第三章 女の子だって王子様になったっていいじゃん! え、ダメ!?
第18話 好きだなんていわないで!
「なんか結局こうやって誘っちゃってるし、悪いお兄さんだったね」
サフィールは私たちの前に座って、ご機嫌な様子でお酒を飲んでいる。
私と葵、サフィールは三人で眠浮を出て港の近くの料理屋で食事をしていた。なんだか高そうな店の個室を借りてくれたのだ。さすが大人だ。
「そんなことないけど……」
彼はあの後、葵が街頭端末でいろいろと情報を集めているのを見て一緒に情報を探してくれた。
結局エイシャへ向かうための船はもう出てしまっていた。夜中に眠浮周辺に居るのは危険だからと、南区の中でも比較的安全だというこの店に匿ってくれたのだ。
ごはんはすごく美味しかったし、色々助けてもらったし。初見の印象は妙なやつだったが、こうして話していると普通の人のようにも思える。
いや、あるいみ普通ではないか。
神器のことを知っていて、エイシャのこともなんとなく知っている。魔法の知識も、世界の知識もありそうな大人だ。たぶん超レアで、いまなんとしても助けを借りたい類の大人。
「あのさ、私の話、聞いてくれない?」
私はサフィールの目を見ながら言う。彼はうんうんと頷いている。
「部屋の会話は外に聞こえないようになってるから、気にしないでどうぞ」
言われてみれば、他にも客はいるはずだろうに本当に静かだ。庭にいる虫の声は聞こえてくるのに、給仕の人たちの足音すら聞こえてこない。
私は、王を名乗る少年の話、夢の話、そしてそのすべてに自分の確かな記憶がないこと、医院で話したことの繰り返しになるが、できるだけわかってもらえるように話した。
「私、エイシャに向かおうと思うの。真実はどうあれ、エイシャの人たちに話が聞きたい。でも、私たちだけじゃ正直たどり着くのは無理だと思う……」
「だから、助けてください! お願いします」
私は思い切りお辞儀をした。勢い余ってテーブルに頭をちょっとぶつける。痛い。葵が横であわあわしている。
「待って……! えっと、さっきも言ったけど、俺、倶梨伽羅屋の治療師で、他の仕事も入る予定があって、帝都から離れられなくて」
「なんというか……困ったな」
サフィールはひとしきり焦った後、両手で顔を覆ってうつむいてみたり体をひねってみたりかなり困った様子で考え込んでいる。いいぞ。なんとなく思ってたけど、こいつは女の子に頼まれるとちょろい。あと一押しだ。
「あの……」
葵がおずおずと口を開く。
「精霊さんの魔法、まだ返してないですよね」
そういえば、こいつに精霊魔法を使えなくしてやったままうやむやになってたんだった。
そうか、それで交渉を……と思ったけど、さっきもとっさに精霊魔法使ってピンチになってたし、さすがにそんな大切なものを交渉材料にするなんてずるい気もした。
「本当は端末返してもらった時にすぐに返そうと思ってたんです。あなたと仲良くしてた精霊さんたちにも怒られちゃったし……」
葵は申し訳なさそうにしている。別に交渉しようというわけではなさそうだ。
一方、サフィールはどうもぴんと来ていないようで、両手で口元を覆ったまま顔を上げて、はて? という顔をした。
「仲良く? どういうこと? 俺たち、精霊見えないし言葉も聞こえないのに」
「え、だって」
不思議そうな顔をして葵がきょろきょろする。
「いまも、『この子の祈りに応えさせて』って言ってる子たちがいます」
ふと、周りがさわさわとさざめくような声に包まれていたことに気が付いた。魔法を奪う魔法が使われたときに聞こえた声。そういえば遠い昔、まだエイシャにいたころにこんな声たちを聞いていたような気がした。ううん、音だけじゃない。姿も――そう思った瞬間、周囲に淡い光がふわりと舞う。精霊魔法を使った時の光だ、と思った。
「……そう」
サフィールは部屋を見回し、周囲を見ていとおしそうに目を細めた。だが、その目線の先は光の位置を捉えていない。本当に見えていないのだろう。
その時、精霊たちの発する光の中に小さい頃の自分の後ろ姿を見た気がした。
光たちと楽しそうに語り、水辺を駆け、丘から城下町を眺めて。とても愛おしい、大事な景色たち。でも、忘れていた。そんな大切なことを忘れていたことも、忘れていたのだ。
