第5話 さよなら、いままでの私

「帝国学院警備隊だ! ナスカ・セツ・エイシャ! お前を拘束する!!」


「えっ⁉」


 私は警備隊の声に驚いて、剣を取り落としそうになる。


「なんで……」


「わかってるんでしょ。キミは反乱を鎮めるための交渉材料となる。人質っていうのは、こういう事なんだよ、ナスカ」


 セイ先輩が私に刀を向けた。その瞳は、いつものやさしい先輩のものじゃない。まるで人間じゃないものを見るみたいに冷たくて、恐ろしかった。


「帝国のために、捕まって」


 先輩の剣が私の首に当たる。警備隊がじりじりと近づいてきた。と、横で見ていたカインが、こちらに向かって歩み寄る気配がする。セイがカインの方を見た。

 

「君は一般生徒か? 足止めしておいてくれたのか、ありが……」


 先輩の言葉が止まる。


 金属の音と、鈍い水音が混ざったような嫌な音がした。

 

 体が固まって、身動きが取れない。

 他の警備隊も固まっている。ゆっくりと、視線を下に移す。カインの刀の切っ先が、先輩の太腿を突き刺していた。先輩が叫んで崩れ落ちる。先輩の剣がカランと音を立てて転がった。


『なんだ? この程度の痛みにも耐えられないのに、我が妃に剣を向けたのか?』


そう言いながら、カインは倒れた先輩の足の同じ位置をもう一度刺した。

もう一度、二度、三度。足元にはじわじわと血だまりが広がっていく。あまりのことに警備隊の一人が逃げ出す。あるいは助けを呼びに行ったのかもしれない。


『その覚悟もないのに! 耐えられもしないのに!! お前は!』


『やめて……!』


 私は思わずカインの腕を掴む。思ったよりも細い腕だと思った。彼は顔を上げて私の方を見た。なぜか今にも泣きそうな顔をしていた。

 彼はその口を開けて、何か言おうとした。その瞬間――、


『水の子たち、元に戻りなさい!』


 聞きなれた声の呪文が響く。

 その次の瞬間、カインの姿がほどけて、水となって散った。



  ◆◆◆



 ――少し前、帝国学院、カフェテラス棟前。


「やっぱり、ほっとけないよね」


 葵は、カフェテラス棟の入り口に設置された街頭魔法端末の前で佇んでいた。

 少し迷ったあと、制服のポケットから白い板状の魔法器具――魔法端末を取り出す。


「とりあえず、端末で情報を調べて……ひゃっ!?」


 魔法端末を街頭魔法端末にかざそうとした瞬間、急に着信音が鳴り響く。その音に彼女はあわてて画面を確認し、通信に出る。


「は、はい。 僕です!」

「えっ……」

「はい、わかりました」

「……はい」


 葵は何者かの言葉に答える。そのあと、俯いて通信を切った。

 

「……ナスカ、僕、どうすれば……」


 葵は一人で困り顔をしてみせた。だが、応えるものはいない。少しの沈黙の後、何かを決意するように水道にむかって廊下を駆けだそうと、振り向く。

 

「ひゃっ!」


 葵は驚いた。そこには、黒髪の少年が立っていたからだ。その風貌が、ナスカと少し似ているかもしれないと葵は思った。

 

「あ……、ここの…がくせい、知る? ナスカ・セツ・エイシャ」


 黒髪の少年は途方に暮れた表情で、たどたどしく葵に問いかける。葵ははっとして端末の翻訳魔術を起動した。モードをエイシャ語に合わせる。

 

『知っています。これから探しに行くところ』


少年は驚いた顔をして、頷いた。そして葵をきっと見据えて言う。


『彼女に伝えたいことがあるんだ。同行してもいい?』


 葵は頷いて、駆け出した。

 

  ***

 

「先輩、大丈夫ですからね――『来て、癒しの風』!」


 水たまりの前で呆然としている私の目の前で、葵がセイ先輩を治療していた。風がくるくると舞ったかと思ったら、光がふわふわと漂い先輩のまわりに集まる。流れていた血は止まり、みるみる傷が塞がっていく。

 

