綴り書き 参ノ四

 呟くと曇天は、懐に持っていた鏡の欠片を取り出して、我者髑髏へ向かって走り出す。瞠目するピィちゃんに、視線で上を撃つように指示を出す。ヨウムの攻撃で逸れた我者髑髏の視線。そのまま我者髑髏の下腹部へ鏡の欠片を突き立てた。


 悲痛な叫びを木霊させ、今度こそ完全に崩れ落ちる我者髑髏。髑髏の中から取り出した、2つのガラス玉。一つはスイカ程の大きさで桃色のガラス玉だ。中にはまたも陰陽玉の片側のような陰。そのガラス玉をヨウムへと投げ寄越す。


「ピィちゃん。信じてましたよ。実は僕も貴方と色々と怪異に巻き込まれて馬鹿をやるのが嫌いではなかったんです。だから……《ココでは》伝えさせてください。《さようなら》」

「へっ!? い、いやいや! お、お前こそ偽物なんじゃねぇだろうなっ!? それにさようならってなんだよ!」


 怪異でも見たような強張った表情で後退り、投げ寄越されたガラス玉を取り落としそうになったピィちゃんは、慌ててガラス玉を持ち直す。

 

《また会いましょう》と、告げて、もう一つのガラス玉を洞窟の床へと叩き付けて割る。


 自分の身に何が起きたか理解出来ていないままのアンドレアルフスは、しばらく周囲を伺い、主の居なくなった世界の綻びた黄色い糸に気が付いて引っ張った。ヨウム悪魔ピィちゃんの背中と一緒に、スルスルと世界がフェードアウトしていく。


「参謀ボウヤ。なかなかやるじゃなァい。バカインコへのお別れは済んだの?」

「ええ。大丈夫です。もう2度とココで繋がることはないと思いますよ」

「あらぁン♡ 素敵♡ それじゃあこの世界の絶望がぜーんぶ満ちた時、アタシのお腹もココロも。らぶ&ぴーす、ネ♡」


 上唇がゴールド、下唇がラメグリーンのテラテラとしたアンドレアルフスの口元が満足そうに歪な弧を描く。曇天はこの派手な悪魔の信頼を勝ち取ったようだ。


 アンドレアルフスにより巻かれた糸束は黄色。しかし、世界が壊れても他の窓と違って大樹の元へと戻る事はない。解けた糸の先の世界は、八百姫村の洞窟前にある浜辺だった。


「おいおい。こりゃ死んでねぇか?」

「お頭にリゾート開発予定地の下見をして来いって言われたけど、人死にしてるような島じゃあ祟りがあるかもしれないな」

「どうしたんだい? 大丈夫かい?」


 浜辺に、銀髪碧眼の年若い男が転がっている。着いた船から二人の少年と、小麦色の肌を持つ器量よしの娘が下りて来る。皆年の頃14、5歳の少年少女たちだ。


「……でない……死、んでない……まだ……」


 少年たちにカイで突かれ、低く呻きながら、浜辺の男はごろんと転がった。覗き込んできた娘の、アメジストの瞳が転がる男の碧眼とぶつかる。


「アンタたちお止め。船に積んである食料と水を少しだけ持って来て」

「けど、お嬢。あれはオレ等の分だとお頭が持たせたくれたものです。こんな死にぞこないに分けたら、何日生きられるかわかりませんよ」

「なあに。大丈夫さ。こんなに自然が豊かそうな島だ。きっと食料には困らないだろうよ。それに、親父の矜持を忘れたわけじゃないだろ?」


 娘の言葉に少年たちは渋々船から食料と水を下ろし、転がっている男の近くに置いた。


「お嬢のありがたい施しだ。さっさと受け取れ」

「おいっ! 聞いてんのか。舐めてたら転がすぞ!」


 転がる男は動かない。血の気の多い少年たちを制し、皮水筒に口を付けた娘が、口移しで浜辺の男に水を飲ませる。少年たちがわなわなと震え出し、浜辺の男に食って掛かろうとするが、娘はまたもそれを制する。人命救助の名の下に、水と食料を施された浜辺の男はゆっくりと身体を起こした。


