第21話 魔女の貨物船


 船長室は、薄暗いが綺麗に整頓されていた。


 旧式の魔法灯から発されるオレンジ色の光がゆらゆらと揺らめいて、部屋を満たしている。調度品は木製の古い帝国風で統一されていて、船の真新しさとはまた違った雰囲気を醸し出していていた。

 

 その中に、調度品の一つのように優雅な少年が佇んでいた。


 利発そうな緋色の釣り目には片眼鏡。長い金髪を後ろでひとまとめにし、青色の大きなリボンを付けている。リボンと同じく青色の燕尾服を纏った細い体躯はしなやかな曲線を描いていた。先ほど、私は主観でこの子を少年と呼んだが、もしかしたら少女かもしれない。雰囲気はなんだか王子様っぽさもある。

 

「時代の最先端をときめく高速貨物船、リバイアサンにようこそ~! わたしは、船長のケイオス・レオナール・ラ・ディアスと申します! レオナールとかレオって呼んでくださいね」


 緊張している私にレオはにっこりと笑いかけ、胸に手を当てて礼をした。想像よりもだいぶ軽い口調だ。

 

「わたし、帝国貴族のディアス家ではございますが、本家とは縁遠い末席の者ですのでどうぞお気になさらず、気楽に接してくれると嬉しいです」


 学院長や葵も同じ苗字だが、昔からある貴族の家系でいくつも分家があるらしく、遠い分家同士は実質ほぼ他人みたいなものだそうだ。


「あ……ありがとう。お世話になります」


 丁寧な態度に、私もなんだかかしこまって返事をしてしまう。

 

「帝都の魔術工房で工師をしている魔女なんだ。その縁での知り合い」


 サフィールがこそっと補足してくる。

 なるほど、そういう感じか。魔女とは、魔族たちと契約して魔法を使うことができる人たちのことだ。私と同じくらいの年に見えるけど、魔女ってことは実はすごく年上とかだったりするんだろうか。


「ああ、えっと……それで、この後なんですけど、」


 レオは私たちを見ながら、言いにくそうに胸の前で指を遊ばせている。


「わたし……帝都で商売しているもので。時勢的なあれで直接エイシャに行くのはまずいんですよね……」


 頭をかきながらえへへぇと笑った。なんですと!?

 

「は!? じゃあなんで受けたよ?」

「話が違うじゃない!!」


 サフィールと私の声が重なる。

 

「しょうがないじゃないですか~! あなたに頼まれたらいやって言えませんよ。それにエイシャまで行くって一言も言ってないですし!」


「でも置いていっただろ……」


「ちゃんと来てくれたじゃないですか。そういうところは信用してるんですよ?

あと、積み込み終わってるのに定刻で出なかったら怪しまれます」


 サフィールは何も言い返せなくなったようで、目を閉じて黙り込んでしまった。確かにそれはそうだとしか言えない。今日のうちに帝都を出られただけでも御の字なのだ。

 

「エイシャ島の近く、カルミアまでなら行けます。そこから定期航路なり船を借りるなりで向かうといいと思いますよ」


 カルミアなら、聞いたことがある。


 エイシャ島が属する列島地帯につながる大陸にある、カルメルという自治区の港町だ。帝都の港ほどではないが大きな港で、そこから世界中につながる船が出ているという。月に数回ほどだが、定期船も運行されていたはずだ。


「カルミアまで数日泊りになると思いますので、船室をご用意いたしました。

今日はもう遅いですし、どうぞお休みください」


 レオは優しく微笑み、私たちを船室に案内するように船員に命じた。



  ***



 葵と一緒に案内された居住区上層階の船室の入り口には、賓客室と記載されていた。

 

 海上の揺れに対応するために部屋自体の装飾は簡素なものとなっているが、個別のシャワーなどもある贅沢な作りの部屋だ。二人分のきちんとしたベッドとソファもある。

 部屋に用意されていた水筒には、あたたかいお茶が入れられていた。葵の分も注いで、一緒にソファに座る。葵も私の隣に座った。ようやく、休めるような心地がした。

 

「ほんとに疲れた……」


「えへへ……本当だね。でも、凄い冒険だったかも」


「それは、違いないわ」


 お茶を一口飲む。おなかが少し暖かくなって、ほっとした。

 私は先ほどのセイ先輩との戦いを思い出していた。私たちが助かるためには仕方なかったとはいえ、罰を受けることになってなきゃいいな。警備隊の人たちも。

 そういえば、一緒に来ていた赤髪の中等部の少年は誰なんだろうか。中等部の学舎は高等部とは別のところにあるから知らなくても仕方ないけど、彼は葵のことも知っていたみたいで、なんだか気になって仕方がない。