「ひどい目に遭った……ありがとう」


「先輩、あの……」


 私は他の生徒に捕らえられていた。逃げた生徒が呼んできた警備隊がそろっている。もう逃げることなんてできない。そのつもりもないのだけど。でも、せめて先輩には謝りたかった。

 

「……ごめんなさい……」


私の謝る声に、先輩は一言も答えない。傍に控えた警備隊の少女がため息をつく。


「ごめんなさいってどういう事よ。あれ、知り合いか何かなの? そもそも謝ったって通じると思っているの?」


 その通りだ。私は涙をこらえる。

 先輩は冷たい声で、私の方を見もせずに指示をした。


「拘束室に運ぶから、魔法科の子、誰か鎮静の魔法をかけて」


 黙って話を聞いていた葵が、手を上げて立ちあがった。


「警備隊じゃないけど……僕がやります」


「葵……!?」


 葵は帝国貴族の娘だ。私を守る義理なんてない。むしろ、帝国のために動くほうが自然なことだ。でも、今まで優しくしてくれた葵までがと思うと、悲しくて壊れそうになる。目の端から涙がこぼれた。

 

「ナスカ、ごめんね」


 泣いている私を見て葵が困った顔で笑う。

 朝みたいに、とびきり甘い声だった。

 そうして、空に向かって魔法をささやいた。水色の髪がさらりと揺れて広がる。その様子が、場違いにもきれいだと思ってしまった。

 

『夜と夢の精霊さんたち、お手伝いお願い……!』

『――眠りの泉スリープウェル!』


 葵の呼び声に応えるように、周囲がふわっと明るくなり、花びらのような光が舞った。

 光は私に――ではなく、警備隊の生徒に降り注いだ。

 光たちは、慌てる生徒たちの体に触れると溶けるようにしみ込んでいく。光に触れた生徒が、力を失ったように倒れた。戸惑う生徒たちは一人倒れ、二人倒れ……と、続々と眠りの世界に落ちていった。眠りの花びらは不思議と私の体には触れなかった。

 とうとう最後の一人が倒れ、眠り込んでしまった。

 

「葵……?」


 私は葵がなぜそうしたのかわからなくて、震えた声でその名前を呼ぶ。葵は申し訳なさそうに手を合わせた。

 

「できればいつもの生活に戻してあげたかったのに、だめみたい」


 驚いて何も言えない私に、葵は頬をかいて困った顔で笑う。そして、そっと手を差し出した。

 

「だから、行こ!」


「!」


 私は葵の手を取って引き寄せ、ぎゅっと抱きつく。

 

「だ、だめだよ……! 立って!!」


「うん……! うん!」


 裏切られたんじゃなかった! 私は嬉しくてまた涙を流しながら立ち上がる。その時遠くから声がかかった。

 

『あのー……』


 声の主をたどると、廊下の少し離れた曲がり角から体を半分出している少年がいた。先ほどのカインという少年によく似ていたので一瞬身構えたが、黒髪でエイシャ正教神官の式服を着ている。

 

「あのひと、ナスカに用事があるんだって」


 葵の声に反応するように、警備隊に確保されていた剣がカタカタと揺れた。ふわりとリボンのように解けて、カリィと名乗った人型を取る。


「アベル!おぬし無事じゃったか!」


 カリィはぴょんぴょんと跳ねるように少年のもとに駆け出した。私たちも眠りこけている警備隊の隙間を抜けてアベルと呼ばれた少年のもとへ向かう。そのまま、そばの階段を地下に降りた。


 カフェテリア棟の地下は古い倉庫と空き教室になっていて、帝都の地下通路につながる構造となっているようだ。私たちは空き教室に入り、葵に隠匿の魔法をかけてもらう。これでしばらくはここに人は来ないはずだ。皆で薄く積もった床のほこりを払って座る

 私は少年の話を聞くことにした。

 

「ナスカ、会えてよかった……」


 アベルはほっとしたように微笑んでいる。その声と印象に私は夢のことを思い出す。月が無くなる日の夢、旧館の奥で聞いた優し気な声の記憶。ともかく、彼が神官であるならばエイシャの事情は知っているはず。

 私は、気になっていたことを聞いた。

 

「父様は……本当に死んじゃったの……?」


 アベルは目を閉じて、頷いた。

 

