綴り書き 弐ノ弐
「……お前がずっと言ってる黄泉の岩戸。もしかしてここ、死者の村ってことか?」
「あるいは、死者の思い出の中に存在している村。現世への強い執着を残す誰かの理想郷……こういう案件は悪魔の貴方たちの方が得意なのでは?」
肯定する曇天の言葉。確かにそんな力を持つ悪魔にヨウムは心当たりがあった。
『八百村。魔女八百比丘尼。八百呪い。人魚肉』
「村の名前以外は、全部この絵本にのっています。海の女神ヤオビクニと、魔女の花。人魚と魔女を同一視する国もあります。そして八百年後に発動する呪い……」
「でも人魚なんて出て来なかったよな?」
ヨウムは絵本を改めて開き、ページを捲りながら首を傾げる。
「確かに人魚は出て来ません。ですが、人魚像や牢屋で会ったあの人を思い出してください」
「それでいうと、嬢ちゃんも同じ瞳の色してるよな? ってことは嬢ちゃんも?」
ベルは何も答えないが、鱗の浮いた両足をぷらぷらと軽く揺すって俯いた。
「なので僕は、あの魚を人魚だと推測します。アメジスト色の瞳の大きな魚です。子ども向けに直接的な表現は避けたのでしょうね」
「ってことは、どっちの鬼も人魚の肉を食ってるってことか?」
「やけに寿命の長い人間なった後の青鬼。そう考えると寿命の説明はつきます」
「あとは本人に聞きましょう」
曇天の言葉に虚を突かれたようにヨウムがこけた。
「本人って……支配人は敵なんだろ? 嬢ちゃんたちのさ」
「だから、本物に聞くんですよ。この中に閉じ込められている青鬼ご本人に」
「へ?」
理解が追い付かず、ヨウムはせわしなく頭を振った。曇天は上着のポケットから青鬼のぬいぐるみを取り出し、魔法陣を上にして名前を唱える。
「青鬼さん。八百比丘尼……いえ、人魚伝説になぞらえて多分こちらですね。八百姫様がお呼びです。至急娘さんのところへお越しください」
「そんな迷子放送みてぇな……」
しかし何も起こらない。それはそうだろとヨウムが両の翼を左右に開き軽く曲げる。至近距離で、曇天の首の後ろに抱き着くように腕を回したベルが、曇天のペンダントを外し、自分のも外して曇天へと見せる。
「ペンダント……?」
頷くベル。差し出された掌の上にはペンダントが重なっている。曇天はペンダントへ視線を落とす。青鬼のぬいぐるみを表へと向け、ボタン跡の窪みをあらためると、ただのボタン跡ではなく、小さなスイッチがその奥へあることに気が付いた。指先では太すぎてスイッチを押すことが出来ない。
「何か丸くて、突起付きのものがあればこの窪みにはめ込めそうなんですが。この凹凸……なんだか上手く重なりそうな造りになっていますね」
ベルの掌の上からペンダントトップを摘まみ上げ、パズルのピースを合わせるようにしてくっつけるとその側面は差異無く重なった。
綺麗な正円となっており、ペンダントを合わせたことで、その掘り模様が時計の数字版のようにも見える。
――カチッ!
