第9話
もよことの同居が始まって、1週間くらい経った。
鳥籠から一歩も出ないから生活リズムが崩壊してる私と違って、家出中の癖して律儀に高校に通ってるもよこは、ちゃんと朝起きて夕方まで帰らない。たまに夜遅くまで帰らない日があって、そんな日は外で夕飯を食べているようだ。
「や、元気してた?」
「……お陰様で」
一人の時間を満喫――といっても何をするでもなくぼうっとしてるだけだが――していると、例の女が帰ってきた。
間仲人見。前とはまた違うコートで、明らかに高そうだ。
首からはネックレスを下げている。これも高そう。どこかのパーティにでも行ってきた帰りのような格好だ。でも今昼前なのよね。こんな時間にパーティが終わることある?
「萌子ちゃんとは、仲良く出来てる?」
「全然」
「あれっ、おかしいな。似たタイプだと思ったんだけど……」
「見込み違いね。女見る目ないんじゃない?」
不思議そうな顔でコートを脱いだ間仲人見は、私と肌が触れ合う距離感でソファに座る。折角広いんだから離れなさいよと言いたい気持ちはあれど、別に不快でもないので何も言わなかった。ちょっとお酒と煙草の匂いは気になるけど。
「女の子を見る目は、これでもあるつもりだよ」
そう言うと、私にもたれかかってくる。――軽い。
私より背が高くて胸も大きいのに、どうしてこんなに軽いのだろう。中身空洞なのかな。そういえば腰回りとか、本当に細かった。内臓入ってないのかって思うくらい。
そのまま何も言わず肩に頭を預けてくるので、ちょっと姿勢を変える。
――私の膝の上に、間仲人見の頭がこてんと乗る。
長い髪はソファから垂れ、床に着きそうなくらいだ。
誰なのかもよく分からない女が、膝の上で「ふふっ」と小さく笑う。
私に新しい世界を教えた女に、膝枕をしている。あまりに非現実的なその光景に、小さく笑みが零れた。
次会ったら、文句の一つでも言ってやろうと思ってたのに。
放置すんなとか、変な女連れ込むなとか、色々言いたいことはあったはずなのに。
こうして優しい顔を見ていると、そんな気持ちはどこかへ行ってしまうのだ。
「ねぇ、姫乃」
「……何」
「君は、優しいね」
「…………そ」
別に、そんなつもりはない。
こんな胡散臭い女を、信じてるわけではない。
でも、それでも、だ。
――今この瞬間、この空間には私と間仲人見の二人しか居ない。
今更取り繕わなくて良い。この女は、きっとそんなもの求めていない。素の表情で、素の感情で、そのままの私で接すれば良い。
そんな相手は、これまで居なかった。いつも求められている顔をしたし、いつも相手に合わせて性格を変えていた。そうするのが生きるのに最適だと、知っていたから。
それでも、この女を相手にする時だけは、気を遣う必要なんてない。そう思えるだけ、私の心は絆されてしまっている。
親友と呼べる相手にまで気を遣っていた私が、気を遣わないでいられる――、それだけで、私の心は救われる。
間仲人見は、私の膝を堪能するかのごとく顔をこすりつける。
すると当然だが腰紐一本で留めてるバスローブは徐々にはだけていき、素足が露わになる。
――ぺろり、と。
間仲人見は、私の腿を舐めた。
「気持ち悪いからやめて」
「嫌だと言ったら?」
「蹴り落とす」
そう返すと、嬉しそうに「ふふふ」と笑う。
――そして、くるりと顔をこちらに向けてきた。
青みがかった瞳が、私のことをじっと見上げた。
何を言うでもなく、ただ、膝の上から私のことを見つめてくる。
「ん」と唇を突き出してきたので、ぎゅむ、と親指を押し付けた。誰がするか。
