第12話 はじめての魔法 中

 私は自分の手の中に納まっているカリィの姿を見た。

 

 太めの棒の先にエイシャの紋章をかたどった円盤がついていて、その先はすぼまって尖っている。円盤には複数の環が取り付けられていて、振るとじゃらじゃらと重い音を立てた。このまま振っても敵を叩き潰せそうだ。

 

「いいね、じゃあ使い方を教えてあげる」


 後ろから声が聞こえて肩が掴まれる。

 サフィールはいつの間にか私の後ろに立っていた。私はぎゃっと声を上げて杖を向ける。

 

「ま、待って!こっからは『繋げた』方が伝えやすくて」


「繋っ……? 何するつもり!?」


「何考えてんの? 肩に手を当てるだけだけど?」


 サフィールは若干引いたような、うわ……という顔でこっちを見てくる。それはそれで腹立つ反応だ。

 

「にしても、声くらいかけなさいよ……」


「おっけ。じゃあ、足を肩幅で開いて、胸の前くらいに杖を立てて……そうそう。で、こうやって肩まで肘を上げて」


 と、肘を持ち上げられた。


 そして、すすっ……と二の腕の後ろを撫でてくる。


 一瞬またなにかやるつもりか!? と思って身構えたが、そのまま筋肉の流れを整えるように背中まで流してぽんぽんと叩かれた。ただのフォーム確認だったようだ。

 

「いい形。これを後でもできるようにしてね」


「魔法にも、こういうフォームって必要なの?」


「魔法だからこそ、作法が重要だよ」


 そんな言葉とともに、再び肩に手が当てられる。


「それじゃあ、つなぐね」


 言葉が首の後ろから聞こえた瞬間。


 視界がぶれた。



 ――いや、違う。情報が重なっているんだ。


 今私の視界には、何らかの複数種類の言語の文字や図形、映像、そして少し上から見た私の後ろ頭が見える。そのあまりの量と速さに、私はめまいと吐き気を覚えてしまう。


「ごめん、初めてだときついよね。送るの絞るからちょっとだけ我慢して」


 視界に重なる情報が減り、光る図形と帝国語の文字が流れている小さな四角がひとつ残った。


 文字は何らかの呪文なのかと思ったら、


[これ動かして解いてみて ヒント:引く]


 と書いてある。

 

 よくわからないが、視界にある図形を動かせばいいのだろうか。図形は半円が二つ噛み合った状態で配置されていた。


 ――こんなん、ヒントなんてなくてもわかるわ!


 そう思いながら円を引いて離すイメージをすると、その通りに図形の円が離れた。それと同時に、病室のドアがガラッと開く。


 医師も葵も驚いてその様子を見つめていた。もちろんドアの中から開けられた様子もない。

 え、これで空くの? ていうか、これ、私が魔法でやった……ってこと?


「なーいす! じゃあ、行こうか」


 私は促されるまま、ドアの中に入った。

 なんとなくそうしたほうがいい気がして、そっと後ろ手にドアを閉める。中は薄暗闇で、天井近くの採光窓から漏れる光だけが部屋の中を照らしていた。私は緊張して杖を体の前で握る。


「……だれ、だ」


 かすれたような声が聞こえて、暗闇の中で紫色の眼が不気味に光った。

 

「小影ちゃんに頼まれた天才つよつよ魔法使いとその助手でーす!」


 サフィールは謎の名乗りを上げて、右手で左袖に手を突っ込んだ。誰が助手だ……と見ていると、何に使うのか小さなナイフを取り出す。

 

 その瞬間だった。



 ――雷光が閃くように、金色が走った。


 

 小龍がサフィールに飛び掛かって、右腕に噛みついたのだった。


 魔法障壁が起動して、氷が割れるような音が重なって聞こえる。その牙は障壁を通り抜け容赦なく腕に食い込んでいた。暗闇の中毛布におおわれた状態だと気づかなかったが、小龍はサフィールより身長も大きく筋肉もある。まるで虎に喰われる鹿のように、力の差は歴然だった。

 

『おとせ、おちろ、まどろみ深き沼の底、深く迷え!』


 何かの呪文をサフィールが唱える。

 眠りの魔法だろうか。だが、唱え終わっても何も起こらない。そうか、こいつ今精霊魔法が使えなかったんだっけ。小龍は噛みついた腕を掴み、ぐるっと後ろに回って関節を固めた。呻く声が聞こえて、ナイフがカランと床に落ちる音がする。


 ――えーい、もうどうにでもなれ!


 という思いを込めて私は小龍に向かって思い切り杖を振った。が、片手で受け流される。力の向きを変えられて一瞬よろめく。思いっきり足を踏み込んでとどまった。

 

 紫の瞳がこちらを捉える。私は怯まずに声を上げた。

 

『おとせ、おちろ、まどろみ深き沼の底、深く迷えっ!!』


 真似した呪文。

 正直期待してはいなかったが、呪文を唱え始めるとともに柔らかい光が杖から放たれた。光は粒のようになって舞い上がり、小龍の体に溶けるようにしみ込んでいく。

 その光に触れた瞬間、彼は力が抜けたようにぱたりと眠り込んでしまった。

 