「あの、じゃあ手を失礼しますね」
私が過去に思いを馳せているうちに、いつのまにか葵はサフィールの隣に移動して、その右手の袖をめくろうとしていた。が、どういうことか彼はびくっと手を引いて後ずさる。
「な、何すんの!!」
そう言いながら女子みたいに袖を押さえて縮こまっている。私の肩や足は撫でまわしたくせに、こいつの倫理観、どうなってんのよ。
「えっ!? あの……戻す儀式をしようと思って」
「袖越しじゃダメ……?」
困惑する葵に対して、サフィールは袖を押さえたまま葵に困ったような笑顔を返した。
「一瞬ですから……!」
葵は負けずにローブの袖を引く。この子、意外と強いかもしれない。二人はしばらく見つめ合っていたが、サフィールが先に折れたようで、観念したようにため息をついた。
「手の甲、出せばいいんだな?」
葵はこくこくと頷く。サフィールはそれに応えるように手を差し出して、しぶしぶといった様子で袖を引き上げた。
私はその光景に息をのむ。
その手の甲には、黒い文様が刻まれていた。
魔力を強める術の類だろうか? ちがう、もっと強い呪いとか怨念めいたものの気配も感じる、絡みつく蛇のような炎のような意匠。その鮮烈な黒は、薬指の下あたりから手首にかけて、めくられた袖の下の方まで伸びているようだった。
葵はうなずき、触れるのも戸惑うような文様の刻まれた彼の手をそっと包み込むように握った。
そして、目を閉じておじぎをするように手の甲に額を付ける。葵の柔らかい水色の髪がさらりと落ち、私の目から文様を覆い隠した。
葵はささやくような小さな声で短い呪文を唱え、額を離す。
それで儀式は終わりのようで、意外なくらいあっさりとしたものだった。見た目には特に何も変わったようには見えないが、精霊たちが嬉しそうにさざめく声が聞こえ、部屋の中を満たしている。なんとなくだけど、成功したのだろうと感じた。
「ほら、一瞬です。もう精霊魔法使えますよ」
袖を戻しながら葵がにこりと微笑んで、ぽんぽんと手の甲を叩く。
儀式が終わるまで何かに耐えるように顔を伏せていたサフィールは、上目遣いで葵の顔を見た。葵は変わらず優しく微笑んでいる。
そのとき、彼の瞳の淡い紅朱色が、はっきりと緋に燃え上がるように色を増したのが見えた。
彼は何かに導かれるように、ゆっくりと長椅子の座面に手をついて葵の顔を覗き込んだ。熱っぽい表情で、頬を朱に染めて。あれ? なんか嫌な予感がするんだけど。
「……き……」
どこに向けられたかもわからないような、ささやくような、かすれた声。
よせばいいのに、うん? といった様子で葵が首をかしげる。感謝の言葉か何かだと思っているのかもしれないけど、多分違うよそれ。ていうか、やめろ!
私の祈りは虚しく、今度ははっきりとその言葉が放たれた。
「好き……!」
「俺、葵ちゃんのこと、好きになっちゃった!!」
「はぇ?」
「はぁあああああ!?」
思わず大声が出る。何言っちゃってんの!? 確かにあと一押しとは思ったけど、押し切りすぎでしょ! ライン踏み越えてるって!
「あ、返事は充分考えてくれてからでいいし、もちろん
サフィールは姿勢を正し、目を閉じて自分の胸に手を当て誓うように宣言する。顔だけはいいから見た目は様になっているが、言ってる内容はとんでもない。葵は自分の口に両手を当てて赤くなった。
「あの……それ、ついてきてくれるってこと?」
葵も葵で、何を言っているのだろうか。危険すぎない? 待つって言葉のどこに保証があるっていうの!?
「万難廃してついてく!」
「……はぁあ……」
私はもう今日何難目なのか考えるのをやめた。もう、そういう日なんだと思うことにしよう。
サフィールは袖元から先ほどの魔法端末を取り出して何事か入力し始めた。誰かとメッセージをやり取りしているようだ。しばらくやり取りを繰り返した後、急に私の方を見て、にやりと笑った。ひらりと端末を返して画面をこちらに見せる。
画面にはいくつかのメッセージのやり取りの最後に、『◎』の画像。
「とりあえず帝都を出る約束を取り付けた。ちょうど一時間後に出航だから、行こう」
そう言って私たちを促す。私は慌てて席を立った。
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