第17話

「んで、寝ると……」


 自由すぎでしょ、こいつ。

 ひょっとして体力ないんだろうか? いやそんなことないか。今のナシ。体力なかったら何時間もエッチなこと出来るわけないわ。男を見なさい。出したら即終了。数分よ。


 しばらく寝ることなくベッドでぼうっとしていたが、なんとなく立ち上がる。

 そのままなんとなくリビングに向かうと、ソファの前にぽつんと置かれた小さなバッグが目に付いた。あぁ、さっき帰ってきた時、間仲人見が持ってたバッグだ。


「こんな、これみよがしに……」


 見てくれと、言ってるようなものじゃない。

 バッグを開くと、中には化粧品ポーチに財布、スマホが二つ。――いきなりこれか。何に使ってるのよスマホ二つも。

 どちらにも画面ロックが掛かっており中を確認することは出来なそうなので、財布の方を手に取った。

 中身を開く。――現金がだいたい3万円くらいに、レシートが数枚。そして数枚のクレジットカード。


「…………」


 クレジットカードに指を触れ、――数秒悩んだが、引き抜いた。

――『ASAMI SEKINE』、クレジットカードにはそんな名前が印字されていた。


「セキネアサミ……? アサミって、あれ」


 なんか聞き覚えがある名だ。カードを眺めたまましばらく考え、「あぁ、」とソファの隙間にねじ込んでいた指輪を救出する。そうそう、確かここに書かれていた名がアサミだ。


「……え、じゃあこれ、自分のってこと?」


 てっきり連れ込んだ女の指輪かと思ってたのに、どういうこと?

 しばらく悩んだが、これ以上は情報がなさそうだな、とバッグに戻した。


 ソファに腰掛け、スマホを手にする。セキネアサミ――名字の方は間違いなく『関根』だから、あとは下の名前。可能性ありそうな漢字で片っ端から検索してみて、それらしき人物を探す。――まぁ、結果から言うと、正解は『関根あさみ』でした。ひらがなかよ。


「……え、誰?」


 同姓同名でそれらしき唯一の人物ではあるのだが、――しかし、どういうことだろう。

 どこかの大学で勉強を教えてる人らしいのだが、何がおかしいって、顔が違うのだ。

 大学のホームページに載ってる関根あさみの写真は、私の知る間仲人見の外見と全く違う。

 黒髪だし、黒目だし、どう見ても完全な日本人。

 プロフィールに書かれた生年月日から年齢は31歳でまぁまぁ近そうではあるのだが、私が間仲人見と初めて会った10年前に高校の制服を着ていた以上、今31歳なはずはない。

