第31話 友達
寒い冬。俺は自宅マンションにて、ネットニュースを閲覧している。
気になったのは群馬県のその後。もちろんこんな短期間で復旧はしていないが、被害を受けた人たちは、増額されたベーシックインカムで月16万円を手に入れ、仮設住宅も建てられている。とりあえずは治安の悪化も無く、情勢は安定しているようだ。
こうして見るとベーシックインカムは、最後のセーフティ・ネットとして、実に上手く機能しているようだ。万一、財産や家をすべて失ったとしても、とりあえず収入を確保できる意味は大きいだろう。ガイマ保険なんかもあるが、まだまだ加入件数は少ない。ただ国民保険の負担割合は増加しているので、ケガをした場合、以前より医療費がかかるのが問題ではある。まだ細かい部分にまで制度が行き届いていないとニュースでは言っている。
気分を変えて次はニッコニコ動画。最近の人気動画で、ジェミニ・パラックスのボーカロイド曲が、上位にランクインしているのを発見した。曲名は「スケートちゃんのスピンでスッピン」ダジャレかよ。内容は、可愛らしい2頭身のジェミニ・パラックスが、クルクルとスピンして、厚化粧で素顔を隠す女性をスッピンにして、素直な心を取り戻す。といった内容の歌詞だ。
「スケートちゃんのスピンでスッピン」
みんな素直になれなくて
まわりを気にして お化粧してる
誰も彼もが厚化粧 本音を隠し 心を隠す
そんなことをしていると ホントの心が
分からなくなるよ?
だからね
スピンでスッピン スピンでスッピン
素顔をみんなに見せてね
スピンでスッピン スピンでスッピン
ほーらみんなは笑顔だよ
いつもスッピン 笑顔でスッピン
素直に生きてみようよ
ま、現実はなかなか本音を素直に出すことは難しい。理想論ではあるが、理想は言わないよりは言ったほうがマシなのは確かだろう。ただ、ぶっちゃけジェミニ・パラックスが、ダジャレ以外であんまり関係ない歌だがな。しかし、厚化粧の女の子と一緒にスピンする、ジェミニの姿は可愛いと言える。
それにしても面白いスピンだな。右腕を上げて力こぶを作って回るスピンは、ガッツポーズスピンと言うべきか。某有名漫画のギャグ姿勢シェー・スピン。某有名コメディアンのアイーン・スピン。アヘ顔抜きのダブルピース・スピン。なんかの姿勢で2頭身のジェミニがクルクル回っている。
真面目に考察するなら、変形アップライトスピンのコンビネーションと言うべきか。そういやコミカルスケートなんてジャンルは、スケート界には無いな。これぐらいなら簡単にできる。本物のジェミニがやれば、受けるんだろうか?
と、ノートパソコンを見ながら考えていると、俺の体が引き寄せられて、いきなり唇を奪われてしまう。まただよ。今俺はジェミニ・クレアトゥール、星乃ナナの姿になっている。俺にいきなりキスして来たのはサトルだ。そう、エインセルが化けた偽サトルだな。
俺たちは、かりんちゃんとみかさんを家に呼ぶに当たり、事前に問題点が無いか確認する為、ナナとサトルの姿で数日過ごしている。エインセルが初めてキスして来たのは、スマホの壁紙撮影の時だ、抱き合ってる時に、チュッ、チュッと何回もキスされた。それからスキを見せれば、エインセルはキスして来やがる。
どうもエインセルは俺のメス堕ちを狙っているようだが、残念だったな。フッ、俺はエインセルに欲情するほど落ちぶれてなどいないのだ。それにしてもシツコイ。舌まで入れようとすんな。俺は強引に偽サトルから顔を引きはがす。
「こら、いい加減にしなさい。あと、サトルの姿で見た目女の子に、無理矢理キスするのもやめなさい」
「フフッ、ご馳走様。やっぱ普段からこう、イチャイチャに慣れてないといけないかな。と、仲のいいブラコン兄妹を演じるんだからさ」
「ブラコン兄妹作戦はあくまでプラトニックでしょうが。唇のキスをしまくる兄妹なんていません」
まったくコイツは。エインセルは普段念話を使ってるし、男の演技なんかできるのかよ。なんて思っていたが、実に上手く男のフリをしやがる。ちょいとチャラいが、概ねサトルがやりそうな事を上手く真似してる。よく俺を観察してるんだな。
