第2話
「でさ姫乃、……聞いてる?」
「あっ、うん、雄介くんがなんだって?」
「まーた私に内緒で出かけててさー、誰と何してたのって聞いてもバイトとしか答えないし。絶対女だよ!」
「……本当にバイトなんじゃないの?」
「そんなはずないって! あいつ真面目にバイトとか出来るタイプじゃないし!」
「そうかなぁ……」
高校2年の秋。クラスメイトで、1年から同じクラスの
「愛梨、雄介くん来てるよ」
「あっホントだ! えっ、何しに来たんだろ?」
立ち上がった愛梨が、彼氏の元へ小走りで行く。あれだけ愚痴を言っていたのに、嬉しさが滲みだしているのがぴょんぴょんと動く足だけで分かる。
普段は愚痴しか話さないけど、あれでも愛梨は彼氏である江本雄介くんにゾッコンなのだ。今もぷんすこしながら話をしているが、あれでよく彼女が出来てるな、とちょっと驚く。いっつも怒ってる子の相手して疲れないのかな。
私は恋愛に興味ないから、クラスの誰が誰と付き合って――みたいな話をされても聞き流すことも多いが、そのくらいの距離感が丁度いいと前に愛梨が言ってたっけ。
共学高なんて彼氏取った取られたが日常茶飯事だから、ちょっと前まで仲良かった子達が急に険悪になったりすると、大抵男の取り合いだ。
結局愛梨は昼食のパンを机に放置したままどこかへ行ってしまったので、私は自分のお昼をさっと済ますと自分の席を戻り、スマホを手にする。メッセージアプリの通知が999件とカンスト表示されているが、これはまぁ、中学時代に遊んでいた頃の名残のようなものだ。
気が向いたら誰かに返事をしているが、もう顔すら覚えていない人がほとんどである。
そんな中、偶然目についた一つを開き、――「……そっか」、と声が漏れた。
おかみさんからのメッセージだった。旦那さんが、昨晩亡くなったらしい。
始めの頃、お見舞いには何度も行っていたけれど、日に日にやせ細っていく姿を見ていられなくなって、ここ1カ月ほどは会いに行ってなかった。
葬儀を終えたら、おかみさんは一人で実家のある福岡に帰るらしい。
唯一私の味方になってくれた人たちが、この街から居なくなってしまう。
けれど、私にそれを止めることなんて出来なくて、「お世話になりました」とだけ、短くメッセージを返した。
愛梨が教室に戻ってきたのは、5時限目が始まる少し前。
離れた席だが、怒っていることだけは分かった。喧嘩でもしたんだろうか、なんて考えたが、「何かあったの」と打ったメッセージは、結局送らなかった。
6時限目が終わり、流石に眠いな、とウトウトしていたら、愛梨が私の席までやってくる。
「姫乃、ちょっといい?」
教室で駄弁ればいいのに――、そう思ったが口には出さず、彼女について教室を出る。女子トイレに入って、愛梨は私が逃げられないよう、壁に押し付けて言った。
「ねぇ姫乃さ、昨日何してた?」
「昨日? 買い物だけど」
「誰と?」
その目を見て、あぁ、とようやく理解した。
――喋っちゃったんだ、と。
「雄介くん」
平気な顔で答えた私を、愛梨は――叩いた。
顔を、平手で。
パンと、軽い音が響く。化粧をしていた他クラスの女子が、これからの惨劇を予測したか、慌ててトイレを出て行った。
「裏切者」
吐き捨てるようにそう告げた愛梨を、私はどんな目で見ていたのだろう。
「……親友だと、思ってたのに」
私もだよ、――そう返したくても、口は開かなかった。
昔からそうだ。私は、都合が悪いとすぐ口を閉ざす。
愛梨もそれを知っているはずだけど、今は耐えられなかったのか、それ以上何かを言うことなく、逃げるように出て行った。
残された私は、何事もなかったように教室に戻り、愛梨の居ない教室で荷物をまとめると、誰にも別れを告げず下校した。
それから、あのボロアパートに帰る気にもなれず、電車に乗って、特に何をするでもなく街をぶらついていた時。
ふと、意識の端にあった一枚のメモ用紙のことを思い出した。
あの話、そういえばまだ有効なのかな、と。
