5話 辞表
なんとか時間までに会社に到着し、机を拭き、お茶出しをした。
頑張ったと自分を褒めているときに先輩達も出社してきた。
どう、私に感謝しなさい。
「あなた、何したの。部屋中が臭いじゃないの。昨日、ちゃんと雑巾を洗って干しておいた? 雑巾をそのままにしておいたら雑菌が繁殖して臭くなるでしょう。衛生的にもよくないし。本当に使えない子ね。今日はもうどうしょうもないから、明日からきちんとしなさい。」
朝から怒鳴られてしまった。
机なんて、気になる人が自分で拭けばいいじゃないか。
ホストの頃は、清掃会社がやっていたんだろうか。
気にしたことなんてなかった。
そもそも、雑巾の話しをする前に、この会社は衛生的じゃない。
私のメイクをみて、どれだけ無理しているのか気づくべきだろう。
「それに、あなたの髪の毛はなに? ぼさぼさじゃない。しかも、メイクもひどいじゃない。まさか、昨日のままなの? 信じられない。あたなの容姿だと、がんばっても無理だと諦める気持ちも分かるけど、女性なんだから、もう少し気をつかいなさいよ。せめて清潔感を保たないと恥ずかしいでしょう。」
「昨日は、帰るのが遅かったし・・・。」
「そんなこと関係ないでしょう。本当に、これまでどんな生活をしてきたのかしら。バックパックで、1週間、お風呂に入っていなかったとか。ここは会社なんだから、しっかりしなさい。」
こき使われたから、朝早く起きられなかったんだよ。
机拭きがなければ、メイクぐらいはできたんだ。
お風呂も入れなかったじゃないか。
なにもかも、お前たちのせいだ。
昨日は、新しいことばかりで慌ただしく1日が過ぎた。
でも、今日は全てが昨日の繰り返し。
明日も、明後日も。
しかも、1時間に1回以上は怒鳴られている。
そんなに僕って、悪いことしているのか。
日頃の不満を僕にあたっているだけじゃないのか。
でも、がんばるしかないので、寝る時間を減らしてメイクもしっかりした。
その分、目の下にクマもできる。
メイクでごまかせないぐらい肌もぼろぼろ。
そして、金曜日になり、歓迎会だから来いと言われた。
夜8時になって、やっと帰れると思ったのに。
歓迎会では、お金は払わないのだろうが、ひどい扱いだった。
「江本、ビールつげよ。まあ、ブスからじゃ、嬉しくないけど、お前にできることはそのぐらいだけだしな。」
「おい、ブス、追加のビール、早く持ってこいよ。本当にダサいやつだ。」
「あ、ビール瓶を倒しちゃった。ブス、おしぼり早く持ってきて拭けよ。」
「通常は、男だけじゃなくて女も新人は裸踊りとかしてもらうんだが、ブスの裸なんて見たくないしな。ああ、想像するだけで気持ち悪くなっちゃったよ。おぇ。」
「そんなのみたら、みんな吐いちゃうだろう。しばらくは悪夢にうなされるとか。あはは。」
「ブス、女の裸踊りは冗談だからな。外に、そんなこと言うなよ。まあ、ブスの裸を見たらみんな吐いちゃうというのは本当だけど。」
僕の呼び名はブスということで定着したようだ。
今どきセクハラだが、誰も気にならないらしい。
酔ってるにしても、程度というものがある。
体調も悪くて、食欲がない。
食欲があっても、お酒をついでばかりで食べる時間もないけど。
お酒は飲めないから、居酒屋のスタッフのよう。
酔っ払いすぎたのか、いきなり男性社員の1人が僕の目の前で吐いた。
「お、きったねえな。でも、ブスに吐くなんて面白いじゃないか。お酒じゃなくて、ブスの顔が気持ち悪くて吐いたとか。あはは。」
女の先輩たちが声をかけてくれた。
「まあ、ひどい姿ね。服、ドロドロじゃない。家、近いんでしょう。もう帰って、お風呂に入りなさい。お金は出さなくていいから。」
お金はいい? 当たり前じゃないか。
逆にクリーニング代をもらいたいぐらいだ。
僕は、居酒屋を飛び出し、家に帰った。
顔にはなぜか、涙が流れていた。
土曜日は1日中寝ただけで終わっている。
日曜日は、気晴らしに城北中央公園に行ってみた。
桜は満開で、気候も過ごしやすい。
ちょっと背伸びして、さっき買った薄手のスカートで公園を散歩してみた。
女性なら、このぐらいのおしゃれをしないとだめだ。
桜の花の下にあるベンチでくつろぐ。
最近は、夜の世界だけしかなかった。
でも、そういえば、昼の公園はこんなに気持ちがいいことを思い出した。
こんな所にささやかな幸せがあった。
僕は1人で十分に幸せ。
深呼吸をし、爽やかな空気を味わった。
目の前を高校生ぐらいのカップルが通り過ぎる。
初々しい感じだ。
手を握るだけで楽しそうにしている。
2人は照れて、下を向きながら、笑顔に溢れていた。
昔、あんな時期もあった気がする。
でも、もう、あまりに昔のことで、もう覚えていない。
この体には、あんな時は決して訪れないだろう。
ところで、この女性は、何を考えて日々を過ごしていたんだろう?