「当然だ。男の姿や女の姿で、何度も人間に接して来たからな。ほら、有名パティシエールの田崎クリステルに会う時なんかは、人間の女性の姿で登場してる。本当の姿なんて、パートナーのサトル以外には見せないからな。田崎は俺の事を海外の凄腕魔道師だと思っているよ」
偽サトルは、ハンサムな顔でニヤニヤ笑いながら俺に説明する。くっ、なんか悔しいな。ダメな所を指摘しようと思っていたんだが、エインセルは場数を相当踏んでるようで、なかなかスキが見当たらない。
「しかし中華街デートから一週間であの2人を呼ぶなんて、ちょいと焦り過ぎじゃないかな?」
「いえ、これでいいのよ。むしろ魔法庁が本格的にこちらを調査して来るほうが困るのよ。労せずしてかりんちゃんから私達の情報を得られるなら、予算が少ない魔法庁の情報部も、あえて細かくは調査しないでしょ。エインセルの工作は信頼してるけど、どこから勘付かれるか分かったものじゃないもの」
そう、あえてこちらの情報を流すことで、相手の動きをコントロールしたいのだ。こちらが秘匿すべき情報は、エインセルとナナ関連しか無い。なので、それ以外は明け透けにしても構わないと考えている。できれば本人確認ぐらいで、調査が終わってくれればいいんだがな。
東急東横線 大倉山駅前
というわけで、再びの週末。
かりんちゃんとみかさんは大倉山駅まで来てくれるそうなので、駅前で待ち合わせとなった。今回は足元が少し悪い公園や坂も登るので、デニムスタイルで来るように、2人には連絡している。
今回のナナの恰好は、黒のブラウスにライトブルージーンズ、ブラウンのロング丈のガウンコートで、少しラフな格好となっている。さっきスマホに連絡が来たので待っていると、すぐにかりんちゃん達が改札から出て来た。
「こんにちはナナさん。今日もよろしくお願いします」
「よろしくお願いしますー」
「ようこそ私の地元へ。今日は大倉山公園に寄ってから、テイクアウトで食べ物を買って、家で食べながらお話しましょう」
笑顔で挨拶するかりんちゃん達。初日の時とは違って、大分緊張も抜けてきたようだ。かりんちゃんの恰好は、白の長袖ニットにブルーデニムパンツ、上に黒ダウンコートを着ている。みかさんは、黒の長袖ニットにグレーデニムパンツ、白のフード付きジャンパーという格好だ。
俺たちはさっそく、駅西口からすぐの、有名フライドチキンチェーン店と「不滅への飛翔」像の横にある、ゆるい坂を北に登っていく。
「この先に記念館坂という急坂があって、そこを登りきると大倉山公園の入り口に辿り着くわ。その前に、あそこのパン屋さんでパンを買うわよ。どんなパンでも美味しい大人気店よ。あと30分で行列が出来て、すぐにパンが売り切れるわね。買うなら今の内ね」
「そんなに美味しいんですか?」
「ええ、あそこのパン屋の7割のパンは食べたけど、どれも美味しいと断言できる。特にここに来たのならバナナぱんは買っていかないとね」
「あっ、のぼりに書いてますね。一番人気 幸せのバナナぱんだって……」
ここのパン屋は大倉山を代表するパン屋だ。周辺で知らない人がいないほど大人気店で、いつも行列ができていて、あっという間にパンが売り切れる。おすすめはクロワッサンとパイ生地系。とはいえ、他のパンも外れは無いけどな。パンをテイクアウトで購入したり、入り口のテラス席で食べることも出来る。
すでに短い行列が出来ていたが、5分程待って無事入店。店内には1度に5名しか入れないルールだ。かりんちゃん達は、白いカゴとハサミを持ってパンを選び始める。実のところ肝心のばななパンは今は売り切れだ。しかし地元民たる俺にスキは無い。営業中に、ばななパンは何度か焼き上がるのだ。
焼き上がり時間を狙ってピタリと入店した俺は、無事にばななパンのホールサイズ600円1個とハーフサイズ300円2個を購入する。ハーフサイズは、かりんちゃん達に渡すつもりだ。俺のおごりで大倉山のお土産として持って帰って欲しい。
