする。


「ここが何処かわかっておるのか? 狩人の領地、カルメルじゃぞ。帝国とはわけが違う」


 ――狩人。魔物を狩り、その肉を食べ素材で武器や魔法具を作る者たち。

 ここは帝国の支配地域ではあるものの、違った文化に生きている人たちの土地なのだ。


「ここではお主は同類としては見られぬ。ただの獲物じゃ。まさか自分自身の血肉が、いくらで取引されているか知らぬわけでもないじゃろう?」


 そういえば、眠浮で小龍を助けた時も自分の血を飲ませていた気がする。たしか、血を精製した薬は貴重品なんだっけ。あれ、いくらで売ってるんだろう。

 

「手に入れたら一族郎党が一生遊んで暮らせるような霊薬となる『獲物』が自分から飛んできたとなったら、どうなるじゃろうな」


 腰に手を当てて睨みつけるカリィに、サフィールは「わかってるし……」とか、「そんなのにつかまるわけないし……」とか、だんだん小さくなる声で抵抗していたが、とうとう黙ってしまった。

 珍しいこともあるな?と思っていたら、葵が明るい調子で割り込んでくる。


「あ、あのね、僕だいじょうぶだから。みんなで歩いていこ!」


「む……そうじゃな。この場でいろいろ言っていても仕方がない。行こうか」


 私たちは木々に囲まれた街道を踏み出した。

 街道には石畳が埋め込まれた道が遠くまで伸びている。確かに古く、ところどころ土に埋もれたり崩れたりしているが、時々補修されているみたいで新しい石もまじっているようだ。一定の感覚で二本溝が刻まれるように道がへこんでいるのは、馬車が通った跡だろうか。


 そんなことを考えていると、木立の下の茂みからがさがさという音が聞こえてくる。


 ――魔物だ!


 歩き回る爪音とともに荒い息遣いが聞こえる。獣の類の魔物だろう。


 私はカリィに向かって念じた。カリィは頷いて、剣の姿に変わり私の手の中に納まる。それとほぼ同時に茂みの中から何匹かの狼を連れた、角の生えた狼が現れた。狼たちは風のような速さで私の横を走り抜け、大きく回り込むように走って離れた位置でとどまった。今にもとびかかりそうに姿勢を低くして唸っている。

 狼と相対するのは初めてだが、想像よりもずっと迫力があった。立ち上がったら私よりも大きいだろう。正直怖い。


 群れの中のひときわ大きな、角の生えた一匹がひと吠えする。周囲の狼は一斉に走り出し、ばらばらに襲い掛かってきた。


「ナスカ、吠えたやつは任せる! あとは何とかする!」


「気軽に言わないで! やるけど!!」


 後ろからサフィールの声が聞こえる。私は、やればできると念じて走り出した。

 飛び掛かってくる狼を転がるようにして避ける。

 

 後ろで詠唱と狼たちのキャイン、という痛そうな声が聞こえてくるが、振り向かない。授業の演習で、部活で何度も繰り返した体の動かし方を思い出す。私は木刀で相手は防具付きの同級生や巻き藁だったけど、きっとそれと変わらない。目をそらしたほうが、怯んだほうが負けるのだ。

 


 狼のほうが、私より先に動いた。



 私は大地を踏みしめて、狼の軌道を頭に描く。

 


 ここだ、という確信に従って。

 凪ぐように剣を振った。

 



 ――捉えた。

 


 剣にのしかかる重みが、肉を切り裂く反発が、次いで骨を断つ感覚があって。

 



 狼の首が斜めに体から離れた。

 



 制御を失った体がどさりと音を立てて、私の後ろに落ちる。

 振り向くと、地面の上に痙攣しながら血を噴き出している狼の体があった。少し離れたところにいた二人が駆け寄ってくる。群れの狼はいつのまにか倒されていた。

 

倒した狼これ、皮を剥いでおけばカルミアで売れると思うんだけど……あいにくそういう事のやり方知らないからな」


 サフィールが残念そうにしている。私も詳しくはわからない。カルミアの街で教えてくれるところはあるだろうか。ふとリーダー狼の角を見る。

 きらきら光る結晶のような角がついていた。こういった角の類の外し方は見たことがある気がする。結晶を壊さないように生え際を少しずつ削って、慎重に支えながらコンと叩くと頭蓋骨から外れた。まるで宝石のようだった。

 

「これだけでも少し足しになるかも……」


 そう話して角を掲げ上げると、木立の向こうから大きな羽音が響いてきた。蜂のようだが、もっと大きくて、低い羽音。


 連戦だ! 


 慌てて角をバッグにしまうと、数匹の大きな蜂が飛び出てきた。

 威嚇しているのか、歯をカチカチと慣らしている。こいつは校外演習で戦ったことがある、帝都の近くにも生息している魔獣だ。肉食で、小動物や家畜を襲って食べる厄介者だ。だけど、そこまで強い敵ではないはず。狼の血の匂いに誘われて出てきたのだろう。

 剣に炎を纏わせて攻撃してみよう――と思った瞬間、後ろで叫び声が上がった。


 いつのまにか、肩にかけたかばんの紐をぎゅっと掴まれている。


「い、いっぱいいる! 無理、無理ぃ!!」


 サフィールが後ろで錯乱していた。

 がっちり盾にされていて、これでは当たりそうで剣がうまく振り回せない。確かに多少気持ち悪いけど、さっきの狼や地下水道のドラゴン相手にも平然と戦ってたようなやつがビビるような魔物じゃなくない⁈


「あんたね! 天才つよつよ魔法使いなんでしょ! 魔法で何とかしなさいよ!!」


「え? 焼いていいの? 焼くよ? この辺の森一帯全部焼いたらこいつら全部いなくなるよね?」


 完全にぐるぐる目になっている。

 だめだ、話が通じそうにない。さすがにそれはやっちゃいけないやつだってことは私にでもわかる。


「火の精霊さん、この子たちをやっつけて!」


 葵の呪文に応えるように目の前に炎が巻き起こる。蜂たちが一瞬で燃え上がって、ぽとぽとと落ちた。


「……ごめんね」


 葵は転がった蜂たちの前で目を閉じて胸に手を当てた。その後こちらに向いて振り返り、てくてくと歩いてきて私たちの前で立ち止まった。私のカバンの紐を握りしめたまま固まっているサフィールの両頬を包むようにぺちんと叩く。

 

「森は焼いちゃだめ。あと、ナスカが戦う邪魔もしちゃだめです」


「……はい」


 サフィールは葵の言葉に正気を取り戻したのか、私のかばんの紐を手離す。

 そのあと気まずそうに数歩後ずさって、背を伸ばした。

 

「……べ、別に怖くないから……びっくりしただけで……」


 そうか、虫が怖いのか。なんか意外な感じもするけど、今度何かの参考にでもしよう。


 エイシャも自然が多いけど、ここまで魔物はいなかったような気がする。土地が広くて豊かな土地であるほど生物は多くなるのだろう。これからの道も気を引き締めて進むことにしよう。

 そう思いながら山道を踏み出した。

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