第20話 グレイ・アウト
私を追いかけてきた先輩たちと戦っているうちに、帝国を出る船は出港してしまった。
追いつかないとって、すでに出ている船にどうやって追いつくっていうんだろう。私、飛んだりとかできないんだけど? そう思っていると、膝をついたままのサフィールが片羽をちょいちょい、と羽ばたかせて私を呼ぶしぐさをする。
「背中乗って」
「は⁈」
「いいから!」
もしかして、一緒に飛ぶつもりなんだろうか。
私はしぶしぶ背中に乗る。体の下からうぐ……という重そうなうめき声が聞こえてきた。非常に失礼だ。まあ明らかに積載は超えてそうなんだけど、言い出したのはこいつだし気にしないことにしよう。
「肩から手まわして、葵ちゃんが落ちないように俺の手首掴んでて」
え、ほんとにやる気!? と思ったが、サフィールは真剣な顔をして私を見ている。私は言われたとおりに手首を掴む。
『――暴食の名を冠するもの、血の盟約に従いて我が力を支えたまえ! そして、きよらなる潮風たちよ、高く舞え、黒天の果てまで我らを荷い駆けよ!』
サフィールは呪文を唱え、意を決するように立ち上がり駆け出した。
勢いよく地を蹴って飛び立つ。その瞬間風が吹いて、私たちの体が浮かぶ。ごうっという音とともに高く舞い上がって、地面があっという間に遠ざかった。
とたんに体験したことのない圧がかかる。
ふっと視界から色が薄れていく感覚がしたが、手首を強く握られてはっと意識を取り戻す。私は意識を落とさないように必死で手を握りかえした。風の感覚がなくなると、視界に色が戻ってくる。なにこれ、飛ぶってこんなにキツいの……!?
『んで、血の盟約っ! あらゆるものの目から我らを覆い隠せ!!』
体が何かに包まれる感覚がして、私たちの体が消える。触っている感触はある。
「ど、どうすんのよ、これ……!」
「いいから、掴まってて!」
世界がくるりと翻った。視界一面に海が広がって、港を出ていこうとする小さな船が見えた。あれが目的の船だろうか。
「あ!」
「あと少し、距離足りない……!」
「はぁあ⁉」
「ごめん、もっかい飛んで計算し直すから……」
私は目の前の船を見る。あそこに降りればいいのなら、できるかもしれない。さっきの風で舞い上がるイメージも、それに乗ってあの船に降り立つイメージもしっかりある。
「あの船に降りれればいいのね……!」
私はそう言って、精霊たちに念じる。
(――風よ、あそこまで運んでって!!)
とたんに風が巻き起こり、私たちの体を捉えた。
「えっ、あ!? 痛って!!」
私たちは舞い上がり、船の上に向かって一直線に飛ぶ。あ、あれ? 一直線すぎて、速度が速すぎるかも! このままじゃ甲板に叩き付けられる――そう思った瞬間に、呪文が響いた。
「ああもう! 血の盟約よ、壁を作り我らを守りたまえ!」
甲板との間に、一瞬で何重もの輝く壁が広がった。
同時に体が何か柔らかくてふわふわとしたものに受け止められた感覚があった。私たちの身体は甲板まであと数十センチほどというところで一瞬静止し、どさっと着地する。不可視の術が解けて、二人の姿が見えた。
最初に目に入ったのは眠るように目を閉じた葵と、その肩を抱いている手。頭の上から「うぅ……」と小さなうめき声が聞こえる。
「ひぇ……!?」
私たちは甲板に寝転がったサフィールの上に乗る形になっていた。
先ほど感じたふわふわとしたものは腰に回された翼だった。なかなかの魅惑のふわふわ具合だ……ってそうじゃない! 私は慌てて起き上がり、葵の肩を揺らす。
「葵! 起きて……!」
「落ち着いて、いま起こすから」
サフィールは葵を抱きかかえたまま起き上がり、その耳元に何事かをささやいた。すると、葵の目がぱちりと開く。葵は今までの様子が嘘のように、何が起こったかわからないといった感じで、不安そうにきょろきょろと周囲を見た。