パンを購入した俺たちは、店を出て、どんどん坂を登っていく。坂には記念館坂の坂名標が坂下、中腹、坂上に3つ立ててある。そこを登りきると大倉山記念館が見えてくる。かりんちゃん達は若く、魔法少女でもあるので、たいした苦も無く坂を登っているようだ。そして記念館に到着。
「おおぉ~。なんか歴史のある建物って感じですね」
「ええ、実業家の大倉邦彦(おおくらくにひこ)っていう人が昭和7年に建てた「大倉精神文化研究所」の本館よ。ギリシャ神殿様式の建物ね。同じころに東急電鉄が太尾駅を大倉山駅に改称して、この周辺は大倉山と呼ぶようになったのよ。映画やテレビのロケ地として、よくここは出てくるの」
というわけで、記念館内部を見学。この建物にはホール・ギャラリー、集会室、会議室なんかがある。特に変わった施設なんかは無いが、歴史を感じさせる内装で、なかなか見ごたえはあると思う。
外に出て、付属図書館がある東側の道路に出る時に、ベンチを見かけた。懐かしいな。ここで不幸にも、あるいは幸運にもエインセルと出会ったのだった。たった1年前の出来事だが、大昔の気がしてくる。
俺たちは道路を更に先に進み、オリーブ坂を通り越し、大倉山公園の梅林に到着した。ここは木々に囲まれた静かな公園だ。今の季節は、46種220本の梅が咲き誇り、美しい風景を作り出している。梅の鑑賞のためか、普段より人が少し多い気がする。
「わ~。綺麗な梅の公園ですね」
「確かにね。でも残念ね。あと2週間もしたら梅まつりが開催されるんだけどね。梅まつりの時は、出店も出て、ステージで和楽器の生演奏もあって、とても賑やかになるのよ。梅を鑑賞しながら食事も楽しめるの」
「そうなんですね。梅の花でお花見できますね」
「ええ、まあその代わり、今なら梅をじっくりと観梅できるから、ゆっくり散歩しましょうか」
俺たちはゆっくりと遊歩道を歩き、途中のベンチで腰掛けて、しばし休憩。それから散歩を再開し、奥にある小さな池を見てから、元来た道へ戻って駅まで下って行った。駅に戻ったら、そのまま西のエルム通り商店街の中を進む。
「ここって、綺麗に整備されてますけど、白くて綺麗な柱が並ぶ街並みで、なんかギリシャぽい?」
「ええ、30年ほど前に、大倉山記念館の建築様式を参考にして整備されたのよ。その後に、ギリシャ・アテナ市にあるエルム通りと姉妹都市提携も結んだわ。あくまで個人的な感想だけれど、昼は日本語看板がうるさい感じがするわね。夜の方がギリシャの通りっぽい雰囲気が味わえると思うの」
エルム通りは、街路樹や街灯もあって、お洒落な通りなんだが歩道が狭いのがたまに傷だな。とはいえ、昔は段差付き歩道なんて無く、歩道はもっと狭かったので大分マシになったほうなんだが。車の通行量が多いので、危ないと感じることもある。とりあえず俺たちは、エルム通りのケーキ屋さんで、家で食べるためのケーキを購入して駅に戻った。
それから駅の東口に出て、すぐに南下。小さなケバブ屋さんに向かう。ここはテイクアウト専門で、ソースが絶品でケバブが上手いんだ。大倉山の外食はなかなか優秀で、これまで色々食べてきたが、まだハズレに出会ったことは無い。
とりあえずは3人で食べるのは、ケバブバーガー500円3個とした。バーガーは食べにくいがパンが上手いんだ。あとは俺の晩飯用にドンブリ・ケバブ500円、ケバブ弁当550円、餃子450円を購入。ここはケバブ屋なのに、どういうわけだか、やたらに餃子が上手いんだ。地元の人間しか知らない、隠しメニュー的な立ち位置だな。
とりあえず、これで買い物は終了したので、駅の東側のレモンロード商店街を少し歩いてから北上。駅近の俺のマンションへ向かう。
※明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
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