「残念だけど……」


私は唇を噛む。


「エイシャに、いったい何が起こったの? 学院にもこのまま帰れなくなって、私、一体どうしたらいいの」


「ナスカ……」


 カリィが私の隣に寄り添ってきた。父様の剣。いつも持っていた、大きくてかっこいい剣。昔、触ろうとして怒られたことをふと思い出した。

 

「カリィは、エイシャの神器だ」


 アベルはカリィの頭をなでる。

 

「遠い昔、エイシャにもたらされた武器に変化する自動人形。エイシャの王と大教皇とともにずっと国を守ってきた」

「その様子を見ると、王の器は君に引き継がれたみたいだね」


 私はそう……と返し、膝を抱えてうつむいた。次の王になるという事は、帝国に歯向かった国の代表者となるということだ。エイシャに帰ったとして、王が亡くなったという事に対して民がどのような反応なのかわからないし、自分が何をしたらいいのかもわからない。私はいたたまれずに目をそらす。その目線の先にいたカリィと目があった。


「自動人形……ね」


私はその小さな顔のぷにっとしたほっぺをつついてみた。柔らかい。


「何をするのじゃ!」


 カリィはそう言ってぷりぷりと怒っている。剣に変化する姿をたしかに見たはずだが、今目の前にいるこの子は……、どう見ても人間だ。

 

「天使族のすごい学者さんが発明したんだって。その学者さんの作った子かはわからないけど、僕も初めて見る」


 葵が反対側からほっぺをつつく。カリィはひゃわわ~とわめいている。

 

「確かに、白き翼の者が、エイシャに神の言葉と神器をもたらした、と伝えられているね」


 アベルはやその様子を見て微笑みながら話す。

 天使族とは、白い翼を持つ、人よりもはるかに長い時間を生きる生き物のことだ。うわさで聞いただけでもちろん見たことなんかない。魔法と知識に長けた人たちと聞くけど、こんな人間みたいなものが作れるなんて、ちょっと信じられない。

 

「ナスカ、僕としては、君がどうするかは君の自由だと思ってるんだ」


 アベルは優しく私に語り掛けてくる。

 

「君は記憶をなくしているんだろう? だったら、無理することはない。カリィとなら、たぶんどこまでも逃げられるから」


「……」


 私は何とも言えず、黙り込んでしまう。でも、そうしたらエイシャはどうなるのだろう? そう思ったけど、怖くて何も聞けなかった。

 

「でも、もしも本当のことが知りたくなったら、エイシャ城の旧館に来てほしい。場所はカリィが知ってるから」


 ――旧館。

 夢の中で見た、あるはずのない場所だ。

 不安になった私の心をなだめるように、アベルは微笑む。

 

「……そろそろ時間だ、もう行かなきゃ」


 アベルは立ち上がって、呪文を唱えた。足元に魔法陣が広がる。

 

「覚えていて。僕たちは君の幸せを心から願っているから」


 その言葉が終わるか終わらないかのうちに魔法が起動し、彼の姿は光の粒になって消えた。


「……」


 私は何も言えないまま佇んでいた。


「我が王――ナスカよ」


 どうすればいいのだろうと戸惑っている私に、カリィが声をかけてくる。

 

「アベルの言った通りじゃ。わしはお主がどうあろうと、共にある」


「――私でいいの?」


「うむ、わしがそう決めたから、それでいいのじゃ!」


 カリィの体がふわりとほどけた。それはリボンのような帯状になり、紫、青と、緑…とくるくる色を変え、私の目の前に舞い降りる。

 私は思わず手を差し出して受け止めた。私の手に乗っていたのは少し幅広の冠紐ダイアデム、つまりヘアバンドで、その色は水色。帯の途中にはカリィが胸につけていたメダルが輝いている。あの剣の重みはどこに行ったのかというくらい軽かった。


「身につけよ。必要とされたとき、わしはお主を助ける」


 私はメダルをそっと撫でた。そこに刻まれているのはエイシャの紋章。幼いころから見慣れた、私の生まれた大切な場所のあかし。なくしたくないものの一つ。

 

「――うん」


 私はかたく唇を結んで、ヘアバンドを頭に巻いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る