第8話 魔法使いと獣耳の少女

 地下水道で出会った男は、私たちの目の前で佇んだままにこにこと笑っている。

 翼は同じ術をかけているのだろうか、何らかの方法でしまっているのだろうか、生えてはいなかった。

 

「……悪い人なんですか」


 葵が緊張した様子で男を睨む。男はうーん、と何かを考えるように目を閉じた後、両手を頭の上に掲げてひらっとこちらに返した。


「どっちになるかは、キミらしだいかな」


 その手のひらの中には、白い端末が収まっている。それを見て葵が目を丸くした。


「あっ……!」


「あれ? 覚えがあるのかなぁ?」


 男は意地悪そうにニヤニヤしながら葵の反応をうかがっている。

 

「かっ、返してください!!」


 葵はぴょんぴょん飛びながら男の持っている端末を奪おうとする。

 が、頭一つ分以上も違う背丈の男の手に届くはずもない。それでも負けずにつま先立ちしたりジャンプしたりしているが、空しい抵抗だ。悔しいが、私もぎりぎり届きそうにない。

 男は葵の反応に夢中になっている。わかる、わかるよ。小動物みたいでかわいいもんね。涙目になってあわあわと必死に手を伸ばしている姿は正直たまらないものがある。でも。

 

 葵のことを泣かせるやつは、許さん!!


 私は気付かれないように静かに足を踏み込み、勢いをつけてそいつのがら空きになっている脇腹に向かって拳を放った。あばらの一本や二本くらいいくかもしれないが、そのくらいのことはしてると思い知れ!

 

 パキィン!


 拳が男の体に触れる寸前、氷が割れるような音がして虹色に輝く薄いかけらが散った。私は驚いて手を引いてしまう。

 

「あぶなっ」


 すかさず男が指を鳴らした。散ったかけらと同じ色の薄い膜が、先ほど私が殴ったあたりに一瞬現れて消える。魔法の鎧か何かだろうか。衝撃を吸収し壊れても魔力がある限り何度でも復活できる防御魔術があると授業で聞いたことがあるような気がする。

 

「なにそれ! そんなんズルい!」


「え、だって、殴られたら痛いし。あ、だめだめ、まだ渡せないよ」


 男は端末を持つ手をまた高く持ち上げた。完全にナメられている。

 

「ほっ、ほんとに、返してくださいっ」


「じゃあ、魔法返して」


 男はにこにこしながら葵に言った。そうか、精霊魔法使えなくしてたんだっけ。でも、いまいち真剣じゃないというか、むしろ楽しんでいる様子だ。私たちは必死なのに、と理不尽さに腹が立ってきた。

 

「なによ、精霊の助けなんてあんたには要らないじゃん!」


 私は思わず声を荒げてしまう。男は驚いたようにこちらを見る。

 

「なんか、ふつーに魔法使えてるし! 葵にはその端末が必要なんだから、返しなさいよ!」


 男は一瞬何か言いたげな顔をしたが、そのままふっと葵に目線を戻した。

 葵は上目遣いで、目を潤ませて男の方を見ている。

 

「ひょっとして、かなり深刻なやつ?」


 男の言葉に葵は頷く。そして、少しの沈黙が流れた後、

 

「それは……ごめん」


 思いがけないくらいあっさりと端末を差し出した。葵はそれに手を伸ばして男のほうを見つめる。男が変わらず端末を差し出したままなのを見て、葵はほっとした様子でそれを手に取った。

 次の瞬間、葵は何かに気付いたように驚いた顔で周囲を見回した。先ほど地下水道で葵がこの男から魔法を奪う魔法を使った時に聞こえたように、何かがさわさわとささやいている声が耳に響いてくる。これはいったい、なんなんだろう?


「――あの、」


 葵が男を見上げて何か言いかける。その瞬間だった。

 

「~~~~!!」


 静かだった路地に突然怒鳴るような声が響いた。ここの先住民の言葉なのだろうか、意味は分からないが、なんだか大変に怒っている様子だ。

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、私たちのいる路地の壁にあるドアが激しい音をして開けられ、少女が放り出された。少女は一瞬うずくまるが、ドアの閉まる音を聞いてすぐに起き上がってドアを叩く。


「~~! ……っ!!」


 少女の喋っている言葉の意味は分からないが、何かを懇願しているだろうことは伝わってきた。ドアには医院のしるしが描かれている。家族かだれか近しい人が病気にでもなったのだろうか。葵はあっ、と声を上げてその少女に駆け寄る。


 私はそこで初めて、その少女の姿が通常の人とは違っていることに気付いた。

 彼女は金髪の頭頂に近い部分にふわふわの黒い耳と、お尻に尻尾を生やしていた。先ほど放り出されたときに肩を擦りむいたようだ。薄桃色の民族衣装の肩から腕に血がにじんでいる。葵は、その傷に癒しの術をかけていた。みるみるうちに傷が癒えていく。


「……?」

「……っ!!」


 葵の魔法を少女は不思議そうに見ていたが、それが傷を癒すものであることに気付いたのか、必死な様子で葵の服を掴む。何事か訴えかけるように喋っているが葵も意味は分からないようで、困り果てた顔をしている。


「どうしよ……端末の翻訳アプリにもここの言葉は入ってないから……」


 言葉がわかる人がいなければ、どうしようもない。

 

 眠浮の大人たちなら帝国語で会話のできる人たちはいるかもしれないが、あの取りつく島のない人たちの様子を見ていると、助けてもらえるかは正直期待できない。


「しょうがないなぁ……」


 私たちが途方に暮れている様子を見守っていた魔法使いの男は、やれやれといった様子で苦笑いをした。葵のそばに歩み寄り、長いローブとマントが床に触れないように丁寧な所作でまとめながらしゃがむ。体を丸め、葵の顔を覗き込むように話しかけた。

 

「俺、サフィールっていうの。よろしく、葵ちゃん」


 さっき私がうっかり言った名前を憶えていたのだろうか、目ざとすぎる。そんなことを考えていたら、私の方を振り向いて、にぃっと笑った。

 

「お前はナスカだっけ」


「え……」


 私もなぜか憶えられている。そしてどういうわけか呼び捨てだ。キモい。

 

 サフィールと名乗った男は少女にも何事か話しかけた。意味は分からないが、なんとなく少女の話していた言葉と発音や抑揚が似ている気がする。少女ははっとしたように言葉を返す。ちゃんと通じているようだ。話しながら少女は泣き始めてしまった。サフィールは目を閉じて数秒考えこんで、真剣な顔をして葵の方を見る。

 

「俺ならこの子の話聞けると思うけど」


「――葵ちゃんは、この子のこと助けたい?」


 突然聞かれて驚いたのか、葵は目をぱちぱちさせる。葵は私の様子をうかがうようにこちらを見たので、私はうなずきを返した。

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