第8話
「おはよ、愛梨」
「……久し振り。元気してた?」
「まぁ、うん」
なんなら生まれてから一番自堕落な生活してたからね。化粧もしなかったし、特にやることもないのでお風呂もすっごい長く入っていた。毎日2時間くらいはお風呂に居たわね。
自分のお金では絶対買えない高価な化粧水は驚くほど肌に馴染み、数日ぶりの化粧はしっかり決まった。髪は脱色して痛んでるとは思えない指通りの良さで、高級シャンプー恐るべし、である。
申し訳なさそうな愛梨の顔を見て、あぁ、と心の中で声を漏らす。この子の中では、もう結論は出ていたらしい。
「前はごめんね、ちゃんと話せなくて」
「……うぅん、私の方こそごめん。何も聞かずに叩いちゃって」
「良いよ、別に」
「別にって……」
だって、痛くはなかったから。クズに乱暴された時の方が何百倍も痛かった。
所詮女子高生の力だ。元ボクサーとは比べ物にならない。痕にもならなかったし、痕にならない力加減を分かった上で、見えづらいどころを殴ってくるクズとは違う。
「雄介くんから、聞いたの?」
「……小学校から、一緒だったって」
「うん」
「なんで、教えてくれなかったの?」
「聞かれてなかったし。それに愛梨、嫉妬するかなって」
「嫉妬?」
「だって、自分の新しい彼氏と10年以上遊んでた女が目の前に居て、愛梨がなんとも思わないわけないでしょ」
「……それは、そう、だけど」
「本当に、雄介くんとは何もなかったよ。告白されたこともあったけど断ったし」
「そうなの!? 聞いてないっ!!」
「……小学校くらいの話だよ」
チッと舌打ちをした愛梨は、雄介くんのクラスがある方を強く睨んだ。
昼過ぎの変な時間に登校してしまったので、すぐに5限目の授業が始まった。6限目を終え、私の席の隣に来た愛梨は、「あのね、」と口を開く。
「姫乃の家、燃えたって聞いたけど……大丈夫だったの?」
「うん、その時家居なかったし。やっぱ話題になってた? 実家全焼したこと」
「う、うん」
愛梨は目を逸らして頷いた。
あれ、なんかあったのかな。近所の人とか居たのかな? でも今日先生とかにも声掛けられなかったし、知ってるのは生徒だけっぽいかな。
「……あれ、じゃあどこに居たの?」
「知らない人ん
「知らない人って……、それ、大丈夫なの? 変なことされてない?」
「何も、……いや、何もされてないわけじゃ、ないけど」
「本当に大丈夫なの!? けっ、警察呼ぶ!?」
「大丈夫大丈夫」
肩を揺さぶられる。心配性だなぁ、愛梨は。
間仲人見――、あの女について、本当に私は何も知らない。それが本名なのかも分からないし、何をしてるどんな人間なのか、さっぱり分からない。
知ってることといえば、女を抱き慣れている、ということくらい。クソみたいな情報ね。
「そういえば愛梨、マナカヒトミって知ってる?」
「まなか? どんな字書くの?」
「さぁ?」
「さぁって……。聞いたことないけど、男? 女?」
「女の人。歳は……10個くらいは上かな」
「10個上の、マナカね……、ちょっと友達に聞いてみる」
「よろしくー」
愛梨がスマホのトークグループにその話題を投下しているのを見て、そういえば、と自分の鞄からスマホを取りだした。
ケースに描かれた絵柄はもう剥がれかけていて、爪で引っ掻くとぽろぽろと欠ける。充電されておらず文鎮と化したそれを鞄に戻し、愛梨の反応を待つ。
「遠部先輩って知ってる?」
「んと、バスケ部の?」
「そうそう、その遠部先輩が、昔先輩から聞いたことあるんだって。ちょっと行ってみる?」
「えっ、部活中じゃないの? 大丈夫?」
「そんな真面目な部活じゃないし、大丈夫でしょ。今返信してきたくらいだし」
それもそうか、と愛梨と一緒に教室を出た。
*
「聞いたことあるよー」
体操服に身を包んだ先輩が、そう教えてくれる。
強豪運動部というわけでもない女子バスケ部は『なんとなく身体を動かしたい子』が集まっているだけのようで、ミニゲームとか、壁際で雑談とか、各々好きなことをしているようだ。確かにこれならいつ行っても良いわね。
遠部先輩は、結構背が大きくて髪が短くて、なんというか、バスケ部っぽい人だった。あんまりこういう爽やか系の子周りに居ないから新鮮。愛梨の中学時代の先輩らしい。
「どんな人なんですか?」
「んー、私も直接会ったことはないけど、すっごい綺麗な髪の人だって聞いたなぁ、あと」
