胡乱
衣太
第1話
思えば、最悪の人生だった。
15年住んだアパートが不審火により近隣住宅を巻き込んで全焼し、燃えカスだけになったかつての実家が映るニュース番組を見ながら、私はクソみたいな人生を思い返す。
「君が本当に絶望した日が来たら、ボクを呼んでくれ」
小学2年生。
両親が離婚して、母と二人で暮らすようになって、しばらくのこと。
たしか、2月の頭あたりだったと思う。
いつも遊ぶ公園は、雪で白く染まっていた。
朝起きたら雪が積もっていたから嬉しくなって外に出たけれど、雪遊びに付き合ってくれる父が居ないことを思い出して、悲しくなって。
何をするでもなく一人で公園の真ん中に座り込んでいた時、私に声を掛けてくる人が居た。
綺麗な女の人だ。
近所のお嬢様学校の制服に、分厚い真っ赤なコートを着たその人は、私に声を掛けてきた。「悲しいことでもあったのかい」と、どこか芝居がかった口調で。
雪が降ったからお父さんと遊ぼうと思ったのに、お父さんが居ないことを、私は溢れる涙を拭いながら話して。
静かに聞いていたその女の人は、少しだけ男の人みたいな口調でそう言ったのだ。
『絶望』という言葉を、『すごく悲しい』くらいにしか思ってなかったその頃の私は、「今だよ」、と答えたが、女の人は笑顔で首を振る。
「もう、死んでもいい。この世界なんてどうなってもいい、そう思った時があったら、それが絶望したってことだよ」
そう、教えてくれた。
言葉の意味はよく分からなかったけれど、その優しい目だけは、はっきり覚えていた。
お姉さんは、連絡先を教えてくれた。電話が繋がるか一度も試したことがないまま、私は電話番号が書かれたメモをずっと、ずっと大事に持っていた。
中学1年の頃。
母が再婚した。新しい父親は元ボクサーの、フリーターだった。
誰よりも優しかったけれど細いし弱そうだった前のお父さんとは全然違っていて、大柄で横柄で、いつも何かに怒っている人だった。
最初は、事あるごとに物に当たった。やれパチンコで負けただの、やれ競馬で負けただの、競輪だの、しまいにゃ買っておいたお刺身の賞味期限が切れていたことにも激怒し、家にあるありとあらゆるものに当たって、壊していた。テレビは買い替えても買い替えてもすぐに壊されるので、3回目くらいか――母はテレビを買わなくなった。
ずっと家にいた私に矛先が向いたのも、思えば必然だったであろう。
母は寝る間も惜しんで働いて、私と、役立たずの新しい父親を養っていた。帰りは遅く、朝まで帰らない日だってあった。
ある日、新しい父親――父とも呼びたくないのでクズと称す――は、夕方に怒りながら帰宅すると、私と母が共同で使っている四畳一間の和室に入ってくると、「お前のせいだ」、と呟きながら、血走った目で私を押し倒した。
――それからのことは、あまり覚えていない。
気が付くと私は部屋に一人で居て、クズは居なくなっていた。
汚れた布団やシーツを洗っていると、母が帰ってきた。私が夜中に突然洗濯をしていることに疑問には思ったようだが、なんて聞かれたか、なんて返したのかは覚えていない。
けれど、言わなかった。
クズに乱暴されたことだけは、言えなかった。
どうしてかは分からない。ひょっとして、後に起こることを予測していたのかもしれない。
その日が、私の人生の転機であったことには違いない。
それから私の足は、次第に家から遠のくようになっていった。
「アンタなんて、産まなきゃよかった」「泥棒」「私の大切な人を、奪わないで」
それからしばらくして、クズに乱暴されても何も思わなくなっていた頃。
忘れ物をしたと急に帰ってきた母は、自分が居ないうちに部屋で起きていたことを知った。
そして、私を、ありとあらゆる言葉で罵った。
母にとって私は、守るべき娘でなく、自分の愛する夫を誑かした魔女だったのだ。
違うと、言葉が出なかった。
助けてと、口を開くことが出来なかった。
その勘違いに気付いたクズは、やれ幸いにと私に罪を擦り付けた。私の方から誘っていたとか、まぁ、そんな言葉で。
――恋は盲目だ。
それは若者だけでなく、30の半ばを過ぎた母にとっても同じだったらしい。
それから家に帰らない日が続いたが、幸い私は、若いというだけでチヤホヤされた。
母譲りの顔は、覚えたての化粧でも映えるくらい、周囲から目を引くものだった。
家出少女として、知らない男の家に泊まったことだって何度もある。
――けれど、ある時。
男性と会ってお話をするだけでお金を貰える簡単なお仕事をしていた頃。
私との交渉に失敗したその男の人は、激怒しながらレストランを出て行った。一応お金だけは払ってくれていたけれど、まだ食事中だったので二人分テーブルに並んでいた料理を私はすべて平らげ、お店を出ようとした時。
お店の店主――の奥さんが、私に声を掛けてきた。
「住むとこないなら、ウチで働かない?」
住むところがないなんてその店で話してなかったけれど、会話から察したのか、それとも私みたいな人間は皆そうだろうと決めつけたのか――、その人は私にそう言ったのだ。
「給料は?」
「時給1500円」
「やっす」
「3食付き、寝る場所も提供しよう」
「働きます」
即答であった。
まぁ、形だけでも履歴書を書こうとして、そこでようやく私が中学生だと知った店主の奥さん――それから「おかみさん」と呼ぶようになったのでおかみさんと称す――は、頭を抱えていたけれど。
それから私は、近所の公立高校に入学した。
形だけ出していた願書。受からないと思って半ば寝ていた試験――
しかし定員割れを起こしてたかなんかで、私は合格してしまった。落ちたら落ちたで働こうと思っていたから、受かったことに一番驚いていたのは私自身であった。
おかみさんと旦那さんのお店――こじんまりとした、けれどインターネットでのクチコミはかなり高評価のフランス料理店――の休憩室で寝泊まりするようになっていたその頃の私は、「高校受かったよ」と二人に報告すると、泣きながら喜んでくれて、入学金まで出してくれた。
母にも言っていないのに、二人には報告しておこうと思ったのだ。
その日はお祝いといって高いボトルワインを開けたけど、私がまだ未成年ということを思い出した旦那さんが、泣き笑いしながら一人で飲んでいた。
――そんな、優しくて暖かい他人との生活を楽しんでいた、ある日。
高校2年の夏頃。
旦那さんが営業中に体調不良を訴え、救急車で運ばれた。――検査の結果は、末期癌だった。偶然、症状が出づらく、見つかりづらい臓器だったらしい。
手術や治療は延命措置にしかならず、完治する見込みはないと医者に告げられ、おかみさんは泣く泣くお店を畳むことを決意した。
そしてそれは、私の住む家がなくなったことも意味する。
数カ月ぶりに実家のボロアパートに帰った私は、何をするでもなく、なんとなく本棚に手を伸ばし、中学の頃の教科書を手に取った。真新しい教科書は、何年も前のものとは思えないほど硬かった。
当然だ。中学なんて、ほとんど通っていなかったから。
ぱらりと落ちてきたメモを見て、私はずっと忘れていたことを思い出したのだ。
そのメモには、電話番号が書かれていた。
――小学生の頃、雪の日に会った、不思議な女の人の番号だった。
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