第4話 ないはずの記憶
「……!?」
まったく覚えのない少年に、いきなりキスされてしまった……!?
衝撃で頭が真っ白になる。なにも、考えられない。そう言えば婚約者がどうこうと、今朝親父から来た手紙には書かれていたけど、まさか、その婚約者とやらがこいつなのだろうか?
というか、エイシャからどうやってここに来たの?
ていうか、ファーストキス、なんですけど!
ぐるぐると考えながらされるがままになっていると、下唇を舐められる感触がした。
「ん、ふ……」
私は、唇に感じる人の肉の感触に、ぼんやりと今朝の夢を思い出していた。あの血にまみれた肉と同じ色が自分に触れている。あれと、匂いも、味も同じなのだろうか。
そして、親父はどのように死んだのだろうか。彼は、それを知っているのだろうか……と、想う。そこまで巡らせた考えは、ひとつの焦点に収束した。
ひょっとして、親父を殺したのは、こいつじゃないのだろうか。
そんな相手に、なんで。
「……っ!」
一気に怒りと共に、色々な感情が、爆発した。
「なに……」
私は両手を伸ばし、彼を思いっきり突き飛ばした。そのまま腰を低くして、拳を一気に付き出す!
「してくれんのよ! この変質者!!」
「がっ!」
決まった。
彼は面白いくらいに吹き飛んで、廊下の床に思いっきりたたきつけられる。
どういう相手であれ、いきなりこんなことをされたら怒ったって許されるはずだ。私は彼をにらみつけ、出来るだけ、強い口調で問いただした。
「何のつもり? ていうか、あんた……誰なのよ」
彼は唇を切ったらしく、口元を押さえている。このくらいの罰、当然ね。
『……』
私の威圧に対しても彼は押し黙ったままこちらを見つめていた。少し凹んでいるような感じもある。ざまあみろ、だ。
「何黙ってるのよ、何とか言いなさいよ。それとも、私に名乗る名前はないって言うの?」
『カイン様』
後ろから別の声がかかる。
私が驚いて振り返ると、真後ろに青年が立っていた。今まで何の気配も感じなかったのに、まるでずっとそこにいたかのように佇んでいる。
青年は扇で口元を隠して、こちらを見下ろしていた。
柳色の肩ほどに切られた髪、深緑の目。服装はエイシャの国教であるエイシャ正教の式服に似ているが、微妙にアレンジが加えられていて、階級が分からない。
いや、すごく昔に、こんな姿の人を見たような記憶もあるのだけど――
「……っ!?」
何かを思い出しそうになった瞬間、突然閃光のような痛みがこめかみに走った。彼は痛みに顔をゆがめる私を一瞥したあと、カインと呼ばれた少年に話しかけた。
『ナスカ様は、記憶を無くしておりますえ』
「『記憶を――!?』」
私とカインは同時に声を上げる。
「どういうこと? 私が記憶をなくしているってなに!?」
私は状況の異常さを忘れて叫んだ。
そんな様子をじっと見ていたカインは、苦しそうにかぶりを振ってうつむいた。
『モーマス、ナスカは……エイシャの言葉も、忘れたのか』
『いえ、さすがにそこまでのうつけではあらしまへん……ですやろ?』
と言って、モーマスと呼ばれた男は私のほうを見やった。
彼の言葉は、ちょっと古風がかっていて意味がいまいちつかめないところもあるが、なんとなく煽られている気がする。
『忘れてなんてないんだけど』
私はエイシャ語で答え、モーマスをにらみ付ける。
『結構』
モーマスは涼しい顔でそのまま佇んでいる。
『ですが、エイシャに、と言われて、素直に従う気は――』
「あるわけないでしょ!」
そうだ、わけわからないまま連れ去られるなんてありえない。
私はモーマスに向かって踏み込み、足払いを食らわす。だが、モーマスはふわりと飛び上がり、私の足払いを軽々と避けた。
「くっ……」
完全に読まれている。着地点を狙って拳を繰り出す。が、やはり避けられる。
「このっ!」
私が何度攻撃しても、ひらりひらりと避けてしまう。
「よろしゅおします」
「言うて従わへんなら、お灸据えさせてもらいます!」
モーマスは、そういって扇を振り下ろした。じゃらりと重い音がする。
「鉄扇……⁉」
そのまま、舞うように私に斬りかかる。
「ま、待って! 私、丸腰っ…きゃっ!」
とっさにしゃがみ込むと、頭の上を扇が通り過ぎる。
「このっ……いい加減に、ふぁっ!?」
私は立ち上がろうとしたが、不意に脚がもつれて床にべちょりと倒れこんでしまう。
「ううっ……」