小さく解錠音が鳴り、合わされたペンダントトップは、青鬼のぬいぐるみのボタン跡へとぴったりとはまり込む。
蛇が掌を這うような感覚にぬいぐるみを裏返すと、魔法陣が時計の文字盤へと変化しており、針が逆時計回りを繰り返しながら空中に浮き上がり消えていく。
『V.E.P.A.R』
最後に浮き上がった赤い文字は、魔法陣の一部に書いてあったアルファベットのような文字。
「……ヴェパル?」
曇天が声に出して読むと、シャボンの泡へと変わり弾ける。その飛沫が青鬼のぬいぐるみへ掛かると、ゆっくりとぬいぐるみの背中のチャックがたどたどしく下がり出す。
「なんだこれ。焦れってぇ!」
あまりのたどたどしさに焦れたヨウムが、嘴でジーッと全部のチャックを下げてしまう。中から光が大量に溢れ出して消える。
チャックの中には青鬼のぬいぐるみより一回り小さな、全身から光を放つ男性が全裸で眠っていた。
「ちっさ……コイツ大丈夫か?」
「……ピィちゃん。せっかちな貴方のせいかもしれませんよ。やたら大量に溢れた光がこの人の本当のサイズに影響してたりするかもしれません」
「焦らされんのは女が脱ぐ時だけで十分なんだよ!」
「ベルさん。聞かなくていいですよ」
ヨウムの言葉を遮るようにベルの耳を塞ぐ曇天。曇天の代わりにヨウムが翼で男性を持ち上げる。
「コイツ……あったけぇぞ。もしかしてこの状態で生きてんのか?」
「パパ!」
澄んだ響きの声が聞こえ、少女が男性へと駆け寄り覗き込むと、ぐったりとしていた男性がゆっくりと目を開く。
「おや。ベル。随分と大きくなったねぇ~」
間延びした声で男性は少女を見上げている。一瞬ベルが赤くなり、自身のふくらはぎの包帯をほどき、男性を包んだ。
「支配人……じゃねぇんだよな?」
男性の容姿は、地下牢で何かを隠していた支配人。
「嬢ちゃん。その傷……」
ベルが包帯をほどいたことで、少女のふくらはぎに残る鮮やかな傷が晒される。傷は一か所に留まらず、針の跡や裂傷など複数の種類、複数の箇所にあるようだ。
「へ、平気だよ……ママのお薬があれば。今日は無かったから、ちょっとだけ痛い……けど」
少女の言葉に曇天が、ぬいぐるみ裏にある短い方のチャックのポケットから薬紙を取り出して差し出す。
「すみません。そんな重要なものだとは思わず……お返しするのが遅くなってしまって」
「大丈夫。本当のパパに会えたから……それにね。最近このお薬、ちょっと効きが悪くなってて……」
「ピィちゃん。次の満月はいつでしたか?」
「ん? 明後日じゃねぇか?」
ヨウムの答えに曇天が難しい顔をする。少女が薬を飲むと、鮮やかだった傷はみるみる回復していき、傷跡だけが残る。
「前は跡も消えてたんだけど、な……」
「これでもすげぇけど……ってか嬢ちゃん。声。出せるのか?」
「……黙っていて。ごめんなさい……」
少女は深く頭を下げて、曇天とヨウム二人へ謝る。複雑そうな表情でそれを見遣る小さな男性は、少女の肩へちょこんと座った。
「何か事情があるんだろ? 話聞くぞ。コイツが」
「そうやって安請け合いするのやめてください。貴方、僕をなんだと思ってるんですか」
「怪異のプリンスで怪異の便利屋だろ?」
「違いますけど」
きっぱりと否定する曇天の肩を、ヨウムは翼でバシバシ叩く。そのやり取りに一度瞬いたベルはクスクスと小さく笑う。
見た目こそ幼いが、その仕草や言動は同世代の少女よりも大人っぽく感じる。といっても、ヨウム悪魔が知っている人間の少女は限られているが。
「お客様に我が家の事情でご迷惑をお掛けするわけにはまいりません。それにお客様は、明日お帰りになる予定でしたよね?」
「浜辺でお会いした支配人さんは、やはり貴方でしたね。
「どうして私の名前を?」
自身の名前を呼ばれたことで、驚きに満ちた表情を浮かべる小さな支配人。
「ただの勘です。奥様は非常に青がお好きですよね。この村はあちらこちらが青を基調としてありました。招待状の抽選券も青でしたし。それに、絵本の登場人物が、赤鬼、青鬼と対になっていましたので、もしかして名前も対なのではと推測しました」
曇天の言葉に頷いて、少女と小さな支配人が相談をしているようだ。少しの間のあと、曇天へと向き直る。
「家族間の問題でこのようなお願いをするのは厚かましいかとは思いますが……私も協力しますので、どうかお力添えを願えませんか?」
――――9――――
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