第二章 旅立ちは魔法使いとドラゴンの導きに呪いを添えて

第6話 地下水道の怪物

 ◇◇◇



 ――四角い空。


 自分の見ることのできる空は、いつもその形をしていた。


 窓とビルの隙間と、それだけ。

 知識ではその外に大きな空が広がっていることは理解しているし知っている。でも、自分の翼が飛べる空は、囲われたわずかな四角い隙間の中にしかなかった。


 だけど、それでいい。白い雲の浮かぶ眩しい蒼天も、美しい星の輝く漆黒の夜空も、あの四角い額縁の向こうの出来事だと思ってしまえれば、その美しさに焦がれて身を焼くこともないのだから。

 見上げた四角の先には満月。目の前に穿たれた隙間の中に降り立つ影は、その先の深さを示していた。


 大丈夫。自分の距離はわかっているから、上手に飛べる。

 それに、そのほうがなんだかちょっとカッコいいし。


 そう思いながら、彼はいつものように重力に身を任せた。

 

 

 ***



――帝都、地下水道。


 地下水道は、帝国ができる以前からあったらしい、学校から市街に抜ける道の一つだ。

 私と葵は、その壁面に設置された歩道の上を歩いていた。

 

 壁に据えられている魔法灯の放つ頼りないオレンジの光が、私たちの進む道を照らしている。古い石造りの大きな空間の下は真っ暗闇で、水が流れる音が響いてくるだけだ。ところどころ壁面が崩れていて外の空と緑が見えるが、光は歩道の方まで十分には届かない。下方に目を凝らしてみると、水面あたりの壁に黒い穴が見える。

 水の流れは一方向ではなく迷路のように複雑に絡み合っているようだ。


 葵が付いてくると言った時にはびっくりしたが、同時にほっとした。カリィが付いてくるとはいえ、ほぼ一人のような状態で知らない場所に放り出されるのは怖かったから。

 

「……本当にごめん」


 しゅんとしてしまった私に、葵はぐっと手を握って向き直る。

 

「南区へ行けば、何とかなると思う。港があるから」


 葵は船で帝都の外に出ることを考えているようだ。確かに帝都を出てしまえば、追っ手はつきにくくなるだろう。

 

 でも、でもだ。

 

「本当に、ついてきてよかったの?」


私は葵の方を振り向く。葵は私を励ますようににっこり微笑んだ。


「うん、僕なら、大丈夫だよ。がんばろ、ねっ!」


「葵……ありがとう……」


葵の笑顔に、ついうるっときてしまう。葵は本当に優しい。かわいくて小さくて、でも私よりずっとかしこくて強い、すてきな女の子。


「そういえば、さっきの魔法、すごかったね」


「魔法?」


 葵はよくわからないという様子で首をかしげる。

 

「ほら、私のこと襲ってきてたあいつを水に変えて消しちゃったやつ」


「ああ! あれはちょっと違うというか……。あの人は、水を操って自分自身の現身を作っていたの。だから精霊とお話してやめてーって言って、水に戻ってもらったの」


 葵は私にもわかるように言葉を選んで説明してくれている。なるほど、直接エイシャから学院に来ていたわけじゃなかったのか。

 

「そっか。葵はやっぱりすごいね」


「そんなことないよ……えへへ」


 葵は照れたようにへにゃりと笑う。かわいい。

 そして、しなくてもいいのに私の脳裏に先ほどのカインの狼藉――何の予告もなく、いきなりキスしてきたことが頭の中に浮かぶ。


「そっか、あれは水と思えば問題ないのね……」


「?」


 葵が不思議そうに首をかしげる。しまった、いつのまにか声に出していた。

 

「な、なんでもないわよ!」


私は赤くなってしまう。生々しい感触は本物っぽかったとはいえ、ファーストキスを本当に奪われたわけじゃないのかと思い、胸をなでおろした。


「この世界の万象は、精霊たちの管理のもとに成り立ってると言われてて」


 葵は話を続ける。

 