次は失くすという自信があったので、カメラロールから探し出したのは、メモ帳の写真。
その電話番号に掛けてみたが、コールも無しに留守番電話に繋がった。
それがあの人に繋がったかは定かじゃないけど、どうせなら、と一言だけ言葉を残した。
『6年くらい前、雪の日に会った小学生です』
――折り返しがあったのは、2時間くらいしてからだった。
『今日、時間はある?』
何度も夢の中で回想したのと同じ優しい声色で、その人は聞いてきた。私が誰かとか、何の用とか、そんなことを一切聞かずに。
『じゃあ、前会ったところに来れるかな。今から――1時間くらいで行けると思う』
どうして、電話を掛けたのか。
どうして、名前も知らないその女に全てを話そうと思ったのか。
分からないけど、少なくともあの時の条件は満たしているだろうな、と、そう思った。
*
「ふぅん……」
私の話を黙って聞いていた女の人は以前――6年前に見た時と、随分格好が変わっていた。なんというか、随分と大人っぽくなっていた。
当たり前だ。6年前は高校生でも、今は大学も卒業して、働いている年齢だろう。
――美人さんだ。
ベンチに座って横顔を眺めているだけで、時が流れると錯覚してしまうほど。
薄く脱色された髪は記憶にあるより随分伸びて、毛先はほとんど銀になるまで色が抜けている。
頭頂部あたりは明るい茶色だが、半ばから金色――グラデーションのようになった、腰あたりまで伸ばされた長い長い髪。
脱色すると髪が痛むからパーマせざるを得ない私とは随分違って、何度も脱色しているはずなのに毛先まで真っ直ぐな、綺麗な髪。こんな髪の人が会社に居たら浮くだろうな、と思ってしまったが、そういうのが自由な会社なのだろうか。とはいえ、水商売のような雰囲気もない。どんな仕事をしているのだろう。
長い睫毛に、大きな瞳。小さな鼻と、小さな口。前掛けてなかった眼鏡は伊達だろうか、細いアンダーフレームの眼鏡だが、度が入っているようには見えなかった。
そして何より、冬用のロングコートの上からなのに分かるほど、豊満な胸部。
思わずそこに目が行ってしまって、慌てて逸らした。何故か、見ていてはいけないと思ってしまったから。昔からこんな大きかっただったろうか? あんまり覚えてない。
相槌を打つばかりでほとんど口を開かないのに、私の口からはとめどなく人生の追憶が流れ出て行く。
これまで誰にも話していなかったようなことまで、全部話して。
けれど、全くスッキリはしなかった。
だって、何も解決していないから。そしてこの問題は、きっと誰にも解決できないから。
「それで、君はどうしたいのかな」
「……どうも。ただ、あなたが言ったから」
『君が本当に絶望した日が来たら、私を呼んでくれ』――、それは、幼い頃の私が、唯一心の支えにしていた言葉だったから。
「たとえば、ほら、あるだろう。雄介くんとの話を友達にちゃんと説明したいとか、お母さんに本当のことを話したいとか、新しいお父さんに死んで貰いたいとか――」
「ないよ」
「本当に?」
うん、と頷いた。だって、本当にどうだっていいから。
ただ、少なくとも条件は満たしていた。だから呼んで、話しただけだ。
昔の私との約束を、今ようやく果たしたのだ。「どうしても耐えられなくなったら、お姉さんに助けて貰おう」なんて考えていた、小さな小さな私との、大切な約束を。
――あぁでも、これじゃ助けてもらったとは言えないか。
「話したかっただけ。それじゃ」
「……帰るのかい」
「うん」
「誰も君を待たない家に?」
「そうだけど、……そうするしか、ないじゃない」
「どうして?」
どうしてと、名前も知らない女は聞く。
どうして? ――どうしてだろう。
少なくとも中学の頃の私は、他人に依存して生きるのが当たり前だと思っていた。
けれど今は、少ないけれど貯金もあるし、何より中学生ではない。アルバイトだって出来るし、自分でお金を稼ぐのは不可能ではない。
なのに、どうして私はあのボロアパートに帰ろうと思ったのだろう。そうするのが当然だと思い込んでいたのだろう。
