第23話

「あたしはまだ認めてないから」

「えぇっと……、何を?」

「あんたと、間仲人見のこと」

「…………そう」


 ピロートーク――と言いたいところだが、珍しく間仲人見の姿がない。

 朝焼けで目が覚めたら、ベッドには私ともよこの二人しか居なかった。リビングから物音もしない。大方、朝から用事があって、もうとっくに出かけていたのだろう。

 素っ裸のもよこの身体をじっと見ていると、――ばっ、と顔を赤くして隠される。逆でしょ逆。抱かれたの私の方なんだけど? 隠すのこっち。


「調子乗りやがって……」

「そ、それは素直に、ごめんなさい。でも、月舘さん、可愛い声出るのね」

「馬鹿にしてんのか」

「素直に褒めたつもりなのに……」

「褒められても全然嬉しくないのよ……」


 誰が喘ぎ声褒められて嬉しがるのよ。馬鹿女だけよそれ。


「その、また、してくれる?」

「嫌」

「……それは、照れ隠しの方?」

「ちげーよ馬鹿」


 腹立ったのですぐ近くにあった胸を鷲掴みしてやった。うーん、柔らかい。やっぱ私より断然デカい。間仲人見ほどじゃないけどまぁまぁ平均以上にあるし手の中に納まる手ごろなサイズ感がもみもみもみもみ――――「あのっ!?」


「何」

「なっ、何揉んでるの?」

「何って、乳だけど」

「それは分かってるけど!?」

「別に良いでしょ、減るもんじゃないし」

「そりゃあ減らないけど……んっ、えっちな気持ちになっちゃうんだけど……」あぶねっ。


 手離して、起き上がる。


「……どこ行くの?」

「どこって、リビング」

「もうちょっとお話してたいんだけど……」

「服着てからじゃ駄目?」

「…………もうちょっとこのまま、月舘さんと一緒に居たい」

「あたしは嫌」

「えぇー……」


 そんな懇願するような目で見るな。腕掴むな。っていうかお前、その積極性なんなんだよ。昨日までのしおらしさどこ行ったんだよ。いやそうでもなかったか?


「ってか学校あんでしょ」

「今日は祝日よ。建国記念日」

「……あっそう。じゃああれ、面会とか行ってんじゃないの?」

「そんな毎日行ってるわけでもないし……」

「そうだったの?」


 もよこはコクリと頷いた。えっ意外。マザコンっぽいし、毎日ずっと面会行ってんだとばっかり思ってた。


「……会っても、話すことないし」

「うん? マザコンもよこはどこ行ったの?」

「マザコンって……、そりゃあ母親としては好きだけど、今のあの人が前までのお母さんには、どうしても見えなくて」

「……そりゃそうでしょ」


 逮捕されて、ようやく気付いたってことか。


 私だって、相談さえすれば力になってくれるかもと思っていた母に裏切られた時、どうしようもない無力感に襲われたのを覚えている。

 身体のどこかにぽっかり大きな穴が開いてしまったような、喪失感――


 それを乗り越えてみると、案外「なんだったんだアイツ」くらいに思えるようになるので、もよこはようやくその域に達したようだ。


「お互い、乙女な母親持つと苦労するわね」


 はぁ、と溜息を漏らし、ベッドから出るのをやめて布団に包まる。こんな話なら服着ないまました方が良いわね。服という防具を纏ってしまうと、出来ない話だってあるのだ。


「……その、月舘さんは、」

「何?」

「何があったの?」

「何って、……あれ、話してなかったっけ」

「聞いてないわ、何も」

「……そっか、なんか話したと思ってた」


 少しだけ寂しそうな、そんな目で私を見ないで。これからする面白くもなんともないクソみたいな親の話は、そんな、聞かれてないのにするような話でもないんだから。


「小2の頃、親が離婚してね」


 それでも、つまらない昔話を始める私は、


 ――きっと、話すのが好きなんだろう。


 だから、誰とでもよく遊んで、誰とでも喋って、誰とでも仲良くなったのだ。――仲良くなれたのは、男ばっかだけど。


 と、まぁ30分ほどかけて思い出話を話し終えてみると、もよこは途中からこちらに背を向けて、すんすん泣いていた。


「泣かないでよ」

「だ、だって、私なんかより全然――」

「全然、何」

「……悲しいじゃない」

「別に」


 そう、もよこは勘違いしている。

 悲しかった私は、もうどこにも居ない。きっと一番悲しかったのは、母が味方してくれなかったことでなく、家族でもない私に優しい二人が居なくなったことでもなく、もっと前――