「大分衰弱してたみたいだね。アタシはヴァイオレット。オルカ海賊団が頭領。カインドドルフィッシュ・オルカの娘だよ。アンタの名前は?」

「カインドドルフィッシュ?」

「アタシの父親の名前がどうかしたのかい?」

「……いや、まさかな。俺はアオト。育ちがいいわけでもなくてな。残念ながら名乗れるような名字はないんだ」


 これは青人の過去だろうか。例のポンコツっぷりは今のところ見受けられない。数日後、元気になった青人が島を案内し、滞在日数が増えるに連れて、年の近い若者たちはみるみる仲を深めていった。リゾート開発予定地の島の探索や報告書の作成に3年程を費やしていた。


「アオト……アンタは変わらないんだね? アタシも。レイとスタンもすっかり成長したってのに。アオトはあの日のままだ。浜辺で死にかけていたアンタを拾ったあの日」

「お前たちに拾われた覚えはないぞ。けどそうだな。俺はちょっと他と違うんだ。人魚の肉を食ってしまっているからな」


 焚火の周りで見張りをしながら、ヴァイオレットの問い掛けに頷いた。焚火に照らされる彼女の横顔が美しい。青人は眩しそうに瞬いた。


「人魚の肉だって? 親父から聞いたことはあるけど、幻の産物だろう?」

「それがそうでもなくってな。お前の親父。カインドドルフィッシュって言ったな。いくつになった?」

「多分今年で63だったはずだよ。そろそろ引退して平和に暮らしてほしいもんだけどね。突然リゾート開発って言い出した時には何考えてんだって思ったけど、安全を考えるならいい選択だったのかもしれないね。海賊稼業なんて続けるよりはね。調査でアンタとも会えたし。ある程度島のことも纏められた。そろそろ潮時だ。一旦親父の元へ報告に帰るよ」

「そうか。俺とシークロニアの港町で会った時はまだ8つだったけどな。随分とじじぃになりやがったんだな。アイツ。カインドドルフィッシュってのは、俺と同じ境遇のアイツに俺が名付けたんだ。俺の逃亡を手伝ってくれた人懐っこい少年にな」


 青人の言葉に驚いたように瞬いたヴァイオレット。一瞬不気味なモノを見るような視線をアオトへと寄越した。


「アオト。交代だ。お嬢も……」

「アタシはもう少しここに居るよ。レイとの交代時間もそろそろだと思うしね。おやすみアオト」


 頷いて、自身のテントへと青人は潜り込む。目を閉じて暫く眠ろうと試みるが、先程のヴァイオレットの表情がチラつき意識を手放せなかった。


『信じて貰えたからこそのあの表情だと思うが。……マズったな。人との関りが無さ過ぎて失敗したかもしれない……水でも飲むか』


「ねぇ。スタン。アオトが人魚肉を食べていて、アタシたちよりも随分と本当は長生きしているって言ったら信じるかい?」

「お嬢。それは……どうしてそのように?」

「今は二人っきりなんだ。名前でいい。アオトが言ってたんだ。それに、親父の思い出話でも聞いたことがあるエピソードだったんだよ」

「ヴィーはそれを信じるの?」

「分からないよ。けど、アオトの姿があの日と変わっていないのは事実だろう? それでもアタシは……」

「そうだね。戻ったらお頭に報告をしようか。人魚肉が本当に存在するのならば、新しい事業になるかもしれない。ヴィー。可哀想に。葛藤してるんだね。そんな君も可愛いけれど、君は自分の心に素直になってもいいと思うよ。それでも好きなんだよね」

「……うん。そうなんだ。ごめんスタン。アンタには情けない姿を見せてばっかりだね。けど、いつもありがとう」


 テントを出たところで、親密そうな二人の会話が聞こえてきたため、立ち止まって隠れる青人。見間違いだろうか。ヴァイオレットの髪を梳くスタンの口角が、その様を見せつけるようにそっと上がったような気がしたのは。


「(ぎりっ)……スティングレー」


 歯ぎしりと、低く唸るような声が聞こえ、テントの向こう側から、憎々し気に二人を睨め付けるレイの姿が映った。いつからだろうか。少なくとも、来たばかりの三人にはこんな雰囲気はなかったはずだ。


「人魚肉の事業……か」



 ――――23――――

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