綴り書き 弐ノ伍
二人は頷く。ふと、土産物街の小鳥の数が減ったことに気付いたヨウムは、背筋を走った悪寒に身を竦める。
『曇天……あの変態鳥と遭遇しちまってんじゃねぇだろうな』
固く冷たいコンクリ床の感覚。曇天は剣呑な雰囲気を感じサッと身を起こした。やけに気温の低い薄暗い室内。目を凝らして後退りながら、壁にぴったりと背中をくっ付け、些細な音も聞き逃さないように耳を澄ます。
「ここは……あの地下牢ではなさそうですが……」
軽く背中の壁を叩く。ゴンゴンと鈍い音が鳴り、石室、もしくは金庫のような分厚い壁で囲まれている空間であることが分かる。
後ろ手に壁を撫でながら伝い、出口のようなものがないか確認して回る。約一周。暗いので、本当に一周出来ているのかは分からないが、部屋の広さは相当あるようだ。
悪魔ヨウムピィちゃんへと連絡をしようと思えば出来るが、現状の安全性に皆目見当が付かない。
「だから嫌なんですよ……人と関わるとロクな結果にならない……」
壁に沿わせて背中を滑らせながらへたり込み、一人零した愚痴めいた言葉は、気霜に乗って消える。
「……寒っ」
手をすり合わせ、徐々に鈍って来る思考に身を委ね、ぼんやりと虚空を見上げる。暗闇に目が慣れたのか、天井からぶら下がる、無数の塊に気が付いた。
――――ドサッ! ガックンッ! ダランッ!
刹那、目の前に塊の一つが降って来る。乱れて垂れ下がる黒髪、血の気の無いこけた頬。剥き出した白目。
口からは鮮血がポタポタと滴り落ち、ロープに繋がれたまま、あらぬ方向に首が曲がった女の遺体。ぎょろりと黒目が曇天を恨めしそうに睨む。
「……っ!」
――――ドサッ! ドサドサドサッ!
矢継ぎ早に遺体は降り注ぎ、曇天の周りを取り囲む。一瞬の静寂。束の間、遺体の上半身がゆらりと持ち上がり、血濡れた床の上で揺れた。
『ドウ……シテ……』
『痛イ……痛イ……ヨ……』
『ナクナレ……ミン、ナ……呪ッテヤル……』
『ヤメテ……止メロッ!』
曇天の頭の中に声なき声が流れ込んで来る。蠢く遺体には下半身がない。否、その下半身は大型の魚の背骨から尾骨が露出しているような形状だった。
「人魚?」
『マダ……伝エテナイ……ノニ……アノ、人……ニ……』
『帰ラセテ……帰リ……タイ』
『許、サナイ……消エ、ロ……消シテヤル……』
『会イタイ……ママ……ゴメン……ナ、サイ』
曇天はポツリ呟いた。声はどんどん音量を上げ、押し寄せて来る大波のように曇天を飲み込んで行こうとする。頭痛と眩暈で気分が悪くなり、ふらついた曇天は膝を折って蹲る。
瞬間、全ての遺体が牙を剥いて、曇天へと襲い掛かる。
『曇天――っ!』
ヨウムの叫び声を聞いた気がして、間を置かず上を見上げる。その視線の先に仄かに明かりが見えた。
いつの間にか静寂が戻り、遺体の山は消えていた。ホッと息を吐いたのは僅かな間。
コキッ! ボキボキンッ!