 ――本当の父が居なくなった、あの日だから。


「お父さんとは、その後どうなの?」

「その後というか、……いや一度も会ってないし話してもないけど」

「会って話そうと思わなかったの? きっと味方してくれたよ」

「…………まぁ、するかもしれないけど」


 それが、嫌だったんだ。

 味方が欲しかった。だから、おかみさんに拾われた時、私はようやく安住の地を見つけられたような気持ちになったのだ。


 ――でも。でも、だ。


「お父さんが、私の知らない女と幸せな家庭作って、そこで日々を満喫してるとこにさ、」


 いつも想像してしまう。

 私が、会いに行こうとしなかったのは――


「昔の女の子供が尋ねに来たら、どう思う?」

「……それは、」


 きっと、、思うだろう。


 そして、幸せな家庭に、私という異物が加わってしまう。

 優しい人なら、きっとそうだ。私の記憶にある私のお父さんなら、きっとそうした。


 ――だから、私は父を訪ねなかった。


「私一人が幸せになることを諦めれば、不幸になるのは私だけで済むわ。でも、もし人に頼ったら、二人、いや子供居たらもっとか――、大勢の人が不幸になる。だから、私が我慢したら、それで終わりなの」


 怖かった。


 きっと幸せな家庭を作っているであろう父の、負担になりたくなかった。

 あの優しい父親は、思い出のままの姿であって欲しかった。


 ――だから、救いを求めなかった。


「ちっ、違う!」

「何が?」

「自分の幸せのために、人を巻き込むことを不幸と思っちゃ、駄目なのっ!!」


 もう泣けなくなった私の代わりにぼろぼろ涙を流しながら、倉橋萌子は叫ぶのだ。


「……駄目って、でも実際――」

「聞いたの!?」

「何を?」

「巻き込んで不幸になりますかって!」

「いや聞くわけないでしょ」

「じゃあ聞いて!!」

「え、いや、今更――」


 今更助けてと言って、何になるんだ。


「思いを邪推して、勝手に不幸になるなんて思い込んで、一人で抱え込んで――あなたは馬鹿なのっ!?」

「は? え、喧嘩売ってる?」

「私よりずっと人生経験豊富で、何でも分かってますみたいな顔して、けど根っこのところは怖がりな子供のままで――、結局、怖かったんでしょ!? お父さんに、助けを求めて断られるのが、怖かっただけなんでしょう!!」


 私の身体を抱き締めるようにして、叫ばれて。


 ――ずきりと、胸が痛む。


 怖がりな子供。――あぁ、そうだ。


 私は、これから起こることを怖がって、自分を納得させただけ。


 失敗したから、怖がったんじゃない。


 、怖かったんだ。


 きっと、私は、


 ――あの人に、拒否されるのが、怖かったんだ。


 その言い訳を、必死に考えて、自分を納得させただけ。

 結局、父が作っているかもしれない新しい家庭のことなんて、それを補強するための妄想に過ぎない。


 一度でも、実家を訪ねてみれば良かったのだ。そこで、聞けば良かったんだ。

 ――「私のお父さんは、今何していますか」、と。


 しなかった。


 出来なかった。


 だから、私は壊れてしまった。致命的な歯車を失ったまま、無理矢理、足りない歯車を手で回すようにして、生き永らえることしか出来なくなった。


、あんた――」

「なに!?」

「……良い女だね。間仲人見なんかより、ずっと」

「惚れ直した!?」

「直すも何も最初から惚れてねーけど……」


 なんだこいつ。折角褒めてやったのに。


 ――あぁでも、こういうところが、んだろうな。


 その身体を、ぎゅっと抱き締め返して。


 ――「ありがと」と、小さく小さく呟いた。


「待って今私のことなんて呼んだ!?」


 ばっと身体を離される。そこそんな重要?


萌子ほーこ。違ってた?」

「あ、あってるけど……急にどうしたの? ようやく人の名前覚えられるようになった?」


 馬鹿にしてんのか。


「最初から覚えてたわよ」

「じゃあどうして――」

「最近わざと間違えても反応しなくなったし、つまんないなーって」

「え?」

「何?」

「…………わざとだったの?」

「え、最初からそう言ってたじゃない」

「そういえばそうだったっけ……?」


 首を傾げる萌子を見てると、「馬鹿らし」、と笑えてきて。

 笑ってると、なんかどんどん面白くなってきて。立ち止まってお腹を抱えて笑っていると、釣られて萌子も笑い出した。


 ――笑ってないと、やってらんない。

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