 二十歳過ぎの高校生が存在しないとは言い切れないが、流石にないだろう。


 ――つまり、関根あさみと間仲人見は、別人である。


「名前が分かって謎が増えるって、どういうことなのよ……」


 調べる前より分からなくなった。――ただまぁ、幸いなことに特定に繋がりそうな名前を手に入れたので、収穫があったと考えよう。


「……まぁ、ここまで考えてたのかもしれないけど」


 ちょっと、バッグの置き方がにも程がある。

 これまでは玄関とか、ダイニングの脇とか、そういうところに置いていたのに、今日だけ突然リビングの真ん中、私がほとんど一日中座ってるソファの真ん前だ。


 置かれた時は気にしなかったけど、こうして見ると「調べてください」と言われてるように思えてきて、あの女の手の平の上で踊ってそうなのが腹立つ。

もしかしたら指輪もわざとだったんじゃ――、そう思えてくるくらいだ。

 いや、私が筆記体を解読出来ないままだったらただの指輪で終わったし、それはないか。


 調べるのを一旦諦め、そういえば朝食を食べ損ねていたことを思い出して冷凍庫を漁っていると、来た時と比べると随分すっきりしてきたことに気付く。

 まぁそりゃそうよね、いくら大きい冷凍庫あるって言っても、ここ来て何日経ったと思ってんの。しかも二人も居る。

 このままじゃあと一週間持たないな。どうすればいいんだろ? いや自分で買うって選択肢もあるんだけど、流石にお金持たないのよね、そんな貯金もないし。


 奥底に眠っていたミックスフライ&オムライスを温めて食べていると、目が覚めたのか、ふらふらとした足取りで、目を擦りながら間仲人見が現れる。

 全裸のままコーヒーを淹れ、「あつっ」といつもやってそうな馬鹿な声を出し、私が食べ終わる頃にようやくダイニングテーブルに着き、――じっと、こちらを見る。


「……何?」

「聞きたいことでも、ある?」

「急にどうしたの。教えてくれる気にでもなった?」

「どうしよっかなぁ……」

「言う気ないんなら別に良い」

「うそうそ。ちゃんと答えるよ」

「ホントの名前は?」

ハザマ仲人ナコウドると書いて、間仲人見マナカヒトミ

「…………偽名でしょ」

「本名だよ」

「嘘」

「本当なんだけど……」

「じゃあ、関根あさみって誰?」


 そう口に出すと、間仲人見の眉がピクリと上がった。しかし、驚いたという反応ではない。どっちかというと、「バレたか」、と、イタズラがバレた子供のような表情だ。


「前の、カ・ノ・ジョ」

「……………あっそう」


 クソ、それっぽい返答だ。っていうか指輪の時点で分かってたじゃない。折角答えてくれそうなタイミングで、この質問は失敗だった。

 っていうか『前』って。ひょっとして今カノは私って言いたいの? 付き合ってないが? ツッコミが追い付かないんだけど。


「なんで元カノ名義のクレジットカードなんて持ってたの?」

「クレジットカード……、あぁ、見たんだ」


 視線が、ちらりとバッグに向かう。あまり驚いた様子はない。


「で、どうなの」

「ちょっと事情があってクレジットカード作れないから、代わりに作ってもらってたんだ」

「……なに、犯罪でもしたの?」

「そういうわけじゃないんだけど……」

「じゃ、何?」


 そう聞くと、少しだけ悩んだ表情になったが、ゆっくりと口を開いた。


「ボクって公的には死んだことになってるから、ちょっと色々不都合が、ね」

「…………は?」

「言えるのは、ここまで。気になったら、自分で調べてみて」

「え、うん……」


 待って、待って待って待って、急展開すぎて全然ついてけないんだけど!?


 死んだことになってる? えっ死者ってこと? ゾンビ? いや確かに体温低めだけど生きてるわよね? 普通にご飯食べてるし、これが本当の哲学的ゾンビ――違う違う、絶対そういうんじゃない。

 ――あぁ、駄目だ。考えても全然分かんない。たぶん私一人で処理しきれる内容じゃない。


「質問タイムおしまい。じゃ、次ボクの番ね」

「え?」


 そういうルールだったの!?


「姫乃の経験人数は?」

「……二人」

「それ、ボク入れて?」


 コクリ、と頷いた。まだ混乱してるのにそういう話やめてよ。集中出来ないじゃない。


「んで、その片方が今のお父さん、と。……今、何してると思う?」


 えっ別に全然知りたくないな。


「数年前の強姦殺人に関与してる可能性があるって、今拘留中」

「…………まぁ、してそうね。死刑にはなんないの?」

「流石に死刑はないかなぁ。あっ、この場合は不同意性交等致死傷罪って罪になるんだけど、これもまた、さっき話したのと一緒で殺意の有無が証明出来ないと殺人罪にはならない」

「強姦殺人なんでしょ? 殺意……、あぁ、ないこともあるか」


 考えてみると、放火よりは随分軽そうだな。ほら大学生とか気軽に昏睡レイプ仕掛けてくるし。中学時代そんな目にあった子かなり居たわ。私はあえて若い男を避けてたから、そういうのはなかったんだけど。


「そう。被害者は。それを刑法は『殺意なし』と断定するんだ。そこで、一つ提案があるんだけど」

「……何?」

「『監護者性交等罪』というのがある。――姫乃のケースだね」

「かんごしゃ……?」

「簡単に言うと、親が子供を強姦する時に使われる罪状だよ。これを姫乃が訴え出るんなら、余罪がもっと出てくる可能性がある。警察もそれを調べてるみたいでね、正直、この手の人間に余罪がないはずないから」

「……まぁ、そうでしょうね」


 私が不幸な被害者一号――なはずがない。流石にそこまで清廉潔白な人間には見えないし、げんに今、過去のレイプ事件で捕まってるんでしょ。そりゃ何度もやってるわよ。


「どうする?」

「どうするって……」

「日本はアメリカみたいに懲役加算のシステムはないけど、悪質だと判断されれば一番重い罪状の、最大まで求刑されることがある。――今回の場合は、他に殺人クラスの余罪がない限りは無期懲役が狙えるね」

「ふぅん……」


 なるほど、今のままじゃ数年で刑務所から出てくるけど、私が訴え出ればもっと長くすることが出来るってことか。確かに良い提案だ。


「もう証拠なんてないわよ? 口だけならなんとでも言えるでしょ」

「でも姫乃、お母さんに見られてるだろう?」

「…………そういえばそうだけど、あの人は無理でしょ」


 なんなら私が悪いって証言してもおかしくないんだけど。


「あぁ、そこを心配してるのか。安心して。もうお母さんは、お父さんへの気持ちはないようだから」

「……そうなの?」

「そもそも今回アパートに放火されたのだって、お父さんの浮気が原因みたいだし」

「あっそう」


 なんかどっかで聞いたことあるな。浮気で放火って。案外よくあるケースなのかな。まぁ直接包丁とかで刺す覚悟がなかったら一番手っ取り早いのか。あの男、包丁持っただけの女になら普通に勝てそうだし。轢くか燃やすか――安全に行くならその2択か。


