第19話

「ってことがあったんだけど」

「へぇ……」

「へぇって、なんかないの? 自分の隠し事調べられてんのよ?」

「いやぁ、二人が楽しそうで良かったなぁ、と」

「…………確かにもよこは楽しそうだけど、あんたねぇ……」


 呆れて言葉にならないわよ、もう。


 結局、「また明日」と言って出て行った間仲人見は、本当に翌日また帰ってきた。

 両手に冷食山盛り持って――、あぁ、冷凍庫の中身減ってること気付いてたのね。

 といっても一度に運べる量には限度があって、全部詰め込んでもまだ半分以上空いている。持って2週間ってとこかな。


 それから、珍しくすぐに食べられそうなパンを買ってきたので、二人でそれを食べながら遅めの朝食である。

 クロワッサンなんて本当に久し振りに食べたわ。焼きたてなのか高いからなのか、冷めてても美味しい。一緒に買ってきた駅前とかにある高級スーパーのサラダも食べながら、昨日のことを話した。


 私の話を聞きながら、本当に嬉しそうにニコニコ笑う間仲人見を見てると、か、なんて考えちゃって。


 母親を失ったもよこが落ち込むのが分かってたから、このタイミングで推理ゲームを開始したんじゃないか。

 だから私の目に付くようにバッグを置いて、関根あさみの名前を見つけさせて、私に質問させて、調べるよう誘導したんじゃないか――、そんな風に思えてきてしまう。


 ――考えすぎだ。そうに決まってる。


 でもこの顔を見てると、全部計算通りなのかもな、なんて、全てを見透かされたような気持ちになってしまうのだ。


「結局、さ」

「うん?」

「あんたは何がしたいの?」

「人助け」

「嘘」

「本当だよ」

「……じゃあ、それ以外の理由」

「…………」


 ほら、言わない。ないならないと答えれば良いのに、何も話さない。


 本当に誠実で、クソみたいな女だ。なんで成立するんだろうなこの二つ。


 行き場のない子を助けたいってのは、たぶん本当だろう。もよこはそっちのパターンだ。

 んで、私みたいなケースは――、性欲かな。今それを答えなかったのは、質問の答えにならないからか。


「何をしたら、姫乃は信じてくれるのかな」

「本当のこと話してくれたら信じるわよ」

「本当のこと、話してるんだけど……」

「ぜ、ん、ぶ」

「それは、難しいかな」


 遠い目で、窓の外を眺めて答える。

 ――あぁ、なんでパン食べて外見てるだけで色っぽいのよ、この女は。


「どうして?」

「きっと、誰にも理解されないから」


 寂しそうな声で、言われると。


 ――ドキリと、胸の奥が痛んでくる。


「……どういうこと?」

「姫乃は、さ」

「うん?」

「自分のこと、他人が理解出来ると思ってる?」

「……思わない、けど」

「そういうことだよ」

「そういうことね」

「うん、そういうこと」


 繰り返し言われて、あぁ、と、ようやくこの女のことが少しだけ分かってきた。


 嘘を吐かない。相手によって話す情報を選んでいる。人を助ける。女を抱く――

 それらを全て包括出来るほど整合性の取れる理由が、


 Aが起きたからBになったのような、誰しもが納得出来る理由がなく、そして、本人もその繋がりを理解出来ない場合、人はどうなるのだろう。

 きっと、納得することを、諦める。説明することを、諦める。

 つまり、そういうことか。


 ――この女に、論理性なんてものは、そもそも存在しないのだ。


 昔、誰かに助けられたから人を助けるヒーローになりたがったとか、


 誰かに虐められたから、虐められた人を助ける存在になりたいとか、


 男に嫌な思い出があったから、女好きになったとか、


 そんな、誰でも理解出来るようなつまらない物語は、きっとこの女の中には存在しない。

 もっと無秩序で、本人を含めて誰しもが理解出来ない、そんな論理で動いているのだとしたら、これまでの不可解な言動にも納得出来てしまうのだ。


「だから、なの?」

「うん?」

「私を好きっていうのも――」

「それは普通に性欲だけど」

「……せめて恋愛とか、そういう言葉にしてよ」


 情緒ってものがあるでしょ。


「だって、姫乃に嘘は吐かないって、決めてるから」

「……私に?」

「うん」

「他の人には?」

「まぁ、場合によっては使うよ。嘘も方便って言うでしょ?」

「えぇー……」


 なに、何よそれ。


 嘘でも嬉しい言葉を、こんなタイミングで言うのは本当にやめて。


 ――ほんとうに、やめて。


「あー、照れてるんだー」

「やめ、やめて、本当に」


 にたにたすんな馬鹿。こら。


「なんで?」

「あたしだけとか、そういう、の、本当にやめて」

「なんで?」

「……たまには自分で考えたらどうなの」

「うーん……」


 首を傾げた間仲人見は、「あっ、」とわざとらしく何かに気付いたように手を合わせ、にっこり笑って言うのだ。


「両想いってことだね」

「今そんな話してた!?」

「してたしてた、相思相愛って話だよね?」

「違いますけどっ!?」


 頭わたあめで出来てんのかこいつは? ほんっと嫌い。この女のこういうとこほんと無理。鏡見ないでも分かるわ。私、顔真っ赤よ、今。サウナにでも入ってるんじゃないかってくらい暑く感じる。エアコン着けてないのに体感真夏よ。あーもう最悪。


「で、姫乃はさ」

「……なに?」

「エッチしたい?」

「…………しない」

「そ、残念」

「したくて呼んだ、わけ、じゃ、ないし……」


 後半は、本当に小さな声で、ぼそぼそと。


「そうなの? じゃあ、どうして?」

「どうして? ……どうして?」

「ボクに聞かれても」


 ――どうして?


 それを聞かれると、答えられない。


 私はどうして、あの時「じゃあ明日」なんて言ってしまったのだろう。

 この女を困らせたかったから? それとも、どうせ断られると高をくくっていたから?


 じゃああの時、なんで嬉しくなったんだ?


 ――あぁ、分からない。何も、何も分からない。


 そっか、こんな気持ちなんだ。この女も、『わからない』を抱えて生きているんだ。


 自分に分からないことが、他人に理解されるはずがない。だから、話さない。

 ほんの少しだけ、解像度が上がった気がする。

 何も分からない女が、少しだけ見えたような、そんな気がするんだ。


「でも、ね」


 コーヒーをぐいっと飲み干した間仲人見は立ち上がると、ゆっくり私に近づいてくる。

 そして、優しい目でこちらを見たと思ったら、――急に、唇を奪うのだ。

 ホットコーヒーで温められた唇は、いつもより少しだけ暖かくて。そんな些細な違いが分かるようになってしまうほど、私たちは唇を重ねてきた。


「ねぇ、しないって言ったよね」


 ぐいと胸を押して離れ、文句を漏らす。


「でも、ボクはしたい」

「じゃあなんで聞いたの!?」

「意思表示の確認?」

「結局無理矢理するなら聞いた意味ないじゃない……!」


 椅子から、抱き上げられ、

 使い慣れたソファに置かれそうになったので、「ここは、やめて」とか細い声で訴えた。


 ――ここは、ここだけは、私の居場所だから。


 ここでするのは、やめてほしい。あなたが居ない時も、思い出してしまうから――


 そんな気持ちが伝わったか、私をお姫様抱っこでベッドまで運んだ間仲人見は、するり、とシャツを脱ぎ捨てて――――

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