第11話 はじめての魔法 前

 医師と小影の語った話を要約してみよう。



 小影の兄、小龍は彼女の本当の兄ではなく父の仕事仲間の少年で、居候という形で一緒に住んでいた。小龍はこの医院の清掃の手伝いもしていて、小影はよく世話をしてもらっていたようだ。家族との関係はいいように見えた。


 だがある日、彼は小影の目の前で彼女の父に斬りかかり、その命を奪ってしまったという。

 母親の方もその現場を見てしまい、どこかに逃げ出して行方不明になっている。

 で、小影はその時の状況をあまり説明できないようだ。

 でも、こんな小さい子に詳しく話せというのも無理な話だろう。


 とはいえ、なんでその流れで自分に呪術をかけたのか理由が見えてこない。小影もどうして助けようとなんてするんだろうか。

 

「『お兄ちゃんのこと、いまも好き?』って聞いたら、『うん』だって。それ以上は、うまく説明できないみたい」


 サフィールはそう言って、小影に目線を合わせながら何事か話しかける。

 硬い表情をして私たちの話を聞いていた彼女は、安心したように表情を緩めた。


 小影の表情を見ていたら、助けなければいけないような使命感に似た気持ちが胸の奥で揺らめいたような気がした。そいつがどんなに重い罪を背負ってしまっていたとしても、それはそれ、これはこれだ。ちゃんとした方法で償ってもらった方が絶対にいい。

 

「では、案内しましょうか」


 医師は立ち上がり、扉を開いて医院の奥のほうに歩きだす。

 この部屋です、と医師が扉を静かに引く。その中は真っ暗だった。

 


 薄く開いた扉から覗いて初めに目に入ったのは、


 

 ――長い、尾だった。



 金色のうろこと黒いヒレのついた尾が、廊下の蛍光灯の光を反射してうねるように動いている。



 寝台には人が寝ているようだったが、毛布をかぶっているようでどんな様子かはうかがえない。荒い息遣いと何かをかきむしるようなぱきぱきという音だけが聞こえてくる。扉が開いているのに気づいたのか、唸るような声とともに尾が不機嫌そうに床を叩いた。医師はそっと扉を閉じる。


 これが『罰』の呪術ということなのだろうか?

 このような状態は葵も見たことがないようで、黙り込んでしまっている。

 

「刺激を減らしてるのはなんで? 痙攣とかあった?」


 小声でサフィールが医師に聞く。

 

「いえ、ですが一応」


「獣の民と人の混血でなら、見たことあるよ。これは呪術の類じゃなくて、病だ」


 サフィールの言葉に医師が怪訝な顔をする。

 

「詳しく話している時間はなさそうだから大雑把に言うと、人と龍の部分がけんかして離れようとしているってことね。神経系は分離が最後になるから、神経症状が出始める前ならまだ戻ってこれる」


「てことで、さっさとやっちゃおっか」


 サフィールは私の方を見てにやっと笑う。

 

「やっちゃおうって……」


「彼を癒す魔法に決まってるじゃない」


「そんなこと、私にできるわけ……」


 むりだ、できるわけない。


 私は魔法使いでもなんでもない。葵のように精霊魔法を学んでいるわけでもないし、こいつのように怪しげな魔術を使えたりもしない。できることと言えば切ったり殴ったりぐらいなのに、何を言っているんだろう。

 

「できるよ」


 妙な確信を湛えて、紅い瞳がまっすぐこちらを見てくる。


 この自信はいったいどこから来るんだろう。でも、できると言われたら、なんだかできるような気もしてこないでもない。

 

「じゃあ、ここで準備していこうかな」


 と、紅の視線が私の頭上に逸らされる。

 さて……と呟いて、サフィールが軽く咳払いをした。

 

『あなたの名前はなぁに?』


 どこから出してるんだというような、まるで女性のような甘い声だった。

 カリィが何かに反応したように震える気配がした。

 

「カ、カリィ……じゃ」


 秘密を我慢しているのがこらえきれない様子でカリィが答える。

 サフィールは頷いて、名前を呼ぶ。

 

『カリィ』


『私、いい子は大好きよ。

ご褒美はケーキがいいかしら? 

