4話 出社
やっぱり、朝起きても、あの女の姿のままだった。
ずっと、こんな体のままなのだろうか。
それは勘弁願いたい。
でも、どうやったら、あのホストに戻れるのかわからない。
今日は日曜日。
化粧品をもう少し買い足そう。
夕方には、とりあえず会社には行けるレベルにまでにはなったと思う。
部屋の鏡に映った僕は、何度見ても貧相な女性だ。
キャミソールスリップとパンツだけだが、全く魅力がない。
もっと、魅力のある女だったらよかったんだが。
どこがというより、魅力がある所を探せない。
このままずっと、この姿なんだろうかと再び思った。
でも、元に戻る方法が分からない。
僕は、眠りについた。
朝、クローゼットにあったリクルートスーツを着て会社に向かう。
町工場のような建物。周りはホコリが舞う。
こんな風景は、はるか昔、アフリカに行った時以来だ。
東京にも、こんなところがあったんだ。
プレハブのオフィスに入ると、ハゲ頭の社長が出迎えてくれた。
ようこそ我が社へと。
ひび割れたソファーで、何が面白いのか、ニヤニヤしている。
ソファーに座ると、もうヘタっていて、ソファーの面影もない。
床に座っているみたいだ。
このハゲおやじが、女性のスカートからパンツを見るために放置しているのかもしれない。
タバコの灰皿からは、タバコが崩れていて、テーブルは灰だらけ。
いつの間にか、僕の服は灰とホコリにまみれている。
男性だったときはタバコを吸っていたが、今の体には匂いがきつすぎる。
挨拶が済むと、横の席を指さし、ここがあなたの席だと言った。
机は、昔子供だった頃の学校の先生の机みたい。
書類が山のように積まれていて、今にも崩れそう。
書類が多いから作業ができそうな空間もない。
椅子と椅子の間は狭く、2人座れば人は通れない。
僕が働くのは、こんな職場なのか。
見上げると、エアコンは見当たらない。
夏はどうするのだろうか。
5分ぐらいすると、社長から40代ぐらいの女性を紹介された。
太って、肉が頬から飛び出そうなおばさんが目の前に現れた。
顔には感情はなく、吐き出すように喋り始めた。
「江本さんね。今日から、よろしく。まず、ここの更衣室で制服に着替えて。サイズはSで良かったわよね。早く着替えて。朝礼で挨拶してもらうから。」
「はい。」
「でも、これなら、男性も騒がずに、仕事に専念できるわね。まあ、正解だったかな。仕事はしっかりやってもらうからね。あ、それから、どうせ制服に着替えるから、出社するときはラフな格好でいいから。」
更衣室にはロッカーはなく、パイプハンガーがあって、着替えると壁に肩がぶつかる。
こんな狭い更衣室があるなんて考えたこともなかった。
着替えると、みんなの前に通された。
「みんな、今日から新入社員で入った江本さんだ。いろいろ教えてやってくれ。」
「はい。」
「江本さん、自己紹介をして。」
「はい。江本です。何もわからないですが、早く1人前になって頑張りたいと思います。よろしくお願いします。」
「はい、拍手。じゃあ、体操を始めよう。」
体操? こんな古い会社が今どき、あるのか?
でも、挨拶は、新人としてこんなもんかという内容にしてみた。
最初から、完璧なこと言っちゃうと目をつけられるだろう。
総務に2人の30代、40代の女がいて、あとは男性ばかり。
女性は10年に1人の採用なのだろうか。
男性は若い人もいれば、おじいさんもいる。
肉体労働が主体の仕事なのだろう。
朝から汗臭い匂いが部屋中に充満している。
いずれにしても、パットしない奴らばかりだ。
後ろの方から、ブスとか、残念という声が聞こえている。
それはそうだろう。僕もそう思う。
でも、おまえ達も、似たようなものじゃないか。
「顔と違って声はかわいいな。」
「声がいいからって、一緒に寝れるか?」
「無理、無理。」
「そうだよな。声だけじゃな。」
そんな声も聞こえてきた。
たしかに、僕も声はいいなとは思っていた。
でも、このぐらいの声がいい女性はどこにでもいる。
女性の先輩達は、事務全般をしていて3人で全て回すという。
まずは、朝に全員の机を拭き、お茶出しをするのが僕の仕事らしい。
そのために、毎朝30分早く来なくてはいけないと言われた。
「朝の分は残業代でるんですか?」
「何もできない子が何を言っているの。本当に、今どきの若い子は。お給料をもらえるだけでも感謝しなさい。どこから教えなくちゃいけないのか、これからが思いやられるわ。」
「そうね。しかも、お茶の入れ方も知らないの。どういう教育を受けてきたんだか。早く、覚えなさい。」
なんてブラックな会社なんだ。
でも、体操から始まる会社だから、昭和のカルチャーなのだろう。
40代の先輩が、社長に、あんな無知な女性は失敗だと愚痴ってる。
社長は、まだ初日だからとお局様をなだめていた。
男性社員たちの大半は、日中は工事現場に行っているらしい。
だからオフィスは小さく、資材置き場が中心の職場だ。
上下の作業着も毎日のように洗濯するのも僕の仕事だという。
乾かしてアイロンもかけなければならない。
アイロンをしている最中にも、ホコリは作業着につく。
本当に不衛生な職場だ。
「これは業者に委託することじゃないんですか?」
「お金がかかるでしょう。あなたが給料がいらないというのなら別だけど。」
夏になると、エアコンもない部屋でアイロンをかけるのだろうか。
これは、人間としての試練というものを超えている。
アイロンがけが終わると、夕方の会議のための資料をコピーするよう言われた。
女性の先輩達は、経理、お役所への申請等で忙しい。
だから、庶務は全て僕がしろと言っている。
「コピー機も使えないの。紙を無駄にしないでね。本当に忙しいんだから、早く1人前になってよ。頼むから。」
コピーって、今どき人間の仕事か?