「精霊魔法は、その精霊さんたちの力を借りることで、自然現象を思ったように動かす魔法なんだ」


 そういえばそんな話、共通科目の基礎魔法学で聞いたことある気がする。でも、魔法科じゃない自分には関係ないと爆睡していたんだと思う。

私は頷きながら葵の話を聞く。


「でも、精霊さんたちはなるべく『今』を保っていたいと考えてるみたい。だから、僕はその想いを少し後押ししただけ」


 なんだか難しい話だ。つまりは、基本的には精霊たちは命令されて何かをしたくはないと思っているのだろうか。

 

「じゃあ、人間のいう事なんて聞かなきゃいいのにね。どういう仕組みで呪文に応えてくれてるんだろう」


「僕は精霊さんじゃないからわからないけど、なんでだろうね?」


 葵は困ったように笑う。

 

 その声に重なるように、バシャッという音が下から響いた。


「……?」


 私は慎重に耳を澄ますと、廊下の下をザバザバと何かが泳いでいるような音がする。


「魚にしては、大きい音ね……」


 私は下をのぞき込む。明かりが届いている水面がわずかに見えると思った時、ゆらりと水の中に黒い影が浮かんだ。

 その影の形は……と思ったと同時に、水をまき上げて何かが水の中からジャンプした。

 

 ――おおきい。

 

 目に入った瞬間、そう思った。

 大きな角、翼のようなヒレ、ぎらっとしたうろこ。それは、図鑑で見たことがある。逆に言えば、図鑑でしか見たことないような生き物だった。

 

「ドラゴン!?」


 水に飛び込む瞬間、そいつのヒレが歩道を巻き込んで破壊した。衝撃で体が吹き飛ぶ。受け身を取る私の横を葵の体がすり抜けていった。

 まずい、葵が落ちちゃう。そう思って身を起こすと、葵が壁に当たって止まるのが見えた。葵は小さな声を出してうずくまる。

 地下水道ではドラゴンなどの魔物が警備に飼われているなんてうわさを聞いたことがある。そんなのと戦って勝つ方法があるのだろうかと一瞬迷ったが、今この瞬間はそんなことよりも、葵の無事の方が大事だ。一刻でも早く駆け寄ろうと駆け出した。

 

 ――その瞬間。


 ごとり、と足元の歩道が崩れた。体が支えを失う。あわててもがくが、私の手は一歩届かず空をかく。


「え……」


 やだ! こんなところで終わりたくない!! 

 

 そう思うが、体が動かない。水面が目の端に見える。たまらず私はぎゅっと目をつぶった。葵が私の名前を呼んでいる――


『――とまれ、とどまれ、たゆたう水面、その舞止めて、あきらかとなれ――』


 微かな声を聞いた気がした。歌うような不思議な節回しの、心の奥に響く心地いい音。


 そして、光が爆発するような感覚があった。


 薄く目を開けると、空気がきらきらと輝いている。しだいにその光が収束し、大きくて透明な塊が形作られていくのが見えた。

 その塊が、地下水道に据えられた灯のオレンジの光を反射して星のように瞬いている。塊の中に先ほどのドラゴンが閉じ込められているのが見えた。氷だ。

 吐く息が白く煙って、頬がぴりぴりと痺れる。空気が冷えているのを意識した瞬間、体に触れるぬくもりがあることに気づいた。

そこで、私は今更ながら自分の状態を認識した。


「え、ええっ!?」


 お姫様抱っこ、されている……!?