いい子は姿を見せてくれるわよね?』


「あ……」


 頭の上でヘアバンドがほどける。カリィは人の姿に変化した。

 

工師マスター様……」


 そう懐かしそうに言いながらサフィールのもとに駆け寄る。


 葵はその様子を見ながら驚いた顔をして口を押さえている。わかる。私も意味が分からなさすぎて引いてる。

 マスターってことは、カリィを造ったのはこいつだっていうのだろうか? でも、エイシャに神器がやってきたのは何百年も前っていうし、魔法専門っぽそうなこいつは自動人形とかとは縁遠そうなイメージもある。そう混乱していると、ローブの裾に顔をうずめてうっとりしているカリィの肩をサフィールがむぎゅっと掴んだ。


「はい、捕まえた」


「あっ!?」


 やられた、という表情でカリィがサフィールの顔を見る。

 どうやら、別に知り合いとか造ったとかそういう関係ではなさそうだ。

 

「な、何をする気なのじゃ……」


「きみはなんにでもなれる子だからね。ナスカに魔法を使うための力を貸してあげて」


「でも、わしは……」


 戸惑うようにカリィが顔を伏せる。

 

「大丈夫。俺が『軛(くびき)』を解いてあげる」


 サフィールは少しかがんでその頭を撫でた。

 そして、カリィの頭上の空間に文字のような記号のようなものを書くように指を動かす。

 指の軌跡は光の跡を残しながら魔法陣のようなものを形作っていく。魔法陣が完全に形を成した後、最後に軽く指を鳴らすと、魔法陣は飛び散るように砕けた。

 カリィは信じられないといった様子で自分の体を見ている。

 

「次はナスカの番」


 ぼうっと見守ってしまっていた私は、急に声をかけられて驚く。

 

「へっ? な、何? 何すればいいの!?」


「焦らないで。ちゃんと教えてあげるから、まずは言うとおりにしてみて」


 サフィールは私を病室の扉の前に立つように導いた。

 

「最初に、魔法の杖を造ろう」


「想像してみようか。自分の身長より少し高いくらいの長さの棒で……そうだな、何か飾りがついてるのがいいな。持ちやすくて、魔法を支えてくれるもの」


 想像する。飾りのついた棒……。で、癒すための魔法を使うのよね。

 うん、何かなんとなくできる気がしてきた。

 

「神器を呼び出す言葉は知ってるはず。思い出して、唱えて」


 呼び出す言葉……カリィを動かすための言葉のことだろうか。

 

「えっと……、『私に力を』……?」


 何も起こらない。カリィは私とサフィールの間で私を見つめている。

 

「もっと強く願うんだ。助けたいって」


「強く……ね」


 私は病室の扉を見た。罪を負った少年。

 その体は今も刻々と龍と人との二つに分かれようとしている。どういう事情なのかは分からないが、家族のように暮らしていた少女……親を傷つけたにもかかわらず、自分のことを必死に助けようとしている小影を置いたままで、一人で死のうとしているのだ。


 急に、私の中に一つの感情が沸き上がってきた。



 ――ふざけんな!



 ――絶対に、助ける!! そんで、一発殴る!!



 言われたから意識したのか、それとも自分の中にもともとあったのか。

 わからないけど、戸惑うくらい燃え上がる気持ちがあった。




『――カリィ、私に力を!!』




 剣に変わるときのように、カリィの体がほどけて私の目の前に何かをかたどっていった。

 やがて、それは一つの形を成す。じゃらん、という重い音をさせながら私の手の中におさまった。

 


 それは、一本の長い錫杖だった。

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