そもそもiPadとかでペーパーレスで仕事ってできるんじゃないか。
でも、周りを見渡すとそんな雰囲気じゃない。
どの机も書類の山だ。
「ホチキスの位置が違うじゃない。さっき、言ったでしょう。」
「聞いていませんが。」
「なにもできないのに口ごたえするの? 紙が無駄になったでしょう。紙代、あなたの給料から天引きしておくからね。ホチキスの位置はここ。やり直して。」
「給料、減っちゃうんですか?」
「あたりまえでしょう。あなたのミスなんだから。」
なんという会社なんだ。ホチキスの位置なんて趣味の問題だろう。
一番重要なのは、書類の中身だ。
反論はしてみたけど、逆に叱られ、やり直しすることになったんだ。
今回は、このままで、次回からやり直すと言っても通じなかった。
なんて、頭が硬いんだ。
コピーを終わらせると、次は、郵便物の作成だった。
見積書、請求書、先輩が打ち出した書類を宛先が書かれた封筒に詰める。
「間違って、違う会社の封筒に入れないでよ。そんな事になったら、競争相手にこの価格で出しているのかなんて大きなクレーム受けちゃうんだから。」
「わかりました。」
そんなに不安なら、お前がやれよ。
でも、それが僕の今の仕事だから頑張った。
切手を貼って、200通、郵便ポストに入れた。
「若い女性なんだから、職場の雰囲気を良くするためにも、もう少し女性らしくケラケラ笑ったりしなさいよ。」
「面白いことないし、そんなに器用に笑えないのですけど。」
「何を勘違いしているのよ。あなたが率先して、職場を明るくするんでしょう。あなたが楽しいかなんて関係なくて、あなたが楽しくするの。まあ、その容姿じゃあ、いくら背伸びしても無理とは思うけど。」
本当に、バカにされきっている。
お前も女性だろう。率先して職場の花になれよ。
いや、この女性にも花はない。
この工務店は、男が浮つかないように、女性はブスを選ぶ方針なのだろう。
トップのブスである俺を採用できた時は、社長は喜んだのかもしれない。
この女性も、やっと合格できたとお互いさまだったのだと思う。
そして、夕方の会議の前に、みんなのお弁当の手配。
夜の会議と聞いて、夕食はどうするのかと気になっていた。
今どき、会社でお弁当を頼むなんてびっくり。
家族経営という感じか。
会議でも文句言われる。
「なんか、江本はしょんべん臭くないか。」
「いくら、そんな顔だからと言って、そこまでいうのは失礼だろう。いや、むしろ本当だから傷つくのか。あはは。」
「江本、もうちょっと女らしく化粧とかしたらどうだ。」
「無理だって。化粧と言ったって限界はあるだろう。無理を言ってもだめだよ。」
「お面のように、顔を交換できたらいいんだけどなぁ。」
「顔だけじゃだめだよ。服を脱いでも、見たいなんて全く思わないもんな。全身、総とっかえじゃないとダメだ。」
「冗談はそこらにして会議を始めるぞ。江本さん、まあ、みんなから愛されていると思って、気にしないで。」
本当に失礼な奴らだ。
俺のことではないとは言え、気分が悪い。
夜8時になり、会議が終わると気力と体力が尽きた。
社員を送り出し、制服を着替え、鍵を閉めて事務所をでる。
本当に疲れた。
1日、人間として扱われなかったように思う。
というより、腹が立つことばかりを言われた。
これは、この姿が貧相だからなのだろう。
それだけの価値しかないということだろうか。
愛されているなんて嘘だろう。
僕は、これからずっと、こんな人生なんだ。
帰り道は真っ暗で、道端の電灯は消えかかっている。
まさに、僕の将来を暗示しているようだ。
これから、毎日がこんな生活なんだろうか。
家に到着した途端、あまりの疲労感に、そのままベットで寝てしまった。
そして、気づくと、もう出社する時間。
昨日のメイクのまま、ジャージ姿で家を飛び出すしかなかったんだ。
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