第9話 獣の民
葵はサフィールの目をじっと見て、口を開いた。
「助けたいです」
「そう、わかった」
サフィールはうなずいて、少女に何事か話しかける。
話していることは相変わらずわからないが、続きを話すように促したようだ。ぽろぽろと泣きながら話し始めた少女に、彼はなだめるように優しい調子で時折うんうんと頷きながら言葉をかける。そんな調子で少女の訴えを明らかにしているようだった。
彼はひとしきり少女の話を聞いた後、その背中をぽんぽんと撫でた。少女はだいぶ落ち着いたようで、泣き止んで赤い目をこすっていた。
「何事なのよ……」
私は自分だけ置いてけぼりにされているようで、思わず気持ちを口に出してしまう。
「うーん……見ないと、わからないかな」
サフィールはゆっくりと立ち上がって服を整えつつ、軽く膝を伸ばして私の方を見る。
「ナスカ」
「何よ」
「俺だけじゃできるかどうかわからないから、ついてきてくれる?」
なんで私?
……というかこの魔法使い、見た目なんでもできそうな気がするのに。そんな奴ができるかどうかわからないことで、私にできることがあるのだろうか。
「葵じゃなくて?」
「葵ちゃんにも来てもらいたいけど、お前もってこと」
「というか、そこの『神器』が必要かも」
頭の上で『神器』と呼ばれたカリィが震える気配がした……、ような気がする。
そういえば、彼の目の前ではカリィは押し黙っていて何も言わない。これは、私も黙っていたほうがいいのかもしれない。
「何のこと……?」
私は目をそらして精一杯ごまかしてみたが、正直嘘はうまくない自覚はある。こいつの前で隠し通せるようには思えない。ふと、視線が獣の少女とかち合った。少女は不安そうに私たちのやり取りを見守っているようだ。ふわふわの耳がぺたりと垂れている。
「
サフィールは手のひらで少女を示す。
彼女は獣の民と呼ばれる、この地方の原住民――はるか昔からこの地に住んでいるけど、虐げられている種族たちなのだそうだ。ほとんどの者たちは一生を眠浮で過ごし、満足な食事や住居もなく、病気になっても十分な医療を受けることもできないまま死んでいく。
この区画は医院が集まっているが、その対象は帝都に住むちょっと事情のある人たちで、彼ら獣の民は門前払いが常なんだとも言った。
「どうも、お兄さんが困ったことになってるみたい。名前を知ったら、助けてあげたくならない?」
サフィールはこちらを見てにっこりと笑った。
「……」
――兄。その言葉に、なぜか心を揺さぶられるものがあった。
ふと、目の前の少女と小さな自分の姿が重なって見える。
帝国に連れてこられて、一人になってしまった時の自分。
決められてしまった運命に抗いたくて、でもその力がなくて、泣いていた子供の時の自分。
……そして、
――×××××を、助けられなかった自分。
泣いて助けを求めるこの子の兄を助ければ、何か感じられるのだろうか。
私は、思わずうなずいていた。
***
小影の兄がいるという医院は、医院通りとは外れた場所にあった。
他の場所とうってかわって周囲は掃除され、植物の植わった植木鉢なんかも置いてある。ここだけ、異世界のような雰囲気だった。内装は古いが、床や棚も整頓されていて清潔感がある。
「……そうですか。わざわざ、ありがとうございます」
私たちは訪れた診察室で、この医院の主だというエルフの医師に事の次第を話していた。医師は黒髪に長く伸びた薄い耳。小さな丸眼鏡をかけて、眠浮の人たちが着ている民族衣装に白衣を羽織っている。彼はは煙草を深く吸い込んで、息を吐いた。
「ですが、お引き取りください」
『……!』
小影が医師の服の袖を掴む。だが、医師は首を振った。
「そんな……」
「これは、彼ら獣の民の問題です。あなたたち人間はどうすることもできない」
「でも、僕、治療士の資格持ってます。何かのお役には立てると思います」
葵が医師に訴えかける。
「無理です。彼は、自分の意志で『罰』を受けているのですから」
「罰……?」
「獣の民特有の、解明出来ていない呪術です。一度発動すれば、死ぬまで苦しみ続け、癒すこともできない呪い」
「それを、彼は自分自身にかけた」
医師は目を伏せる。そう言われてしまえば何もできることはないのかもしれない。答えあぐねていると、後ろの寝台に勝手に座って話を聞いていたサフィールが「へぇー」と抑揚のない調子で言った。
「医術って、帝国ができてから普及した治療術だろ?」
「たかだか百年くらいの経験知識程度でわかんないとか無理だとか、まだ老い先長いだろうに大変だな」
表情は見えないが、むかつくヘラついた顔をしている気がする。それを証明するように医師の表情が険しくなった。
「魔術と医術の複合で治すにしても、相応の魔術師の力や魔法薬もいります。ここでは設備もなく本当に無理ですし、第一私たちだって慈善事業をしているわけではない」
医師は苛ついた様子で返す。葵が雰囲気に耐えられなくなったのか私の服の裾をぎゅっと握ってきた。
「それもそうか」
サフィールは口元に手を当てて何やら考えるしぐさをした後、左手をローブの右袖に入れて目を閉じて何やら探り始めた。何かを取り出してみてはしまう事をしばらくした後、一本の小さな瓶を取り出した。
それは何やら金色の液体が入っている、赤の封蝋が施された透明な小瓶だった。
「これで、診てみるだけでもできない?」
医師は興味深そうに瓶を手に取り眺める。ゆらゆらと揺らしたり、光に透かしたりして見ていたが、そのうち何かを察するように医師の目の色が変わった。
「これ、本物ですか?」
「もう一本ロット連番のがあるから、使って証明してもいいよ」
「いや……それはさすがに」
貴重な薬か何かなのだろうか。なんにせよ相当に高価な品のようだ。医師は半分気まずそうに、半分嬉しそうに、複雑な雰囲気で小瓶を眺めている。
「とりあえずは小影ちゃんの話をこの子達にも説明してあげたいから、協力してね」
「いいですけど、私は責任持てませんからね」
あまり詳しいわけでもありませんし、と前置きをして医師は小影にまつわる話を始めた……。
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