「あと?」
「胸が大きい」
「…………その人ですね」
うん、間違いなく私の知ってる人と同じだ。
どこか芝居がかった口調とか、優しげな瞳とか、そんなのは話してから分かる補足情報でしかない。初見だったら間違いなく、『髪長くて胸が大きい人』という印象になるだろう。
「あとはこれはただのウワサだけど、女の子が好きらしいよ」
小さな声で言われると、隣で聞いてた愛梨が「え」と声を漏らす。
「間違いなくその人ですね、どこに住んでるかとか、どのへんに居るかは知ってますか?」
「流石にそこまでは知らないかなぁ……。あ、でもお嬢様らしいよ?」
「お嬢様? それはえっと、お金持ちってことですよね」
「そうそう。ほら、駅の向こうに漆原女学院ってあるでしょ、あそこの卒業生らしいから。あんなとこ庶民じゃ入れないでしょ」
「あー……」
そういえば、私が初めて見た時がそうだったっけ。確かに近所のお嬢様学校の制服を着ていた気がする。たぶんその頃は制服で学校を判別出来なかったと思うから、後から知って記憶が改変されただけかもしれないけど。
噂によると由緒正しい家の子しか入学出来ないとかナントカ。まぁ別世界だ。
「ああゆうガッコ、ウチみたいな共学校と違ってそういう趣味の子も多かったらしいから、根も葉もない噂の可能性もあるけど……」
「……たぶん事実ですね」
「あっ、やっぱりそうなんだ。……狙われた?」
コクリ、と小さく頷き返した。
愛梨は「えぇー……」と声を漏らしてる。セックスまでして新世界を見せられたことまで話したら流石にドン引きされそうだな。言わないどこ。
「アタシが知ってんのはそんくらいかな、参考になった?」
「はい、ありがとうございます」
頭を下げ、疑問符を大量に浮かべたままの愛梨と体育館を出た。
「んで、えっと姫乃、そのマナカとかいう女見つけて何したいの? 殴る?」
しゅっしゅっしゅと腕を伸ばす。その動き、シャドーとか言って普通に殴ってきたクズ思い出すからやめて、と無言で手を止める。
「え、……なんだろ?」
「なんかないの?」
「ないかなぁ……、ちょっと知りたかっただけだし」
最初から駄目元だったし、むしろ愛梨の先輩が私と同じくらい知っていて驚いたくらいだ。
女子高生なんてのは、閉じられた狭い世界に生きている生物である。
アルバイトとかして外と交流してる子は違うかもしれないが、ほとんどが友達と、精々が友達の友達と――、それらで作った輪の中しか知らない。
10歳も年上の相手なんて、もうどこで会えば良いのかも分からないくらい断絶された壁の向こう側に居る存在だ。
いやマッチングアプリとか使えば3秒で会えるけど、そういうんじゃなくてね。
「てか姫乃んち、放火ってマジなの?」
「えっ、そうなの?」
「なんで姫乃が知らないの!?」
「興味なくて……。あー、そういえば置いてった教科書とか燃えちゃったかなぁ……」
「……望み薄だと思うわよ」
「ま、いっか」
「良いの!?」
「だってもう登校するつもりないし……」
「え」
「あれ、言ってなかったっけ」
「えっ、え、待って待ってどういうこと!? 学校やめんの!?」
足を止めた愛梨が、私の肩を掴んで慌てる。
「やめる……いや率先してやめるつもりはないけど、もう来るつもりもないというか……」
「……なんで?」
「なんか、どうでもよくなっちゃって」
「それ、私のせい?」
「違うよ。やりたいことがあるわけでもないし、高校くらい行っといたほうがいいって言われたから通ってたけど、もう――」
それを言ってくれたおかみさんも旦那さんも、もう居ない。きっと、二度と会うこともないだろう。
私は二人の子供ではない。ただの、他人だ。
両親は私のことなんて心底どうでもいいと思ってるはずだし、高校に通ってるかどうかすら興味ないに違いない。
だから、高校生活における唯一の心残りは、愛梨に謝れなかったことだった。
幸いちゃんと話せたし、怒ってもいなかった。今度は黙っちゃうこともなかった。
月舘姫乃の高校生活は、これでおしまい。
――ということになれば、まぁ、この話はこれで終わったんだけど。
残念ながら、私の人生はもう少しだけ続くらしい。
まだ納得出来ないと駄々をこねる愛梨を「絶対また連絡するから」と約束して別れ、今の住処である高級マンションに向かう。
私が出る前と、何も変わらない家。
制服を脱ぎ捨てて、化粧を落としてお風呂に入って、ご飯を食べて。