 

「あの中等部の子、知り合い? 葵の名前知ってたけど」


「えっと……クラスメイトだけど、ちょっと怖い子なの。あんまりよく知らなくて……」


 葵は口ごもる。学院に居た時、そんな話はひとことも聞いたことなかった。

 

 いや、ちがう。私は葵のことをあまりにも知らないんだ。

 

 小さなころの話、私以外の友達はどんな子がいるのか、どんなふうに授業を受けているか、将来何になりたいのか。そもそも、なんで学院に入ったのかすら知らなかった。聞いたことすらなかった気がする。

 ただ、どんなふうに嘘をつくのかだけは、どうしてかわかる。

 

 自分のことを知られないための、嘘。

 

「ナスカ、ありがとね。守ってくれて嬉しかった」


 葵は私の横で笑う。

 葵は優しくて、かわいくて、小さくて、守りたくなるような女の子だ。

 一緒にいると、自分が王子様になったような感じすらある。私がひそかにあこがれていて、なりたかった、強くてかっこいい、男の子みたいな自分。

 

「私こそ。一緒に来てくれて、嬉しい」


 そう、何もかもが不確かでも、一緒に居たいという気持ちは変わらない。これからも、一緒に過ごすんだ。少しずつ知っていけばいい。

 ふと時間を見ると、もう日付が変わろうとしていた。私はシャワーを浴びた後、用意されていた服に着替えて、下着とシャツを洗濯して干した。

 ベッドに寝転がると、波に合わせて船がゆっくりと揺れているのを感じる。

 葵はまだ携帯端末を触っているようだ。なんだか、寮でのいつもの時間みたいでほっとする。


 私は天井を見ながら思う。



 ――王子様、か。


 

 女の私でも鍛えたり工夫したりすれば、男にだって力できっと追いつける……と思う。

 だけど、あの大きな手は、広い背中は、低くて強そうな声は、私には永遠に手に入らないもの。体だって、望まなくてもどんどん女として育っていく。女であることが嫌というわけではないけど、時々違いを思い知らされる時があるのが嫌なのだ。


 今日だって、そうだった。


 私のことを子供って言った、大人の男。

 余裕そうな感じでヘラついているくせに、赤髪の少年と相対した時にちらりと見せた気迫には圧倒されるものがあった。あの鋭くて冷たい声と威圧感は、とてもじゃないけど自分には出せる気がしない。

 それに、臆面もなく葵に好きと告げて、その上で変わらず振舞える。

 悔しい、羨ましい。どうにもならないことだというのに。相手が自分にないものを持っているというだけなのに、何かを奪われてしまった気持ちになっていることが嫌だ。

 

 私はもうこれ以上考えたくなくて、窓の向こうから運ばれてくる波音に心を向けた。立っていた時には気が付かないくらいにゆったりとした大きなうねりが、私を包み込んで揺らしていた。


 私は波に沈む自分を思い浮かべる。


 深く、深く、暗闇の底に。何も考えなければ、思い悩むことなんかない。だから、今は忘れていよう――。



いつの間にか、私は眠りに落ちていた。



***



(――できた)


 葵は端末の画面に刻まれた文字をもう一度確認し、保存をした。

 ナスカの方を見る。彼女は、目を閉じて規則的な寝息を立てている。ベッドに入ってからそう時間もたってないはずなのに、すっかり寝入ってしまっているようだった。

 無理もないよね。今日はいろいろと大変そうだったから。と葵は思う。

 でも、それは葵自身にとってもそうだった。今日は、本当にいろいろなことがあった。大変というとちょっと違いがあるかもしれないけど。


 葵はソファの上で膝を抱えた。


 今できることはこれまでと何も変わらない。

 期待されることに従って、お手伝いをして、いつか貰えるかもしれないごほうびを待って。


 ――ほんとうに、ごほうびがもらえる日なんて来るんだろうか。自分がずっとほしかったものを与えてくれる人なんているんだろうか。そんなことが頭をよぎる。


(まだ、今日の最後の仕事が残ってる)


 葵はあやうく閉じそうなまぶたをこすって、立ち上がった。ナスカが眠っているかもう一度顔を見て確認する。彼女はちゃんとよく眠っていた。昨日のように苦しい夢は見ていないみたいでよかった、と葵は思った。

 静かに扉を開いてそっと部屋を抜け出し、灯の落ちた廊下を歩く。

 

 この船の居住区の地図は先ほどざっと見ておいた。船員の宿舎と客室の間の階に、研究室と書庫だけの階がある。そこなら、人が来ることは恐らくないだろう。


 葵はもう落とさないように端末を握りしめて、静かに階段を下りて行った。

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