第3話 許嫁なんて覚えてない!
昼休みの学生食堂は、いつものようにたくさんの学生でにぎわっている。
食事が終わった後のひととき。私は葵に向かって悪態をついていた。
というのも、朝受け取った手紙の内容がとんでもなかったからだ。
「で、手紙で親父が言うにはさ、『エイシャに帰ってこい』って」
私の言葉にこくこくと葵は頷いている。
「まったく、ほんっと意味わかんないわよ。こんな大事なこと、ふつー、手紙で送る⁈」
「うん……大変だよね」
「でしょ」
私は大きくため息をつく。葵がさみしそうに眉を寄せ、口元で手を合わせた。
「長旅になっちゃうよね。船で、何日かかかるんだっけ?」
私はがくりと肩を落とした。
いつものようなぽやんとした口調で心配してくれる葵の言葉は、今の自分にはありがたかった。しかし、問題はそこではない。
「そこじゃなくてさ、その次なのよ! 次!」
私は手に持っていた手紙を、葵の前にばっと差し出す。
昼休みも終わりかけ、人もまばらになった食堂の中に私の声がこだまする。近くの席の学生が一斉に私たちのほうを振り向いた。
しまった。食堂の映像機から流れてくる退屈な音楽とのんびりしたニュースの中で、この大声は目立ちすぎる。私は小さくなって声を潜めた。
「なんか婚約者とかいうのが居るらしくてさ、帰ったらすぐ婚約の儀なんだって」
私の声に葵は目を丸くしてぴぇ、と言って赤くなる。
「え、そ、それって…ナスカは結婚しちゃうってこと?もう、学校には戻らないの?」
そう言いながら葵はオロオロしている。私はため息をつく。
どうもこの子は、いい子なのだけどちょっと考えが先走る傾向にあるな……。
「ばか ……心配しないで、そんな事にはならないと思う。だけど、真偽のために一応帰って確かめようと――」
と、突然映像機の画面が変わり、アナウンサーが緊迫した様子で原稿を読み上げた。
「緊急速報です」
私は話を遮られたみたいな気持ちになって、むっとする。
どうせ、どこかの国が魔物に教われたか、反乱でも起こしたかなのだろう。私には関係ない事だ。それよりもこの手紙の内容の事を葵と話し合うのが私にはとても重要な事なのだ。そう考えた私は、葵との会話を続けようと葵に向き直る。
アナウンサーはニュースを続ける。その声が彼女の耳に突き刺さった。
「先ほど、エイシャ地方領主のインティ氏が殺害された模様です。詳細がわかり次第続報を――」
――インティ。父の名前だ。テロップにもそう出ている。
「えっ……?」
葵が不安そうな顔で私を見つめた。
「繰り返します。エイシャ地方領主のインティ氏が殺害された模様です――」
アナウンサーはもう一度原稿を読み上げる。緊迫した表情で、でも、淡々と、別世界の事のように。
「うそ……」
私はそれだけ呟くのが精一杯だった。
開いた口からその後に出て来たのは、言葉にならない嗚咽。続いて、涙が零れた。
私は他の生徒に気づかれないように、背を丸める。
「うそ、嘘よ……こんなの……っ」
――なんで? 何が起こったの?
――わからない、でも、嘘とも思えない……。
私は目の前が真っ暗になったように感じながら、目元をこする。
それでも溢れた涙が、手紙の上にぽたりと落ちた。
「あっ……」
涙のつくる水溜りが、手紙の文字を溶かしていく。
私は急いで濡れた痕を擦る。擦った痕の通りにインクが掠れて、その文字は読めなくなってしまった。
その跡を見て、私はまた、嗚咽した。
***
――そのころ。
「……ここが、帝国学院」
帝国学院の校門の正面に少年が立っていた。
気弱そうな金色の瞳に黒い髪の少年は、校門越しに校舎を仰ぎ見ていた。見上げすぎて少しふらついて、倒れそうになる。
「話には聞いていたけど、大きいなあ……。ちゃんと、見つけられるかな……彼女を」
そう、誰に言うとでもなく呟いて大きな包みを抱え直し、
「……重い……」
そう呟いて、はふ、と一つため息をつく。
「とにかく、あいつより先に、見つけなきゃ」
少年はきっと唇を結んで、足を踏み出した。
***
午後の授業の予鈴は、とっくに鳴ってしまっている。
私は泣きはらした目を廊下の水道で洗っていた。
さっきは食堂が一瞬ざわついたし、泣く私を怪訝な目で見る者も居たけれど。幸いにも私の事情を知る生徒は居なかったらしい。食堂はすぐにいつもの日常を取り戻していた。
今カフェテリア棟の廊下に居るのは私と葵の二人きりだった。もうみんないつも通りに授業を受けていることだろう。
帝国への反乱は珍しいことではない。私が最初感じたように、ここに居るたくさんの人たちにとっては、よくは知らない自分には関わりのない遠い地方の出来事なのだ。
「とにかく、職員室かな……。私はもう大丈夫だから、葵は教室帰りなよ」
ハンカチを渡してくれた葵に私は笑いかける。だいじょうぶ、ちゃんと笑える。と思ったけど、目の前の葵がすごく悲しそうな顔をしたので、そうでもなかったのかもしれない。
「うん……気をつけてね」
葵は離れがたそうにしていたが、心配そうにひとこと呟いて、パタパタと駆けて行った。
さて、私は私の事をしなければ……と、職員室の方向に振り返る。
誰もいない廊下。この学校にはすごくたくさんの生徒が居て今も教室で授業を受けているはずなのに。ひとりぼっちの廊下はひどく静まり返って、まるで異世界に放り出されたような感覚を覚える。ふっとめまいに襲われて、私は深く息を吸い込んだ。
その瞬間、私の腕を誰かが掴んだ。
驚いて振り返った先にいたのは、魔術コースの制服を身に着けた少年だった。
だが、知らない顔だ。
身長は私よりも高めで、細身の体はいかにも魔術師という佇まいだった。少し長めに切りそろえられた髪は銀髪。僅かに焦燥を宿した神経質そうな瞳は、エイシャ人の瞳の色によく似た色をしていた。
いや、エイシャ人そのもの…?
そう考えていると、名前を呼ばれた。
『ナスカ――ナスカ・セツ・エイシャ、だな?』
懐かしそうに名前を口にしたとき、少年は一瞬だけ表情を緩める。
「あ、あの…?」
『迎えに来た』
当たり前のように呼ばれた自分自身の名前。
でも、どんなに記憶を辿っても彼の名前が出てこない。彼と邂逅した記憶すらない。と私は思考を巡らせる。戸惑う私に気づいたのか、少年の手に苛立つように力が入った。私はなぜか身動きが取れない。その瞳から目を離せなかった。彼の瞳の向こうから、感情の色が伝わってくる。
焦燥、寂寞、憧憬、後悔、哀惜、
――たくさんの色がまじりあう中で、ひときわ強い思いがきらめく。
――恋慕?
私の腰に、彼の手が滑りこむ。そのまま体をぐい、と引き寄せられた。
『エイシャに帰ろう』
少年の瞳が私の目の前に迫る。
ずいぶん長い間、鏡の中にしか見ることのなかった金色だ。そのことに気づいた時、彼の話している言葉がエイシャ語だということにも気づいた。
『そして……約束を果たそう』
彼の右手が私の左手をとらえた。顔が近づく。
『お前を、我が妃に』
「な……っ!?」
予想外の言葉。
私は抗議の声を上げようとしたが――
彼の唇が、それを塞いだ。
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