こんな生活が、あとどれだけ続くのだろう。
出てけと言われたら、すぐにでも出て行くつもりだ。まぁ帰る家はないから、前みたいに適当に暮らしていくことは出来ないけれど。生きていくなら働かないとだ。未成年は家を借りれないと聞いたから、どこに行ったかも分からない母を探して――、めんど。
そんなことを考えていたら、玄関のチャイムが鳴る。
びくり、と身体が震えた。――けれど、扉は開かないし、足音も聞こえてこない。
おかしいな、と壁のインターホンに目を向けると、女子高生が映っていた。小さな画面で女子高生ということが分かったのも、地味な茶色のコートの中に着ている制服が、私と同じものだったからだ。
「……誰?」
ソファから立ち上がって、液晶画面を見る。近くで見て、なんか見覚えがあるような、と唸っていると、画面に映っていたその子が扉に手を掛けた。鍵は持っていたようだ。
「し、失礼しまーす……」
そんな声が玄関から聞こえてくる。しばらく息をのむような声がして、――あぁ広さに驚いてるんだろうな、と自分も似たようなことを考えたことを思い出し、ソファに戻った。
そういえば私、今バスローブ一枚なんだけど――、まぁいいか。
「お邪魔しまーす……」
そういえば私とその子で違うことがあるとすれば、私は誰もいない家に入ってきたが、その子にとっては誰かもよく分からない先客の居る家、ということである。
「えっ、……月舘さん?」
リビングに入ってきた女子高生は、私の顔を見るなり眉を潜めて声を漏らす。聞き間違いじゃなければ私の名前ね。
「あれっ、知り合い?」
「あれって……、1年の時に同じクラスだったけど」
「ごめん、地味な子の顔覚えてなくて。誰?」
なんとなく顔に見覚えがあるその子は「はぁ?」と嫌悪感を剥き出しの顔を向けてくる。うん、今のは私の言葉が悪かったな。
「倉橋」
「……あっ、倉橋もよこ」
「
うるさっ。声でかっ。
ごめんて、だってホントに全然覚えてないし。何した子だっけ? なんか去年トラブってなかった?
もよこの顔をじっと見て、必死に記憶を漁る。――あっ、なんか思い出してきた。なんだっけ、愛梨が「ちょっと怖いよね」とか言ってた――――
「……レズの」
そうそう、レズのもよこだ。思い出した思い出した。LGBTだかの特別授業を受けた後で友達に告白したら盛大にバラされてハブられてた子。
愛梨が「顔は良いのに、もったいない」とか言ってた。確かにこうして見ると、雑誌モデルくらいは出来そうなスタイルだし顔も良い。地味な子呼びは確かに失礼だった。
化粧は自然に見える程度だけど、素が良ければナチュラルメイクで充分なのよね。まぁ私ほどじゃないけど、男子にもかなりモテると思う。愛梨に勿体ないと思われるわけだ。
「お、覚えてるじゃない」
「今顔見るまで忘れてたし。学校来てたの?」
「来てたわよっ!?」
「あっそう、ごめんね興味なくて」
学校に来てないのか他クラスなのかなんて、全く関わらない相手においてはあまり変わらないのよ。
「……そりゃ、嫌でしょうけど、私だって誰彼構わず発情するわけじゃ――男子だって――」
「いや男子は相手が女なら常に発情するわ」
「そうなの!?」
うん、と頷き返す。手を出してくるか出してこないかという違いはあれど、どんな男子であっても、たとえ彼女がいても可愛い子に優しくされたら皆惚れるし誘われればセックスもする。女子みたいな恋愛脳じゃなくて直結思考というか――、この話やめよっか。
「んで、そのもよこは何しにここ来たの」
「……匿ってくれるって、聞いて」
「誰に?」
「間仲さん」
「あっそう」
間仲人見が私に何も言ってこなかったということは、特に何かを求めてるわけではないのかな。3部屋もあるのに私一人で使っていたから持て余していたのは事実だし、あと2人くらいなら増える余地はある。ベッド使ってないし。
と、ふと思い当たってスマホに充電ケーブルをぶっ刺した。電源を付けると、普段スパムくらいしか来ないショートメッセージが1件。
『これからそっちに女の子行くから、よろしくね』――間仲人見からだった。メッセージの送信時間は、だいたい2時間くらい前。ちょうど私が帰ってきた頃だろうか。
なお他にメッセージはない。誰が来るとか、何をよろしくとか、そういった話はされていない。説明不足なのは前からだけど、なんなのあの女?