立ち上がろうと床についた手が、震えている。
悔しい。せめて武器さえあれば、反撃できるのに。
「さて、観念してもらいましょか」
「や……っ!」
私は、とっさに目を閉じる。
『そこまでじゃ!』
頭の上で、重く硬い金属がぶつかり合う音がした。
「何……!?」
恐る恐る目を開けると、小さな赤い少女がその袖でモーマスの扇を受け止めていた。
『兄上、お灸というには、いささか熱さが過ぎておるのではないか?』
赤い二股の帽子にたっぷりのフリルが付いた道化師のような不思議な衣装が、鮮烈に目に焼き付いた。ふわふわの桃色の髪に、桃と赤のグラデーションの、勝気そうな大きな目。
桃色の中に赤く燃える瞳孔が私を見る。
『探したぞ、ナスカわしの名は、カリィ。エイシャ王に伝えられる、剣じゃ!』
その目が私の心を射抜いた。
「――!?」
『ナスカ、わしは、お前に力を貸すぞ!』
少女は仁王立ちになり、高らかに声を上げる。
『ナスカ、願うのじゃ』
「願う……」
私は導かれるようにカリィの言葉を聞いていた。その瞳の中で燃え盛る炎。その熱が恐怖で固まった私の唇を溶かしていく。
「そうじゃ、願え!! 強さが――力がほしいと!」
心が震えた。
……力。今ここで目の前の敵に立ち向かう力。私の運命を変えに来た力。
「そんなの……っ」
「願うに、決まってるじゃない!」
「よし! よう言うたぞ!お前は今から、我が王じゃ!!」
瞬間。
カリィはまぶしい光に包まれた。
体の端から溶けるように、赤いリボンのようにほどけた。リボンは私の胸の前でくるくると舞い、一つの形をかたどっていく。
――それは、大きな剣だった。
無骨で、金属の板といったような風貌の、私の肩ほどまでもありそうな大剣。その姿があらわになっていくのを見て、私の胸は震えていた。
――これは、『父様』の剣だ。
儀式のときに持っていたのを見たことがある。憧れの、大切な大切な思い出の剣。
私は導かれるように空中にふわふわと浮かぶ剣の持ち手を両手で握る。と、腕に予想外の重量がずしっとかかった。とてつもなく重い。
でも、このくらいなら、振れる!
「これで互角ね!」
私はモーマスに向かって走る。その切っ先がモーマスの首元を捉えた……と思った瞬間、彼の姿はぐにゃりと揺らぎ、カリィのように解ける。それは水粒のように輪を描きながらカインに向かって跳んだ。
「……!!」
私は驚く。一瞬の後、カインの手の中にはすらりと長い刀がおさまっていた。羽のように薄く、冷たい光を放つ刀身。その刀を見た瞬間、私は心の中の何かがざわっと蠢くのを感じた。
『お前がそれを使うというのなら、俺も相手をしよう』
見覚えがある。
それは、かすかに残っている、記憶の中の。
遠い昔に、見た――思い出の剣。
『……なんであんたが、持ってるのよ! それは、母様の剣じゃない!』
私は床を蹴り、剣を振り上げた。自分でも、驚くほどの速さだった。
だが、金属音と共に私の剣戟は軽く受け流された。私は踏み込んだ体勢のまま振り返り、剣の重みに任せて叩きつける。
「あっ!」
そこには、柱があった。重い音をさせて、剣が柱に突き刺さる。いつの間にか避けられたのだ。私は思い切り剣を引き抜く。
『そうだ、思い出せ。 お前の内に流れる、誇り高きエイシャの血を!』
『うるさいっ!!』
カインの声が頭の奥を刺してくる。私はたまらずに声を張り上げた。
頭がずきずきする。まるで、自分が自分でないもののように変わっていくような感覚。忘れていることなんてない。ないはずなのに、なぜか胸が苦しくて熱い。
――あなたはいったい、誰なの……!
私はカインの方を見る。彼は剣を下ろして私の方をじっと見ていた。先ほどまでとは違う、奇妙な感覚がした。強い意志を宿した瞳と、先ほどまで私に触れていた唇が目に入る。本当に私がなくしている記憶があったのだとしたら、その中に彼にそうさせたほどの何かがあったのだろうか。また、目眩がする。
「そこまでだ!」
数人の足音が聞こえた。
「警備隊!」
助けに来てくれたんだ……! とほっとした目に、刀剣技術部のセイ先輩の姿も映る。助けを求めようとした瞬間、先輩の唇が信じられない言葉を紡いだ。
「帝国学院警備隊だ! ナスカ・セツ・エイシャ! お前を拘束する!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます