綴り書き 弐ノ参
「まあ、まあ曇天。話だけでも聞いてみようぜ?」
「まだ何も言ってませんが」
曇天が何か言う前にヨウムが答え、多少不服そうにはしているものの、話の先を促すつもりなのかそのまま曇天は黙っている。
青人の説明はほぼ絵本の通りだったが、最後だけは違っていた。徐々に壊れていった弟の紅人がある日を境に青人への感情を爆発させ、ベルの目の前で青人へと刃を向けた。
人魚を食べていても不死ではないらしい。命が流れ出すのを青人が感じている中で、嫁に無理やり覆いかぶさり、嫁にも刃を向ける紅人。
娘が叫ぶと、その声に口角を上げる紅人の姿が目に入り、恐怖を感じた青人は娘に今後は喋らないようにと遺言を残した。
こと切れる間際、何かに強く引き寄せられ、気が付いたら浜辺の洞窟に居たそうだ。
「何故か私は浜辺から動けないので、浜辺にいらっしゃる観光客の皆様への対応をしていたんです。まさかこのぬいぐるみと繋がっているとは思ってもおらず、本当に驚きました」
「紅人に噛みつかれたママは、お薬を飲んでそのまま動かなくなっちゃった。紅人はお葬式をしたママを牢屋に閉じ込めて、その後もずっとママの身体を使って自分の寿命を延ばし続けてた。人気者だったパパに成りすまして、この村や人を丸ごと手に入れたの。こっそり会いに行ったらママが教えてくれた。けど、全部の秘密を誰にも洩らさないように喋らないのは続けてね。貴方の命が危ないからって言われていたから……」
「潮さんはそれをご存知だったということですね」
年配チーフ従業員。潮海影の名を出すと、肯定してベルは頷く。
「海影はママと私を紅人からずっと守ろうとしているの」
「紅人は、少々見栄っ張りなところはありますが、とてもいい子だったんです。私はまた、愛する家族と穏やかな時を過ごしたい。紅人を元に戻したいんです。紅人が元に戻れば、きっとこの村にかかる呪いも消えるのではないかと……」
「事情は分かりました。すこぶる面倒そうな案件なのでお断りさせて頂きます」
「おぉいっ! 今のは受ける流れだろうが!?」
面食らう三人をよそに。曇天は相変わらずの調子だ。
ヒタヒタヒタ――。
靴底が鳴らす足音とは違う湿った規則的な音が892号室へ近付いて来る。
――ピンポーン。
――ピンポーン。
不意にチャイムが二回鳴り、曇天達はそちらを見遣る。
「ん? 海影さんが痺れ切らして嬢ちゃん迎えに来たのか?」
「海影? 私まだ眠くないわ」
覗き窓を確認せず、ベルが扉を開く。しかしそこには誰も居ない。
「あれ? 海影?」
廊下に出るも人影はない。首を傾げて扉を閉めたベル。タイミングを計ったように稲光が光り、口を押えたベルが尻もちをついた。
「ま、窓に……っ!」
バッと三人は振り返るが、何もない。閉めたはずのカーテンが少し開いている。ヨウムが窓際のカーテンに近付く。
「嬢ちゃん雷が怖いんだったな。よし。オレがカーテンを閉め直してやるよ」
再びの雷鳴。真っ暗な窓にびしょ濡れの黒髪女の顔とシルエットが映り込む。
「ひっ!」
小さな支配人の顔が引き攣る。窓に駆け寄った曇天が、窓を開く。何もない。雨が叩きつけ、一瞬で窓枠を濡らす。紅目の小鳥もいないようだ。三度の雷鳴。
「ひょぇっ!」
今度は室内を見ていたピィちゃんが声を上げた。
『クスクスクス……オーニサーン……コーチラ……手ノ鳴ル方ヘ――』
ニマっと口角を上げる女の顔がぐるりと一回転して、下半身のない女は手だけでヒタヒタと走り去って行く。急いで追い掛ける曇天達だったが、ミニマム支配人は歩幅が狭くペシャっと転ぶ。
ミニマム支配人を嘴で抱えてヨウムが顔を上げると、女の姿は既になかった。廊下に濡れた、アヒルの足跡のような跡が続いており、またも観光客が騒いでいる。
足跡を追い掛ける曇天とヨウム。足跡は階段途中の姿見へと続いており、そこで消えていた。
鏡を覗き込むと、後方に真っ赤な嘴の鳥が嗤う。鏡から伸びて来た手が曇天を捕まえようとする。
『異物……見ィ付ケタア~』
当然振り返っても、そこには何もいない。鏡の怪異は消え、足跡も消えていた。
転んで追い付けなかったミニマム支配人を気遣い、ベルはその場で二人が戻って来るのを待っていたようだった。スケッチブックに『大丈夫?』と書き込み、二人へと見せる。
「部屋に戻りましょう」
頷き、部屋に戻るが、扉を開けようとする支配人の手がオートロックへ届かない。カードキーを受け取り、ピィちゃんが鍵を開けた。
「その姿だと、色々と不便そうだな。オッサン」
「そうですね。せめて皆さんと同じ身長でしたらもっとお役に立てそうなんですが、申し訳ありません」
「パパの身長を元に戻せない? お兄ちゃんが浜辺で会ったパパは小さかった?」
先ほどのことを整理していたのか、いつもよりも更に無口な曇天へとベルが声を掛け、曇天は濡れた窓際を見つめていた視線を戻した。
「いえ。小さくありませんでした。こちらの青人さんは魂の核のようなモノが分離し、記憶だけを共有している状態だと思います。浜辺から動けないようですので、浜辺の幽体へ核を戻せば、サイズだけは戻るかもしれませんね」
「是非行きましょう。浜辺へ! 私はきちんとお客様のお役に立ちたいのです」
曇天の答えを聞くや否や、両手に拳を握り、フンスと鼻を鳴らすミニマム支配人青人。
「そのサイズで単独行動はまずいんじゃねぇか? 直ぐ鳥に食われちまいそうだぞ。よし。一緒に行こうぜ?」
「だから勝手に……」
「お兄ちゃん……お願い……」
ここまで巻き込まれていて放置は出来ないと思ったのか、三人の眼差しに曇天は渋々了承した。
「分かりました。終わったら帰りますからね」
「流石曇天! やっぱお前はなんだかんだ言いつつも頼れる男だよな」
「ピィちゃん。暑苦しいです」
鳥の巣頭に頬を摺り寄せるヨウムを引き剝がして、眉間の皺を深くする曇天。頭を抱えて息を吐く。
「しかし、先ほど見つかったようでした。何か策を講じないと、目的達成の前に直ぐにジエンドかもしれません。何か監視カメラ鳥の目を欺く方法を……」
「猛禽以外は夜目が効かねぇだろ? 普通の鳥ならな。だから夜に動けばいいんじゃねぇか?」
「監視カメラの鳥が普通の鳥だとはあまり思えないですねぇ。忍者の隠れ蓑みたいな術が使えるといいですけどね」
何の気なしに言ったであろうミニマム支配人の言葉に曇天が動きを止めた。
「これはSFの世界の話になり、あまり現実的ではないかもしれませんが。もしかしたら方法が一つだけあるかもしれません」
「マジかよ。どんな方法だ?」
「鏡を使って風景と同化出来たら一瞬カメラの鳥をかく乱出来るのではないでしょうか? 身体を覆える大きな鏡……例えばあの[人魚の夢の像]の花畑の鏡……」
曇天の提案にヨウムは一度息を飲むが、直ぐに現実を思い出したように口を開いた。
「あんな大きいの運べなくねぇか? しかもあれ、頑丈な扉になってたよな?」
「海を使うならば?」
「海? 確かにあれはでっけぇ鏡みてぇなもんかもだが」
大きく頷いた曇天。ヨウムはハッとして。
「いやいやいや! 危なすぎるだろ。お前、またあの地下牢の滑り台使うつもりだろ」
「一番近道ですよ」
「そうだけど! あそこは紅人のアジトみてぇなとこじゃねぇか。危険すぎる」
「フリーパスで入れる人物が一人だけいるでしょう?」
曇天の視線がベルへと送られる。驚いたように瞬いたベル。
「お前、嬢ちゃんが危ない目にあったらどうすんだよ!」
「私大丈夫だよ。あの地下牢には何度も入っているし。お風呂の時間になったら紅人が連れてってくれるから、その時間でパパを戻せばいいんだよね?」
少女は不安そうな表情で少しだけ震えている。
――――10――――
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