今度は、乾いた音が響き、何者かの気配が近付いて来る。コツンと足元に何かが当たり、次の瞬間足首に刺痛が走る。見下ろすと、上半身だけのミイラが、曇天の足首に齧り付いていた。
大きく足を振って振り払う。が、次から次へとミイラは曇天の足をめがけて飛び掛かって来る。なんとか寸でのところで避けるもキリがない。
そう思った矢先、一体のミイラが壁にぶつかって砕けた。黒板を引っ搔いたような不快な高音が響き、ミイラ達が集まって山になっていく。
重たい音がして、青人の声とと共に、目の前に鉄の塊の付いた太いロープが落ちて来た。何体かのミイラは、その下敷きとなって動きを止める。
「曇天さんっ! 登ってくださいっ!」
少しずつ山になっていくミイラと、こと切れている人魚の吊るされた遺体を足場にしながら、曇天はなんとか地上へと引き上げられた。山の中の小さな青い屋根の小屋の前だ。
続いて登って来たミイラの集団が天窓へ辿り着く前に悪魔であるヨウムの身体が炎を纏い、高温の熱でロープを焼き切った。ミイラ達はバラバラに崩れながら落ちていく。
「人魚の
呟く曇天の目線の先、先ほどまで囚われていた薄暗い部屋には大きな影が蠢いていた。
「お兄ちゃんっ! 足、血が出てるよ! 大丈夫!」
駆け寄って曇天を抱きしめたベルは、曇天の足首の傷を見つけて声を上げる。
「ベルさん。喋っては……」
「ここではいいのっ! ちょっと待っていて……」
ベルは、視線で地面を探し、尖っている小石を見つけて戻って来た。近くの井戸水に小石を浸して、自分の右手の人差し指に傷を付ける。
「ベルさんっ!?」
唐突な行動に流石に驚く曇天を余所に、ベルは曇天の傷口に自身の血を数的垂らす。あっという間に傷口は塞がり、痛みも消えた。
「人魚の身体は全身が人間にとってのお薬なんだって。だから、狩られちゃいけないの。絶対に。絶滅しちゃうから……」
「しかし貴方が傷を負う必要は……」
「大丈夫。特別な道具でつけたのじゃない普通の傷なら。ほら」
右手を開くベル。確かに少女の言うとおり、先ほどの傷は跡形もなく消えていた。
「大人の人魚の奥の体液ならもっと効果が強いんだって。不老不死? 厳密には不死じゃないんだけど、人間にとっては長すぎる寿命が得られるの。だから曇天さん。私を食べてもいいよ?」
指先を曇天の口元へと差し出して来るベル。少女の指先を一旦見つめた曇天は首を振った。
「どうして突然そんなことを?」
曇天の問い掛けに、ジワリとアメジストへ涙が滲み出る。
「怖かったの……曇天さんがいなくなっちゃうかもしれないって。私が助けてって言ったから、曇天さんだけが気づいてくれた。けど、曇天さんは死んじゃうところだった。だから……っ……!」
「ええ。本当にエライ目に遭いました。もうやってられないので、泳いででも僕は今直ぐ帰ろうと思います」
「ど、曇天っ!?」
素っ頓狂な声を上げて、引き留めようとするヨウムを振り払い、曇天は少女の後方へ見える浜辺へと階段を下りて向かう。
荒れた海が襲い掛かり、ぐっしょりと濡れる曇天。更にガラスドームのような壁に阻まれ、そこから先へ進むことは出来なかった。
「やっぱり逃がしてくれる気はなさそうですね……」
「人魚の呪い……でしょうか?」
あの場所を見た後では、青人の言葉を否定しようもない。曇天の行動を見守る三人。振り返った曇天は、濡れた髪を掻き揚げて、大きく息を吐きだした。
「この村に本物は二つしかありません。あの温泉と……ベルさん。貴方です。貴方はまだ黄泉の住人ではない。身勝手な理想郷に閉じ込められ、現実を見失っているだけです。まずは気が付いてください。貴方の思い込みが、彼の人の力を増幅している」
「えっ?」
糸が解けるように景色が綻び始め、山の中の緑屋根の小屋は、古井戸と廃屋へと変化する。曇天が下り立った浜辺には難破したと思われる豪華客船と洞窟の洞穴。洞窟は最初に到着した、村の中心地の浜辺へと繋がっているようだ。
廃屋の中に丁寧に手入れされた棺、中には、表面上は綺麗な姿のままの人魚が横たわっている。外見だけで生死の判断はつかない。
「ママ!」
きっとここは少女にとっての特別な場所。母や父と穏やかに過ごした温かい記憶の中の場所なのだろう。棺に縋りつく少女を、複雑そうな表情で青人が見つめている。
『あまり私の娘を泣かせないでくださいませんか?』
たおやかな響きの声が降って来る。ベッドに横たわる女性の傍らに泣き疲れて眠ってしまったベル。女性はその髪を梳くように撫でる。
いつの間にか四人は病室の地下牢へと来ていた。
「ヴィー! ヴェパル! 無事だったのかい?」
「アオト! やっと会えた……ああ。でも、もう貴方の器はないのね」
駆け寄った青人は、皆と同じサイズに戻っていた。女性に寄り添ってその手を握る。ヴェパルと呼ばれた女性は、そのまま青人の胸元へと頭を預けて、甘えるように寄り添った。
――――12――――
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