第7話 帝都南区「眠浮」へ

「はぁ……はあ……っ、待って……ナスカ……っ!」


 男から逃げながらしばらく走った後、葵の声が遅れはじめ、ついには立ち止まってしまった。そうだ、この子は私ほど体力ないんだった。

 

「ごめん……!」


 葵は肩で息をしている。一緒に行くなら気を付けてあげないとな…とちょっと反省した。

 

「うん……でも、追って来てる感じはしないから、大丈夫そう」


 そう言う葵につられて、振り返ってもと来た道のほうを見る。そこそこの距離を走って何度か角も曲がってきたせいか、こちらには何の音も響いてこない。もしかして……

 

「やっちゃった、とか?」


 私の言葉に葵がはっとした顔で口を押えた。確かにうさんくさくて腹の立つ奴ではあったが、そこまでする必要はなかったかもしれない。私も思わずもと来た道をじっと見てしまう。――と、頭に巻いているヘアバンドのメダルのあたりから声が響いた。カリィだ。

 

「いや……死んではおらんじゃろう」


「あいつは、あの程度の魔物にはやられたりはせぬ、と思う。わしを造った工師マスター様と似た気配がしておったからの」


「造った人って、天使族ってこと?」


 私は学校を出る前にカリィとしていた話を思い出していた。羽根のある、魔法と知識に長けた生き物。確かに特徴だけ抜き出せば、ぎりぎり被っているかもしれないけど……。

 

「天使族って……なんかもっと高潔な感じがするけど……」


 どうにもあの軽薄そうな話し方とヘラヘラした感じは、そのイメージとはかけ離れている。

 

「それは……まあ、そうじゃな」


 カリィも私と同じように困惑しているようだ。

 

「あんまり、考えすぎないほうがいいかも……。あと少しで地上に出られるはずだから、行こう?」


 葵が苦笑いして出口の看板を指す。それはもうすぐ南区に出られることを示していた。


  ◇◇◇


「うう、気持ち悪い……」


 崩れた歩道の上で、男は心底嫌そうな顔をして服の裾を絞っていた。


 頭から足先までずぶ濡れで、背中から生えた翼からもぽたぽたと水滴が垂れている。地下水道は上水道というわけでもなく、ただの暗渠だ。つまり魚や水棲生物、魔物なども普通に棲んでいる。そんな場所に流れる、あまり清潔だとは言えない水に体が触れていることがとにかく嫌で仕方なかった。

 

 下のほうの水辺には、気を失った水竜が浮かんでいる。

 

「……」


 男は考えるしぐさをした後、呪文を唱える。

 

『――我に纏わる水の精よ、応えよ、散じて風に散れ――』


 だが、何も起こらない。

 

『……応えて?』


 男は空に向かって伺うような目線を送りながら問いかける。


 ――が、やはり何も起こらない。

 

「……なんっ……なんだ! これ!」


 男は苛立つように声を上げた。無意識に翼がぶわっと広がる。


「声を出せなくしたり呪文を遮断したりするでもなく、直接聞かないように精霊たちに命令できる術師なんて、聞いたことないぞ……」


「……はぁ」


 男は一つため息をついて、どうしたものかと額に手を当てて思考を巡らすように目を閉じる。視覚が消えると体にまとわりつく濡れた布が自分の体温で生温かくなる感触がありありと感じられた。集中するつもりが余計に思考に集中できなくなった。

 男はあきらめて目を開け、若干恨みを込めて少女たちの走り去った方向を見た。

 

「――?」


 ふと、床に落ちているものに目が行った。白く小さな板状のそれをそっと拾い上げる。


 それは、小さな魔法端末だった。


 端末には重めの魔術鍵ロックが仕掛けられていて、持ち主でないと起動もしない仕組みになっていた。先ほどの二人のどちらかの持ち物だろう。

 

「交渉材料にはなるか……」


 そう言って、端末を袖のたもとに放り込む。魔術鍵を解除してみたくもなったが、精霊とのつながりさえ返してもらえればいい。変な魔術、学生が持っているはずもない厳重に鍵のかかった端末。何か面倒ごとを抱えている雰囲気もあるし、関わるときっと碌なことにならないだろう。


 男は翼を一つ羽ばたかせて、気合を入れるように両手で頬を叩く。

 

「今なら追いかければ間に合うな。服乾かすくらいなら一瞬で終わるだろうし、がまん、がまん……」


 男はそう呟いた後、大きく息を吸い込んで胸の前で手を合わせた。


  ***



 地下通路の出口を出ると、そこは見たこともない街並みだった。

 