「疲れた私を、癒してはくれないのかな」
「お風呂入って寝てきたら?」
「そういう、肉体的な疲れじゃなくて――」
「どこで何してきたか教えてくれたら、いいよ」
「…………」
ほら、まただ。
都合が悪いと、すぐ黙る。ひょっとして聞こえてないんじゃないかと思うくらい自然な顔で、静かに微笑むのだ。
着ているのはパーティドレス――だろうか。ドレスといってもひらひらなわけではなく、あまりに日常遣いが出来なそうな服なのでそう思っただけである。
布は薄いが、確実に高いと思えるすべすべの生地。藍色がかったその服は、縫い目がどこにあるかも、肌にぴったりくっついていて、どうやって着れば良いかも分からない。
生まれてこの方ドレスなんて着たことがないから、「結婚式の参列者かな」くらいの印象しか持てないが、こんな女が参列したらみんな新婦じゃなくてこいつを見ちゃうでしょ。
服は派手な色味でも構造でもないのに、とかく髪が派手だ。
胸を完璧にホールドする形で縫いあげられたドレスの胸部に触れると、どうやら下着など付けていないらしい。下着のラインとか浮き出そうだと思ったが、なるほど付けないのか。
「ひゃんっ」なんてわざとらしく声を上げられたのがちょっとムカついたので、ぐに、と握ってみた。うわっ柔らかっ。何入ってんの? 水まんじゅう? 同じ女なのに敗北感すっごいな。正直お金とかよりこの胸の方が羨ましい。
「このまま少し、眠らせて」
「……うん」
そう言うと、――本当に寝た。
すやすやと、小さな寝息を立てて。
外敵など存在しないかのごとく、安心しきった顔で。
膝に乗せた、変な女を見ていると。
私の中の何かが、悲鳴を上げる。
何を言っているか、全然分からないけれど。
きっと警鐘だろう。こんな胡散臭い女を信じるなと、私の理性が叫んでいるのだ。
――分かる。分かっている。
こんな、隠し事まみれで何も語らない女を、信じられるはずがない。
口から出てきた言葉で信じられそうなのは、私を抱きたいと思っていることくらい。
そんなの、何も知らないのと変わらない。まだ、嘘をつかれる方がマシ。それが嘘であろうと、最低限、相手を納得させられる程度の説明をするべきだ。
分かって、いるのに。
「はぁ…………」
この時間が、心地良いと感じてしまう自分が、本当に嫌だ。
膝を貸している間、そういえば、と枕元(ソファに枕を持ってきている)に置いてあったスマホを手に取る。ここしばらく愛梨がメッセージを送ってくるので、返信用で充電するようにしていた。
ちょうど愛梨から『何してんのー』とメッセージが来ていたので、ついでに聞いてみる。
『愛梨、倉内もよこって覚えてる?』
『去年同クラだったよね? もよこじゃなくてもえこじゃない?』
『あの子、何かあったの?』
『確か早田に告白したんじゃなかったっけ。どっかからそれ漏れて、しばらくハブられてたと思う。なんかあった?』
『うん、ちょっと会う機会あって。それって去年の話だよね?』
『そだよー』
なるほど、全く興味ないクラスメイトだったからもよこの顔見てもほとんど思い出せなかったが、話を聞いてみるとちょっとずつ当時の記憶が蘇ってくる。
早田も去年同じクラスで、私や愛梨とは違うグループに居た、明るい女子だった。下の名前は……忘れた。えっちゃんとか呼ばれてたから、『え』は付くと思う。
1年の初期はちょっと話してたと思うけど、愛梨とあんまり性格合わないから話さなくなったんだっけな。いや愛梨じゃなくて別の子とだっけ?