「はは……腕抜けるかと思った……」


 ナイフを拾い直し、袖に戻しながらサフィールが苦笑いした。

 驚くべきは、先ほどの小龍の動きがほぼ無音だったことだ。足音すらしなかった。音を立てていたのは私たちだけ。部屋の外で待っている医師と小影も葵も、中で行われていたことは気付いてはいないだろう。

 

「上手にかかってる。このまましばらくは起きないだろうから寝台に戻して続けようか」


 私たちは二人がかりで彼を寝台に持ち上げ、儀式を再開した。


 小龍の肌は尾と同じ金色のうろこが覆っていて、ところどころはがれていた。

 床にも寝台にもいくらか飛び散っている。


 よく見ると、血のようなものが付いていた。先ほどのかきむしる音は、これをはがしている音だったのだろう。こんな、自分が自分でないものに変わっていく恐怖とはどれほどのものだろう、とふと思う。

 サフィールが先ほどの小さなナイフと清潔そうな白い布を取り出す。

 そのナイフで自分の左の手のひらに薄く切れ目を入れた。

 じわりと滲んできた血を集めるようにその手を握り込み、眠る小龍の口もとに持っていく。ぽたぽたと数滴の鮮血が垂れ、その口元に吸い込まれていく。

 

「さっき医者に渡した霊薬エリクシールの原液ってやつ。効果は同じだけど、精製にも保存用の封印にも手順がいるから、直接与えようと思ったんだ。でも、要らない警戒させちゃったみたい」


 布で手を拭きながらサフィールが私の後ろに周り、肩に手を置く。


「これで準備完了。さっき試したの、実践やるよ」


 私は頷いて寝台の前で杖を構えた。

 先ほどのように四角い枠が視覚に現れた。続きの情報を待っていると後ろから声がかかる。

 

「……あのさ。さっき天才つよつよ魔法使いって名乗ったの、疑ってるだろ」


「はぁ? いや、別に思ってないけど」


 本当に思っていないんだけど、サフィールはなんだかきまりが悪そうにそわそわしている。

 自信満々なところでミスしたのが恥ずかしかったのだろうか。だったらでかいこと言わなきゃいいのに。

 

「体術も得意な方なんだけど、不意を打たれたっていうか。だけど……」


 肩に添えられた手に力が入る。杖の環が反応するようにちゃりんと鳴った。

 


「今からの体験したら、マジだったんだって思うから!」



 その言葉に反応するように、視界が急激に変化した。

 


「……っ!?」

 


 一瞬、目の前すべてが灰色に染まったように見えた。

 

 いや、そうではない。

 

 これは、模様?

 

 ちがう。

 


 ――記号だ。

 


 大量の記号を組み合わせた図形が、無限とも思えるような広さで目の前に浮かび上がる。



(なによ……これっ!)



 パズルのように複雑に絡み合ったそれは、一つ一つがしっかり見えないくらい細かい。

 ちゃんと見ようとすると目がちかちかする。

 どれを目で追ったらいいか戸惑っていると、先ほどのように四角い枠の上に文字列が浮かび上がった。


 枠の中には、[ここからは話できないから画面の説明を追ってね。一見複雑だけど、見ればいいとこだけ拡大するよ]という文字が浮かんでいた。


 その文字を読み終わるか終わらないかのうちに、図形が拡大されていく。棒やコの字のような直線的な記号がかみ合いながら組み合わさっているが、一部が欠けたりずれたりしている。

 

 後ろで息を吸う気配がして、続いて音が空気を震わせた。

 

 歌のような、呪文のような響きが部屋に満ちる。


 その音に反応するように図形が光った。

 [欠けている部分を埋めて]と枠の中に文字が浮かぶ。


 なるほど、さっきのドアを開けたみたいにしたらいいのね。私は拡大された棒の他より短い部分が他と同じ長さになるようにイメージした。すると、その通りに棒の欠けていた部分が埋まる。[ナイス!]と枠に浮かんだ。

 私は成功にちょっと喜んだが、初めの図形を思い出してしまう。


(……たしか、大量にあったよね? これ、全部やるんだろうか。)


 そんなことを深く考える隙もなく、違う部分が拡大される。


 今度はずれている部分をかみ合わせるようだ。できたら次。埋めて、埋めて、かみ合わせて、消して、埋めて。

 だんだんと感覚がわかってくる。歌の調子が早くなり、一度に表示される記号の数が増えた。

 

 ――ふぅん、合わせてくれてるってことね。面白いじゃん。

 

 記号を組み直していくたびに、目の前に広がる図形の向こうで横たわっている小龍の様子にも変化が表れていた。

 鱗と皮膚が融合し、人の皮膚に変わっていく。

 体のいたるところから分離するように生えていた龍のものと思われる組織は、吸収されたり剥がれ落ちたりして、人の形を徐々に取り戻していた。


 そうか、魔法っていうのは、自分自身の思い描くイメージと連動するものなのだろう。

 決まった型にのっとって儀式を行い、頭の中のイメージを形にしていく。

 そうすると、現実にも反映される。さっき説明にあった、人と龍の部分がけんかしているというのを象徴しているのがきっとこの記号なのだ。

 

 最後の図を直し始めると尻尾がするすると小さくなり、完全に人の姿となった……ように見える。服の下がどうなってるかまではわからないけど、たぶんそうだろう。

 

 そしておそらく最後の一つの記号が正しく戻されると、歌声が消え、視界に重なっていた映像も消える。肩から手が離れた。

 


 魔法が、成されたのだ。

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