 全体的にほこりっぽい路上に、隙間なく怪しい店が並んでいる。魔法に使う道具や怪しげな魔法書、異種族の武器、いかがわしい感じの何かなどを売っているようだ。ふと見上げると、大きな塊のような建物が聳え立っていた。なんでも、たくさんの建築物の集合体だという。

 

 ――帝都南区、眠浮みんふ


 私も話くらいは聞いたことがある。帝国ができる前からあった街で、帝都ができるときに元居た住人で反対したものたちや特定の種族たち――帝国の規範の枠に収まらない人たちが集まり棲んでいる場所。今でも彼らは抵抗を続けていて、危険な街だから訪れないように学校からも注意されていた。

 

「あまりきょろきょろせぬ方がよいぞ」


 カリィが好奇心に負けそうになった私の心を見透かすように言う。

 

「……ほんとに、ここに入るの?」


 葵は頷く。

 

「ここを出る前に、調べたいことがあるから……。でも、このへんだと眠浮の中にしか端末がなくって。他のことも、ここのネットワークだったら調べられると思う」


 そう言って、とことこと歩いていく。意外と大胆なところがある。

 

「地図とか……いらない?」


「大丈夫だよ」


 葵は振り返って私を安心させるようににこりと笑う。そういうもんなのか、と私は葵のあとをついていった。

 

 眠浮に入るといっそう雰囲気が恐ろしくなってきた。

 

 表にある店をもっと怪しくしたみたいな、もはや何が売られているのかよくわからない店が並んでいる。お札のようなもの、小さな人形、何の肉かわからないようないろんなサイズの干物や骨、極彩色の安っぽい布。

 すごく多くの種類のものが売られているのに、全てが自分とは縁遠いものだ。看板の文字は帝国語と一見似ているが、見たこともない文字が並んでいて、異世界に迷い込んだようでめまいがした。


 壁を見ると、鼠色の電気線が一面に張り巡らされている。

 その流れに沿って一定間隔に蛍光灯が並んで光を放っていたが、床はかろうじて見える程度だ。でも埃やなんだかわからない汚れがたまっているのはうっすらと見えた。天井かどこかから汚水が漏れているようで、どこからともなくなにかが腐ったようなにおいが漂ってくる。

 私たちは気を付けて地面の水たまりを避けながら歩いた。


「この電線に住んでる精霊さんがここの全部の道知ってるの。街頭端末は……こっちかな」


 階段を上り下りしながら十分ほど歩くと、少し開けた場所に出た。そこには確かに街頭端末があった。おお……ほんとだ、とちょっとびっくりしてしまった。

 

 葵はさっそく魔法端末を取り出そうとポケットを探る。が、すぐに慌てたようにきょろきょろし始める。


「あれ? あれっ……? ない……!」


 葵はポケットを何度も探るが端末が見つからないようだ。みるみる困った顔になる。

 

「どうしよ……あれがなかったら……」


 魔法端末。小さな魔法具でメッセージのやり取りや簡単な魔法の使用をしたり、街頭端末から魔術ネットワークには非公開の情報を受け取ったりなどすることができるらしい。私は持っていないのでよくわからないが、魔法使いには必須と言ってもいいアイテムとなっていると聞いたことがある。

 

「学校出る前まではあったのに」


「えーと、ひょっとして、さっき落とした……とか?」


「あっ……!?」


 私の言葉に葵が青ざめる。ドラゴンに襲われた時か男から逃げるときに落としていたとしても、不自然じゃない。戻るべきかと葵に声をかけようと悩んでいると、

 

「それ、正解かも~!」


 場違いなほどやたらと陽気な声が後ろから聞こえた。

 

「!!」


 私はとっさに振り向く。

 

 だが、そこには元来た薄暗闇だけが広がっていた。


 確かに声が聞こえたのに。

 信じられなくて目を凝らすと、さっきよりも近い場所で声が聞こえた。


「さっきも言ったけど、女の子が二人きりでこんな危ないところ来ちゃだめでしょ」


 言葉が足音とともに私の横を通り過ぎていく。目を凝らして見ると空気が陽炎のようにじわっと歪んだように見えた、気がする。

 

「でないと……」


 いや、気のせいじゃない。声が発されているあたりの壁や床が、滲むようにゆがんで見える。歪みは徐々にノイズを生みながら私の目の前を通り過ぎて、葵の目の前で解けるように白いシルエットに変化した。


「……!」


不可視インビジブルの魔術とかを使う悪い魔法使いに、後をつけられたりするからね」


 地下水道で出会った男が、そこに立っていた。

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