愛梨は恋愛ドラマや少女漫画で培われた見事なまでの恋愛脳で、早田はどちらかというと男女交際を冷めた目で見るタイプだった。そのへん、私にちょっと似てるけど、異性を知った上でドライになるか、最初から興味がないかは割と違うと思う。
可愛いけど、可愛げはないタイプ。あんまり男子と遊んでる姿を見た記憶もないから、同じグループの女子とばかりつるんでいたんだと思う。んで、たぶんそこに、もよこも居た。
それで、もよこが実は
『早田、女子からも結構人気あったんだよねー』
『そうなの?』
『ほらなんか良いとこのお嬢様っぽかったし。あっでもホントにお嬢様なら漆原行ってるか』
『覚えてないなぁ』
『ま、姫乃は興味ないよねそういうの』
『うん、倉内の方は?』
『ぶっちゃけ全然覚えてない。ハブってたのもグループの子だけだったしねー』
『だよね』
ま、そんなもんだ。同じクラスといえど、1クラスで女子は20人。それが4つくらいのグループに分かれていて、他のグループと一緒に遊ぶのは稀。
学校内外でもそのグループは機能していたから、他のグループに所属する地味な女子のことなんて記憶にないのも当然だ。
地味――、地味か。
確かにもよこは、私とか愛梨、あと早田に比べたら地味だと思う。髪真っ黒だし。
けど、地顔は良い。可愛いというより美人系で、私達とは随分方向性が違うけれど、それでも顔面レベルは相当上に位置するだろう。
男子人気は、――分かんない。けど、あのくらい顔が良ければ絶対モテる。
それでもモテてないとしたら、
『あっ、あと、言い忘れてたけどマナカヒトミのこと、もう一人知ってる人いて』
『ホントに?』
『他校の友達の友達なんだけど、お金貰ってエッチしたことあるんだって』
愛梨の返事を見て、「……マジ?」と声を漏らす。言葉にならないので驚きのスタンプで返しておいた。
『Pのアプリで知り合ったら女だったとかで、顔良いし話聞いてくれるし金払い良いしーでそれから何度も会ってたらしいんだけど、最後に一回だけエッチしちゃったんだって。んで、そっから音信不通』
『へぇ……』
クズじゃねえか、と文字を打って、送らず消した。ブーメランになりそうだったので。
P――パパ活。古い言葉だと
愛梨は私よりギャルしてるけどお金より恋したい恋愛脳だからそういうのは一切使わない。
『連絡先知ってたら教えてって言われたけど、知んないよね?』
『うん、ごめん』
『それ去年くらいの話らしくて、もしかしたらまだこのへん住んで女子漁ってんじゃないかなー? 姫乃も探してんだよね?』
『あっ、うん』
当人、今私の膝の上で寝てるけど。突き出したら懸賞金くらい貰えないかな。
『愛梨的には、そういうの、どう?』
『女同士のエッチのこと? 個人的には無理だけど、害ないならどっちでもいいかなー』
『そっか。ありがとね』
感謝のスタンプを連打しておいた。まだ話聞きまわっててくれたなんて、普通に嬉しい。
しっかし、本当に素性が分からない女だ。膝の上に居るのに、間仲人見なんて女はこの世のどこにもいないように思えてくる。
名前が分かっても、逆に言うとそれしか分からないし、それすら偽名かもしれない。試しにネットで検索してみてもそれらしい人物は一切出なかったし、こうしてネットに上がらない生のクチコミくらいでしか情報を探せない。
――なんなんだ、この女は。
とはいえ、愛梨のお陰でもう一つ分かったことがある。
こいつの趣味は青田買いで家出少女を匿うことだけじゃなくて、至極真っ当な手法で女漁りもしているということ。
パパ活してる子には不幸な境遇の子が多い――というわけでもないし、そんなので会えてセックスまでしたということは、一人の相手だけを想うタイプでもないだろう。
クズだ。でも、誰も不幸にならないんならそれでもいいのかな、と思えてくる。
お金貰えたり匿って貰う代わりにセックスするくらい、対価としては足りないくらいだ。
というかそれを対価にこんな家に住まわせてくれて何不自由なく暮らせるのが普通と思う子が居たら、それは自分の価値を高く見積もりすぎである。昭和の愛人でもあるまいし。
私達女子高生の価値なんてものは、『若い』と『可愛い』が大きな割合を占める。
その対価として高級マンション一室をポンとくれる人間が――いやないって。常識的に考えて、そんな奴が存在するとして、そこらへんをうろついてはいない。
それからしばらく愛梨とメッセージのやり取りをして、まぁいつものごとくすぐに脱線するんだけど、もう学校に行かないかもしれない私とも話してくれる愛梨は、本当に良い子だ。
まぁ、お陰様でというか、スマホの充電をするようになったので、前みたいに一日中何をするでもなくぼうっとして過ごすことはなくなったんだけど、それでも猫の動画を見たり、犬の動画を見たり、――まぁそんな程度。
前まではもっと色々してたと思うけど、人間の情報にはどうしても興味が持てなかった。
そういえばこの女、犬というより猫っぽいわね。帰巣本能なさそうだし、好きに生きてる感じ。
数回しか会ってない女子高生の膝枕で寝てるとか、それはきっと世の中の男性諸君が大変羨ましがると思うけれど、私からしたらそうでもないな。
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