「あれ? ここ、どこ? あの人は……」
「帝都を出る船の上。もう大丈夫だよ。立てる?」
「あっ……! あの……ごめんなさい」
葵は真っ赤になって立ち上がったが、船の揺れにバランスを失ってふらついた。その手をとっさに立ち上がったサフィールの手が掴む。流れるようにそっと回された翼が葵の小さい背中を受け止めた。
「慌てないで。揺れるから危ないよ」
「は……はい」
葵がしっかり立ったのを確認して、サフィールは葵から翼を引き一つ羽ばたいた。その羽ばたきに合わせて翼が背中にしまい込まれる。
船員が数人こちらに駆け寄ってくる。船員たちは帝国式のきっちりとした衣装に身を包んでいた。私たちの近くまで来て立ち止まり、一礼する。
「遅刻してすまない。その様子だとレオから話は聞いてるみたいだね。船長室、案内してくれる?」
サフィールの言葉に船員が頷いて、通路を示す。この船は貨物を運ぶための船らしい。甲板の上にも荷物が積んであり、船長室のある居住区画はその脇を通り抜けていく形になるようだ。船の部品や細部の意匠は真新しく、比較的最近作られた船のように見えた。
通路には小さな灯りが点いているが、海には届くほどではない弱い光だった。海の方を見るとただ波を割って進む音と風の音だけが聞こえる。墨色の海の向こうには、徐々に遠ざかっていく帝都の街の光が見えた。
一応は、何とか助かったのだろうか。ほっとして足の力が抜けそうになる。いや、まだここから始まりなんだけど。
「それにしても、羽折れるかと思った……飛ぶのってけっこう繊細なんだから、魔法使うならちゃんと言ってよ。ていうか、使った……よな?」
サフィールが疲れた様子で言う。
降りる場所の確認はしたとはいえ、私たちを運んでいたのは彼だ。負荷とかもすごかっただろうし、それはちゃんと言うべきだったかな。反省しよう。
「風の精霊に私たちを船の上まで運んでってイメージを伝えたら、風が起きたんだけど。これも魔法って言っていいの? 私、魔法の授業とかも受けたことなかったし、あまりよくわからなくて……うまく調整できなくてごめんね」
「イメージって……呪文とかはどうしたんだ?」
「いるもんなの?」
私の返事にサフィールは固まって立ち止まった。
その背中に葵がぶつかって、んわっ! と声を上げた。
あれ、なんか変なこと言ったかな。まあいっか、他にも聞きたいことはいっぱいあるのだから、この際聞いておこう。
「今後の参考に聞いておきたいんだけど、計算ってどういうことするの?」
「え……? ああ、本来は飛びたい方向とか、総重量とか、風向きとか、あとは船の速さとかいろいろ考えてうまくたどり着けるように風の量や当たり方を調節する……、って感じかな」
そんなことしなきゃいけなかったのか。やっぱり結構大変なことだったんだ。余計な事せずに任せておけばよかったかもしれない。そう思いながらサフィールの方を見ると、私の方をじっと見ていることに気が付いた。何やら考えこんでいる様子だ。
「なによ」
「いやー、目算と地下水道で抱き上げた感じではお前はもうちょっと軽いって思ったんだけど、触ってみたらなかなか腰回りのボリュームがすごくて……」
サフィールは空中で何か……というか、腰回りを触っているような手つきをしながら話す。触られた覚えなんてなかったはず……と思った瞬間、あのふわふわの翼の感触を思い出した。そういえば翼って、よく考えたら腕とか手みたいなものか! がっつり触られてたが!? 私は思いっきり軽蔑の視線を込めて睨む。
「あのね……」
「でも、そういう健康的なのもかわいいと思うから! いいと思う!!」
私の視線もどこ吹く風か、サフィールは笑顔で親指を立てている。
私は思い切り右手を振りかぶって、その満面の笑顔に平手を食らわせた。
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