 足がつかない。何者かに肩と膝に手を回され、ぎゅっと抱き寄せられている。目の端に見たことのない意匠の白い衣が目に入った。 手の大きさとか胸板の感触からして、男だろう。一難去ってまた一難、二難三難、今日は何の日なんだ!と身を固くしてしまう。


「じっとしてて」


 そいつは、優しい声で私に耳打ちしてきた。


「じゃないと、へんな所触っちゃうかも」


 そう言いながらも、すでにその右手は私の腿を撫で回している。


「ちょっ、何触ってんのよ!」


 冗談じゃない! 私は手を振り回して暴れた。体がぐらりと揺れる感覚がして、焦ったような声が聞こえる。


「わわっ! ごめんって!! マジ暴れないで! 落ちるから!」


 鳥が羽ばたくような音がして、視界が黒くなる。戸惑っているうちに私の体は浮かび上がり、ふわりと廊下の上に着地した。

 男は私をそっと降ろした。地面に足が付いた瞬間、はぁー……とため息が出る。


「ナスカ……!」


 葵が警戒しながら私と私の背後にいる男を交互に見ている。

 一息ついて、私も後ろを振り返る。


 そこには、得意げな顔の男がこちらを見下ろしていた。


 容姿だけ見れば、整った顔立ちの少し女性的な趣もある青年と言えばいいだろうか。でも、その風貌が異様だった。

男は細い体躯に、見たことのない異国の意匠に彩られた真っ白なローブとマントを纏い、中に黒い前合わせの服を着ていた。白銀の 長髪に淡い紅とも朱ともつかない色の瞳、そして背中に生えた大きな黒い翼は彼が人ではないことを物語っている。

 ふと、帝都のどこかに住んでいるという魔族という種族のことが頭に浮かんだ。私は見たことがないが、強力な魔法を使い、人を食う人型の生き物たち。これって、さっきのドラゴンに襲われているよりまずい状況なのでは……と息をのむ。


「ねぇ、女の子が二人、こんなとこで何してるの。危ないよ」


 男は口元に手を当てて、にこやかに私たちを見ていた。にこやかというかニヤニヤしているというか……笑みで薄く開いた口に、牙のようなものも見える。


「なにって……言わなくちゃダメですか」


 葵が私に半分隠れながら男に言う。男は慌てて、違う違うというように両手を振ってみせた。


「あ、そういうのじゃなくて!」

「せっかくかわいい子がいるんだからお話したいな~……みたいな?」


 男は少し照れたように目を伏せて髪をかき上げる。髪に挿している黒の羽飾りが揺れた。


「???」


 状況に似つかわしくない予想外の調子と言葉に、葵も私もあっけにとられる。ひょっとして、ナンパというやつ……なのだろうか? この状況で?


「あ、まって」


 私たちが何も言えずにいると、男は何かに気付いたように手を停止の形で差し出した。改めて私たちのことを観察するように上から下まで見つめて、眉をひそめて言う。


「もしかして、君たち帝国学院の学生?」


「そうだけど……」


「!! そうかぁ~~!」


 男は頭を抱える。そうして、ハッとしたように葵の方を見た。

 

「ほんとだ、よく見たらお子様じゃん! お前も胸と尻がでかいだけ!!」


「とにかく、学生はだめ! ごめん、行っていいよ」


「は!?」

「!!」


 いきなりの自分勝手すぎるあまりの物言いに殴ろうかと思ったが、一瞬先に葵が動く。


「子供じゃないですっ!!」


 今まで聞いたことないような大きな声だった。

 葵が手を付き出すと、風が巻き起こり、男を吹き飛ばした。

 

『みんなにそのひとのお手伝い、しないように言って!』


 葵が空に向かって叫ぶ。その声に反応するように、さわさわと何かがしゃべっているような小さな音が聞こえる。その音がふわっと上空に抜けていくように感じた。


 ――その瞬間、ドラゴンと水面を凍らせていた氷が、溶けた。


 男が情けなく「あっ!?」と声を漏らしているのが聞こえる。そして、水音が響いた。あっけにとられていた私の手を葵が取る。

 

「行こう!」


 私は頷いて、南区出口の方に駆け出した。

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