「だから、姫乃に有利な証言はしてくれると思う。もう一度聞くよ。――?」


 優しい口調のまま、間仲人見は私に問うのだ。


 ここで私が返す言葉次第で、一人の人間の人生が変わるかもしれない。

 殺したいほど憎い相手ではなくとも、二度と会いたくない人間であることに代わりはない。私の人生を変えた二人のうち一人に、復讐することが出来る。


 ――なら、私の答えは決まってる。


「……そっか。どうしてか聞いても、良いかな」

「もう、どうだっていいもの」


 父が、どうなろうと。


 母が、どうなろうと。


 どうしようもないくらい致命的に壊れてしまった私は、もう直らない。


 ちょっとすっきりして、それで終わりだ。そのためにまたあの二人に関わるくらいなら、どっちかというとマイナスの方が大きい。

 関わらないで済むんなら、関わらないに越したことはない。だから、何もしない。何も訴えない。たとえ私の証言で何かが変わるのだとしても、私は行動しない。


 ――もう、どうだっていいのだから。


「そっか」


 間仲人見は、少しだけ寂しそうな顔をする。


 ――なんて顔、してんのよ。あんたはもっと、人を安心させられる女でしょ。

 そんな顔をして、女の子が不安に思ったらどうするの。


 黙って、立ち上がる。

 向かいの席に座っていた間仲人見の隣に立ち、顔を無理矢理こちらに向け、――ぎゅむ、と、無理矢理唇を奪った。


 ――コーヒー臭い。慣れないことしたもんだから、ちょっと鼻が痛い。


「他はなんかあるの?」

「ないよ」

「そ」

「……急に、どうしたの? またシたくなっちゃった?」

「んなわけないでしょ……」


 そんな突然発情するか馬鹿。さっき嫌ってほどしたわよ。もう3年くらいしなくて良いわ。まぁそんな持たないんだろうけど。


 ――あんな顔を、見たくなかった。


 ただ、それだけだ。


「で、もよこにはいつ会うの?」

「今日会えればと思ったんだけど……」

「学校行くとは思わなかったってこと?」


 そう聞くと、「うん、」と素直に頷いた。なるほど、これは嘘じゃないっぽいな。

 あんなことがあった翌日から普通に学校行くのは、こいつにとっても予想外の動きだったっぽい。私も素でビビったし。


「待ってればそのうち帰ってくるんじゃない?」

「…………」

「待つ気はない、と」

「そうなるね」


 そう答えられると、こちらも言えることがなくなる。

 別に、相談相手を変わって欲しいと思ったわけではない。むしろ、会わせた方が面倒なことになるような気はしていた。

 それでもこの女は、今日は会って話そうと思ったのだ。――結果的には入れ違いになったけど。


「……なんか、言っとくこととかある?」

「いや、きっと姫乃が言ってくれたよ」

「え、ちょっと買いかぶらないでよ。人並みのことしか言ってないわよ」

「それが重要なんだよ。客観的に話を聞いて何を思うか、それを答えたんだろう? だから萌子ちゃんは前を向いて、今日も学校に通おうと思ったわけだ」

「…………」


 そうなる、のか?

 でもまぁ、母親が放火で人殺しかけた話をしてんのに、母親がどれだけ良い人だったか説明するのは普通に考えておかしいのよね。たぶんもよこもそこまで馬鹿ではない。


 故に客観的な意見が必要だったのであって、それは別に誰でも良かったのだ。

 なるほどこの女は、もよこがここで立ち直ってなかったらそれを言うつもりだったんだ。だからもう要件は済んだと、そういうことか。


「じゃあ、そろそろ――」


 立ち上がり、私をぎゅっと抱き締めて、――離れる。

 朝着てきたのと同じ服を着て、また、どこかへ行ってしまう。


「……次は、いつ帰ってくるの」

「いつがいい?」

「今日」

「…………」

「じゃあ明日」

「うん、分かった」

「えっ」


 自分で言っておいて、その答えが来るとは思ってなかった。

 たぶん私今、すっごい馬鹿みたいな顔してたと思う。


「また明日、ね」


 いつもと違う別れの言葉を告げ、私の頬にちゅっと口づけをした変な女は、またどこかへ行ってしまった。


「また明日、か……」


 もしかしたらその言葉を、私は、ずっと聞きたかったのかもしれない。


 胸の中が暖かくなるような気持ちを覚えて、――誰も居なくなった玄関で、ゆっくりと大きな溜息を吐いた。

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