「ねぇ、……高校生が一人で暮らすって、出来ると思う?」
だから、聞いてみた。この人なら、答えてくれると思ったから。
「一人? それは、昔みたいに誰かにお金を貢いでもらって生活するという意味かな?」
うぅん、と首を振る。確かに中学までの私ならそうしていたかもしれないけれど、今は違う。おかみさんと、旦那さんと一緒に暮すようになって、前までのようには生きないと、二人に約束したから。
「高校は、……もうどっちでもいいかな、行っても行かなくても。ともかく、私がこれから誰にも迷惑かけずに両親とも関わらずに普通に働いて、一人で暮らすことは出来る?」
そう問うと、お姉さんは難しそうな顔をして、答える。
「可能か不可能かで言ったら、不可能だ」
「どうして?」
「未成年は家を借りれないし、親の同意がなければアルバイトもできないからね」
「…………」
同意、同意か。そういえばおかみさんの店で働くことを決めた時、母に何か書類を書いてもらった記憶がある。
自分名義の銀行口座はなかったから、高校で働きだしてからも給料は現金手渡しだった。今も銀行口座は持ってないから、貯金はほとんど電子マネーとして入金している。
「血縁者かどうかは関係なく、書類上の親であるならば、未成年を庇護する義務がある。――まぁ、君の場合はその責務が果たされているとは思えないけれど、少なくともこの国の法律はそうなってるから、未成年が両親と一切関わらず生活するのは、不可能と言えるだろう」
「でも、」
「あぁ、そうだ。それは、どちらもが訴えなければ問題にはならない程度でしかない」
「……だよね」
だって、私はそうだった。
知らない人の家や、漫画喫茶やカラオケを転々としていた中学の頃。
数えきれないほど補導されたし、何度もパトカーに乗せられ強制的に帰宅させられた。
迎えに来てくれる親は居なかったし、あちらも慣れたもので、パトロール中の警察官は、私の顔を見ただけで手を引いてパトカーに乗せたほどだ。
何度小言を言われても、日中まで監視されてるわけじゃないので、翌日はまた外に繰り出した。
家に居たくなかったから。家に居るより外に居た方が気が楽だったから、私は家に居なかった。でも、それを咎めるのは、小うるさい生活安全課の警察官くらいだった。
「君は、これまでの全てを捨てる覚悟があるかな」
「あるよ」
即答した。
だって、それが約束だったから。もう死んでもいいくらい世界がどうでもよくなったら、死ぬ前にこの人に話すことだけが、私の心残りだったから。
別に、自殺願望はない。今すぐ死ぬつもりはない。けれど、生きて何かをしたいとも思わない。だからこの質問に対する回答は、イエスだ。
「分かった。じゃあ、そうだな……」
やけにわざとらしく口元に手を当て、「んー」と唸っていたその人は、電話番号を介したショートメッセージ機能で私に何かを送ってきた。――住所だ。
「その家に行ってみて」
「誰の家? ウリでもさせるの?」
「まさか」
「男の家なら行かない」
特に理由はない。けど、行かない。
「ボクの家だよ」
「そ。今からでいい?」
「あぁ。部屋に着いたら教えてくれ。ボクはまだ用事があるからね、時間が空いたら行くよ」
自分の家に帰る時とは明らかに違った表現で言われたので私は首を傾げたが、聞くほどでもないかと頷いた。
「そういえばあなた、名前は?」
「
「絶対嫌」
ツンとした態度で返してしまったが、そこで反発心が出たのはどうしてだろう。
やけにお節介なこの人の言葉が、信じられなかったから?
それとも私が、人を信じることが出来なくなっていたから?
「また会おう」
ピンと指先でカードキーを渡してきた間仲人見は、どこか胡散臭い、芝居がかった口調で別れを告げ、来た道を戻っていった。
しばらく公園でぼうっとしていた私は、重たい足を引きずるように、教えられた住所に向かって歩いた。
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