女友達はいないようだ。もちろん、彼もいないだろう。
1週間、誰からも電話もメッセージもない。
でも、インスタには、メッセージが添えられた花の写真が投稿されていた。
どれも、名も無いような花に向けて、暖かい応援が書かれている。
自分に向けた言葉なのだろうか。
その一言一言に、優しさがにじみ出ている。
嫌らしさはどこにもなく、清らかさを感じた。
おそらく、心がきれいで、優しい人だったんだろう。
そんな気持ちは、今の世の中では誰にも気づかれない。
道端に咲いた小さな雑草のように。
この女性の過去を探しても、特になにもないだろう。
せいぜい、そういえば、そんな人がいたねと言われるぐらいかな。
でも、ささやかな幸せに満足して清らかに過ごしてきたと感じる。
俺みたいな汚い心が入った今は、どこにも良いところがない。
申し訳ないと思った。
その時、大学生のようなカップルが横を通り過ぎた。
「あのブス、よく生きていけるな。ホームレスかと思ったけど、そうでもなさそうだ。雰囲気が悪くなるから、どっか、行ってほしいんだけど。しかも、あんな似合わないスカートなんてはいて。僕らと同じ人間とは思えないな。」
「やめなさいよ。ぶちぎれて、襲ってくるかもよ。でも、確かに、あのスカートはどうかと思うけど。ふふふ。」
「あういう粗大ごみは、だれか回収してくれないかな。」
「ひどいわよ。聞こえるって。」
聞こえているよ。
お前達は、美男美女という感じだけど、心はわかったもんじゃない
男性はモテそうだから、浮気してるんじゃないのか。
女性だって、奪略愛なんて顔してるじゃないか。
さっきの高校生のカップルに比べて汚れている。
そんなに歳は違わないだろうに。
どうして、数年でそんなに汚れちゃうんだ。
いずれにしても、お前たちに何も迷惑をかけてないだろう。
こんなこと日々、言われて、清らかな心は保てない。
さっきまでキラキラしていた風景が、いきなり灰色に変わった。
さっきまで白かった桜の花も、薄汚れて見える。
1人で幸せに過ごす時間すら、僕には与えられていないのだろうか?
どんな努力をすれば、幸せになれるのだろうか。
僕は誰からも嫌われているみたいだ。
そんな暗い気持ちで家に戻った。
そして、月曜日からまた繰り返しの日々が始まった。
僕が悪いのだろうか。
1日に10回以上、怒鳴られ、怒られる。
誰もが普通に僕のことをブスと呼ぶ。
そもそも、女性って、もっと楽しそうに、楽に生きていただろう。
僕は、ブスのせいで楽しいことは1つもない。
女性って、男性にちやほやされているんだろう。
なんでも男性がやってあげているんじゃなかったのかよ。
ただ、笑顔で微笑んでいれば、楽しく過ごせてたと思っていた。
それなのに、僕を助けてくれる男性はいない。
女性の先輩たちも、僕を不満のはけ口にするのが日常になったようだ。
でも、ひたすら謝って、卑屈になっている自分がいた。
こんな容姿に自信が持てない。
文句を言う資格なんてないんだという気分になってる。
僕はこんな人だったのだろうか。
謝って、下ばかりを見るようになっていた。
つい最近まで神様と思っていた僕が。
容姿が変わっただけで、すっかり卑屈になってる。
僕は、この世に存在しちゃいけないのかも。
生きてるだけで、みんなに迷惑をかけてるんだ。
気持ちが滅入っていく。
でも、次の瞬間にはストレスが爆発する。
なんかイライラする。眠気も抑えられない。
社長が、僕をバカにしつつ、周りの社員には気を使う。
そんな社長の顔を見るだけで腹がたつ。
どうしたんだろう。
自分の気持ちを抑えられない。
不満で、夜にはどか食いした。
男のときはあり得なかったけど、ケーキを5つも一気に食べてしまった。
また、部屋のカーテンを引きちぎってしまった。
そう、これは生理がくるときだと思う。
感情の起伏が大きすぎる。
そもそも、僕は女性なんだ。
顔と関係なく、男性からはエッチできるだけで魅力があるだろう。
こんな会社は辞めて風俗にいけば、ちやほやされるんじゃないか。
僕は、もう、我慢できなくなった。
翌日、社長に辞表を叩きつけてやったんだ。
おどろいた社長の顔は忘れられない。
制服を着替えた時に、パンツに違和感を感じた。
すぐにトイレに行くと、やっぱりだ。
たぶんと思って付けていたナプキンは汚れている。
僕は、久しぶりだったから、ぎこちない歩きで家に戻った。
その晩、パンツやシーツを汚しちゃった。
男性のときは本当に楽だったとしみじみと思って朝を迎えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます