綴り書き 参ノ伍

 何故だかは分からないが、親密な二人の姿に、青人の胸もチリッと傷んだ気がした。次の日は快晴。三人が父親の船と合流するため、明日島を出発するという。その夜はささやかな宴の席を設けた。


「なあ。アオト。お前は随分と長生きしてるみてぇだけどよ。殺したい程のいい女に出会ったことあるか?」

「どうしたんだ。レイ。今夜はやけに思い詰めた表情だな。いい女かは分からないが、気まぐれに助けた人間離れした絶世の美女には出会ったことがあるぞ」

「おいおい。その話詳しく聞かせろよぉ~。……もっとお前とこうやって、色々な話をすりゃ良かったなあ……長い人生にゃ、きっと色々な出会いや出来事があるんだろうな……諦めなきゃさ」

「レイ。飲み過ぎだぞ。アオトと離れるのが寂しいからって管を撒いてないで、少し酔いを醒まして来たらどうだい?」

「……おう。そうだな」


 呟いて立ち上がるレイ。その暗い表情が気にかかり、青人は後を追おうとする。


「絶世の美女ってなんだい? そいつはアタシよりも綺麗だっていうの!? アオトの浮気者~~~っ!」

「いきなり何の話だ。お前も飲み過ぎだ。ヴァイオレット。それくらいにしとけ。水、持って来てやるから」

「お嬢がこんなに飲み過ぎるのも珍しいですね。アオト。頼んだよ」


 浜辺から少し上った小高い丘にある井戸から、青人は水を汲み上げて皮水筒へ詰めた。丘を下りて浜辺に差し掛かる手前で、レイが自分たちの船に何やら細工をしているのを見てしまったようだ。


 レイが戻ったあと、船を確認すると、部品が数本引き抜かれて浜辺に転がり落ちていた。なんの部品かは分からない。近付こうとする青人の後方から声が掛かる。


「アオト! アタシ本当はアンタと離れたくないんだ……ねえ。一緒に船へ乗らない? アンタが親父と再会出来るかもしれないだろ?」


 後方から抱きつくヴァイオレットの腕をやんわりと引き剥がし、青人は困ったように眉根を下げる。


「まだ酔ってるのか? 水だ。飲め」

「はぐらかさないでおくれよ。これでも勇気を振り絞ってんだからちゃんと聞いて!」

「……ヴァイオレット。俺とお前じゃ大分年が離れてるってのは昨日分かっただろ。俺は、お前と一緒に年は取れないし、俺からしたらお前はまだ子どもだ。そもそもお前、スタンといい仲なんじゃないのか?」

「スタンはアタシの幼馴染だよ。確かに気の置けない相手ではあるんだ。だけど、こんな気持ちにはならいよ。一目惚れだったんだ。アタシはもう子どもじゃない。長生きのアンタが寂しくならないように、沢山産んであげるから……だから、一緒に行こうよ。アオト……」


 縋るようなヴァイオレットの視線。頭の中に昨夜のスタンとヴァイオレットの会話が蘇り、スッと感情が冷えていく。


「人魚肉の事業に俺を利用したいのであれば、他を当たってくれ。人魚肉を食べてしまった人間は人魚になる。人体実験はごめんだ」

「アンタいつ聞いて……違うっ! そうじゃないっ! スタンにはアンタの事をずっと相談していて……! どうして、信じてくれないんだ……アタシは……こんなに……アンタがっ! うっ……グスッ……!」


 昨夜の会話と不気味がる表情。合点がいったと背を向けた青人にはヴァイオレットの言葉の後半部分は聞こえていないようだ。


「海の女は……泣いたらダメ……弱きを助け強きを挫く。女は度胸だ……手に入れたいなら本気でいけ……そうだよな。親父……」


 呟いたと思った瞬間。ヴァイオレットは青人の背中に思いっきり体当たりをした。全体重を乗せた不意の体当たりに、流石の青人もバランスを崩して転倒する。膝に血が滲み、痛みから体勢を仰向けに変えると、目の前のヴァイオレットが、頬を染めてのしかかっていた。


「アンタを連れてくのは諦める……けど、子種を寄越せっ! アンタの子種と帰ってやる」

「はあっ? ちょっと待てヴァイオレット! い、言ってる意味が分かってるのか!?」

「分からないとでも? ふふんっ。やっとアンタの動揺した表情かおが見れた……」


 さわさわと青人の下腹部を指先で擽ってから、得意げに悪戯そうな表情を浮かべるアメジスト。それからヴァイオレットは、このうえなく優しく微笑んだ。その表情にベルの母親であるヴィオラの面影が垣間見える。


「……人魚の男との子どもなんて孕んでも、未来の保障なんて出来ないぞ。そもそも出来るかも……ッ……はぁ……」


 潤んだ瞳のヴァイオレットから唇を重ねられた青人は、諦めたように深い吐息を零す。青人の腕がヴァイオレットを引き寄せた。


「堕ちましたね」

「堕ちたわネ♡」

「ですがこれは、男としては不可抗力かもしれません」

「あら、意外~♡ 参謀ボウヤでもそーいう反応するのネ?」

「……何か?」

「いいえ~~♡ オトコノコってカワイイ生き物よね~~♡」


 「貴方も付いているのでは」曇天は言いかけた言葉を飲み込んだ。この世界の登場人物に認識されていないようなので、二人は傍観者に徹する。が、流石に人の情事を覗き見る趣味はないので、反対方向へと視線を送ると、鬼の形相で睨みつけるレイがその場で立ち尽くしていた。


 レイは唇を噛み締め、その端には紅が滲んでいる。足早に立ち去るレイの背中。そこには隠しきれていない殺気が滲む。


「あら? 暗雲?」

 

 次の日の船出は最悪のものだった。傷だらけのぼろ雑巾のようなレイと青人。青人を庇いたいヴァイオレットは、船外が見える窓の小部屋に外側から鍵をかけられて身動きが取れない。船上では、勝ち誇ったようにスタンがほくそ笑んでいた。


「貴重なサンプルを提供してくれてありがとうアオト。上手くいったらご報告します」

「お前みたいなバケモンにお嬢を渡すくらいなら、俺が連れてく……」


 泣き叫び、窓を必死に叩きながら首を横に振り続けるヴァイオレット。


『アタシ! 絶対アンタのとこに戻って来る! 何年。何十年経っても……ううん。生まれ変わってでも帰って来る! だから、アタシを忘れないで……アオト。愛してる』


 ヴァイオレットの心からの想いは、分厚いガラスに阻まれて届かない。いっそ全て演技だったら。浜辺から離れていく船を見送る気力はなかった。青人はそのまま浜辺に倒れ込んで空を見上げる。


「そういえばレイが、船に何かしていたな。伝えた方が良かったんだろうか……」


 三年ほどだが、仲良く過ごしていた日々が頭を過り、それから歪んだ表情へ変化して。青人の中で何かが崩れた。ヨロヨロと身を起こし、重たい足を引きずりながら、四人でワイワイと建てた井戸横の小屋へと転がる。


「もう。どうでもいいか……」


 その日の夜の天気は大荒れだった。きっとこんな天気で出港した船は無事ではないかもしれない。数日で傷は癒え、元の孤独な日常が戻る。ただそれだけ。


 数日を越えても、ヴァイオレットとの最後のやり取りは消えず、青人は悪夢を見続けていた。起き上がるのも煩わしく、懐に残っていた干し肉を齧る。それから、青人の身体に異変が起きる。何を食べても、飲んでも、飢えや渇きが満たされず、とうとう味も感じなくなってしまったのだ。


「ゲホッ。ゴホッ……ぐっううぅ……」


 そんな日々をもう何年。もしかしたら何十年だろうか。あるいは、何百年かもしれない。過ごしていく内に、青人の心と身体は疲弊していた。ある日島に漂流してきたのは何かの瓶詰め。唯一飢えと渇きを満たしてくれていた人魚の干し肉はとうに無くなってしまった。飢えに耐えられなかった青人はその中身を貪る。


『ああ。これだ……これも人魚肉……か?』


 みるみる癒える空腹と渇き、気が付いてしまった青人は、湧き上がる食欲に抗わず、近海の人魚を狩りつくしてしまった。およそその数八百体。それから青人は高熱と酷い風邪症状。腹痛や下痢に悩まされ続ける。


 そのまま青人は二年と一月その症状に苦しみ続け、毎夜見る人魚の悪夢からも苦しめられていた。近海の人魚を乱獲してしまったせいで、飢えや渇きに再び襲われ、睡眠のとれない日々にも限界を感じていた。青人の唇や銀髪。碧眼は、人魚たちの血で紅く染め上げられ、年月を経て染み付いてしまっていた。

 


 ――――24――――

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