「……ねぇ」
私が無言でスマホを弄ってることに耐えられなかったか、もよこは声を掛けてくる。
「何?」
「その、あなたはなんでここに居るの」
「なんでって……もよこと一緒じゃないの」
「だからモヨコじゃないって言ってんでしょ!? ホウコよ!!」
「もよこはなんで来たの? 匿ってもらうんでしょ? 私も似たようなものだし」
頑なに訂正しない私に呆れ溜息を返す。あながち的外れなことは言ってなかったはず。
ただ、もよこはどこか切羽詰まった感じがあって、消極的にここに辿り着いた私とは少しだけ違いそうだけど――
「…………」
「もよこはいつまでここに住む気?」
「いつまでって?」
「いや、しばらく私一人で暮らしてたし、同居人増えるの、なんか嫌だなーって」
「…………今晩は、泊めて」
「どうぞ」
そう返すと、もよこは俯き「なんなのよ……」と呟いた。私だって聞きたい。
「家の説明は? もうされた?」
「……場所と、鍵だけ。あとは同居人が教えてくれるって」
「…………そう。んと、部屋は好きに使って。私どこも使ってないから。あー、でも手前の部屋だけ私がベッドメイクしてちょっと自信ないから、避けといて。んと、そっちの冷凍庫には冷食入ってるから好きに食べて。私は残ってるもの食べるから。下着のサイズは――私とは違いそうだからまぁいっか」
悔しいことに、どう見てももよこの胸は私より大きかった。いや自分のをそこまで小さいと思ったことないんだけど、間仲人見を見ちゃったらどうしてもね。
「しっ下着!? そこまでお世話になるつもりはないわよ!?」
「そうなの? 私なんて荷物も持たずにこの格好で来たけど普通に暮らせてるし、そんな何も持ってくる必要ないと思うけど」
「そ、そうなの……?」
「あと、このソファは私のだから」
「わ、分かったわ。他は?」
「他? ないけど」
「睡眠時間とか、食事の時間とか、お風呂とか、掃除当番とか……、なんか、あるでしょ」
「好きにして」
「好きにって……」
「私も好きにしてるし。そういうの決めたくて来たんじゃないでしょ」
小さな声で「それもそっか……」と何かに納得したように頷いたもよこは、私の格好をじっと見る。バスローブ1枚。ちなみに下着も付けてない。なんか面倒で。
「……何?」
「いや、……あなた、綺麗な身体してるわね」
「そうね」
会話はすぐに終わるが、しかしもよこの目は私の身体をじっと見つめたままだ。
――なんか気持ち悪いな。
そういえばもよこ、レズなんだっけ。虐められてたってほどじゃないと思うけど、興味なかったから他の子が何言ってたのか全然覚えてないわね。元から完全に別のグループに居たし。
でも、レズだからってすぐ手を出してきたりは――、されたわ。間仲人見に、普通にされたわ。あの女そうだったの? でも、なんかもよこの目はそれとは違う気がする。よく男が向けてくる下品な目とは、どこか違うのだ。なんだろう、心配されてる?
「そ、その、普段からそんな格好してるの?」
「してるけど」
「目に毒なのだけど……、い、いえ、そういう目で見てるわけじゃなくて、一般的に――」
「家で裸でいるくらい普通でしょ。服着てるだけ偉いわ」
「普通なの!?」
「うん普通」
普通だよね、たぶん。少なくとも間仲人見はそうだったし。結局あの女、家出る寸前まで服着てなかったわ。素っ裸でご飯食べてたわ。私でもそうはしない。
「ふ、普通なのね……」
わなわなと震えるもよこは、覚悟を決めたか自分のコートに手を掛け――がばっ、と勢いよく脱いだ。たかがコートでしょ。
置き場を探してうろついて、壁際のフックに気付いたのかそこに引っ掛ける。私の服は面倒でソファの縁に脱ぎ散らかされてる。いやだって誰か来るって知らなかったし、今更片付けるのもなんか変でしょ。
「お風呂でも入ってきたら?」
「おっ、お風呂!?」
「……何、お風呂入らない生物?」
「違うけど!? 人をなんだと思ってるの!?」
「あっち」
風呂場のある方を指差した。なんか疲れるわねこの子の相手。仲良くなれそうにない。なんか一人でテンション高い子って疲れるのよ。こっちは何も考えたくないのに。
「……じゃあ、お借りします」
律儀にぺこりと頭を下げ、もよこはリビングを出て行った。しばらくすると、「なにこれ……」と声が聞こえてきた。たぶん下着の詰まったチェストを開けたのだろう。
気持ちは分かる。あれは本当に何だろう。いくらなんでもアレは用意周到すぎてキモいのよ。
「はぁ…………」
折角一人で堕落するつもりだったのに、変な女が来てしまった。
そしてきっと、この生活はしばらく続くのだろう。そんな予感を、ひしひしと感じていた。
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