曇天の怪異伝奇 ~相棒ピィちゃんの綴り書き~ 弐ノ章(前編)

綴り書き 弐

 ベルは顔を輝かせ、ハートを飛ばさんばかりの勢いで曇天の腰元にすり寄り、ぎゅうっと抱きしめる。


「初恋キラー?」

「誰がですか……べ、ベルさん。く、苦しいです……僕、折れちゃいますから……」


 生暖かい視線が曇天とベルへと注がれる。居心地が悪そうに柔らかくベルを引きはがしつつ、曇天は眉間に皺を寄せる。


 荒れた天気が回復する兆しは無い。先ほどよりも強く、轟音を鳴り響かせながら壊さんばかりにドームを叩きつける嵐の中で、紅目の小鳥が曇天たちをじっと見下ろしていた。


 二人は宛がわれた西側の部屋、892号室へと戻る。何故かベルは曇天の腕の中におり、そのふくらはぎには真新しい包帯が巻かれていた。


「まずは暗号……ですかね」


 曇天はベルをソファへと下ろし、部屋のメモとペンをテーブルに置いてスマホを取り出した。自分も腰を下ろして、録音された音声を流す。


『……村……八十……八十b……八十b九十二……魔女……呪イ……八百……二十九……人魚……八百』


 ちゃっかり曇天の膝上に座り、一緒にテーブルを覗き込んでいたベルだが、窓枠に止まる紅目の小鳥に気付きカーテンを閉める。二人へと向き直り、立てた指先を自身の口元へ当てる仕草をしてみせる。


 今はスケッチブックを持っていないベルへと、ヨウムが紙とペンを差し出した。受け取った少女は、赤鬼を描く。その横に、カメラ部分が真っ赤に塗られた羽根が生えている小さなカメラの絵を描き、大きくバツ印を付けた。


「赤鬼とカメラ? このカメラ。なんで羽根が生えてんだ?」

「カメラ……? というより、これはもしかして紅い目の小鳥ですか?」


 ベルが曇天を見つめて、こくんと頷いた。


「鳥はカメラ……そういうことですか」

「どういうことだ?」

「僕たち全員監視されてるんですよ。潮さんが言っていた通り、赤鬼に。紅目の小鳥はきっと監視カメラのようなものです。音声までは拾えているか分かりませんが」


 念のため小声でと二人へ指示を出し、曇天は録音を聞きながら紙へ数字を羅列していく。


「村や魔女。人魚や呪いという意味の分かる単語はそのままで……全ての言葉を一度数字に直します。該当する数字のないビーは仮にアルファベットとして、そのままBとして書き出しましょう」


 曇天の書き出した数字と文字の羅列。それだけでは言葉としての意味を持たない文章に見える。


「村、80。80B。80B92。魔女。呪い。800。29。人魚。800となりますが……」

「これだけ見てもサッパリだな」

「いえ、数字を漢数字とかなの当て字読みにすると心当たりのある名前が出て来ます」


 ベルとヨウムは分からないと首を振る。曇天は一度ペンを持ち直し、再び紙へと羅列を書き直し始める。途中、部屋の扉がノックされ、ヨウムが覗き窓から扉の外を見ると、年配のチーフ従業員。潮海影うしおうみえの姿があった。


「お嬢様。そろそろお部屋でお休みください。もう遅い時間ですからね。いつものように海影が絵本を読んであげますから。さ、私とお部屋へ戻りましょう。これ以上佐藤様にご迷惑をお掛けしては旦那様に叱られてしまいますから」


 ヨウムが扉を開き、曇天の膝の上にいるベルへと潮は視線を送った。曇天にしがみ付くベルはぶんぶんと首を横に振って、より強く曇天へと密着する。


「オレは別に構わねぇんだけどな……」


 言いながら、ヨウムは曇天へと、諦めたような視線を送る。眉間に皺を寄せた曇天に臆することなく、ベルは上目遣いで、じーっと曇天へ期待の眼差しを送っているのである。数秒見つめあった後に、曇天の方が折れた。


「……構いませんよ。どうしてここまでベルさんに懐かれているのか、僕には見当も付きませんけど」

「佐藤様。ありがとうございます。本当にごめんなさいね。お嬢様がもしも眠ってしまったらフロントへお知らせください。私がお嬢様をお迎えに参りますから……」


 そう言って潮は、少女のスケッチブックとペン。【孤独な鬼と人魚の夢たまご】の絵本をヨウムへと預けて仕事へと戻って行った。


「ぷっ……くくっ……珍しぃ光景だなあ~。お前がこんなに圧されるなんて。しかもこんな愛らしいお嬢ちゃんにな。オレに憑かれて初じゃねぇか? あの、堅物変人の曇天にもやっと春かあ?」

「ピィちゃん。ご存知ですか? ホテルの机の引き出しには必ず新約聖書が備えてあるんです。聖水も、十字架でさえ、意外と簡単に準備可能なんですよ。それに僕が自分の命を厭わないことは貴方が一番よく分かっていると思うんです。貴方の名前、普通に僕に公言してますもんね。毒を食らわば皿まで。僕と心中がご希望なら叶えて差し上げますが……悪魔が憑いていても壊れない身体って大分貴重らしいですね」


 謎やオカルト以外で、曇天が饒舌になる時は怒っている。彼が言っているのは悪魔祓いに使う道具と方法だ。しかも曇天は、離れられないことすらも考慮して話をしている。大分偏ってはいるものの、まごうことなき知識の虫である。彼が幼い頃から一緒にいる悪魔ヨウムピィちゃんには分かっていた。


 サッと青くなったヨウムは、曇天を揶揄うのを止めて、きりりと真面目な顔をして見せる。

 

「い、いやあ。冗談だ冗談! オレだって、お前の幸せを願っている一人だからな。その気持ちがはみ出しちまったんだよ。うん!」


 ジト目でヨウムを睨む曇天と、睨まれたヨウムの間に微妙な沈黙の時間が流れる。『ベルはお嬢ちゃんじゃないよ! 大人だもんっ! お話の続き』と、書かれたスケッチブックが二人の間にペチンと置かれる。音に反応してそちらを見遣ると、曇天は書きかけだった文字の羅列へと視線を戻した。

 

「……続けましょう。では、一番簡単な数字から。29です。ピィちゃん。貴方はこの食べ物好きですよね?」

「29? 29……オレの好きな食い物? 肉?」

「正解です。29はニク。80も恐らく、ニクと同じ感覚でヤオだと思います。次に800ですが、これだけではかな読みの当て字が作れません。なので漢数字に直して八百とします。Bはかな読みの当て字にも、漢数字にも該当しませんよね」


 頷きながら、少女とヨウムは真剣に曇天の書く文字を目線で追う。


「村ヤオ。ヤオB。92は29の反対読みでクニ。80B92は、今までのを当てはめてヤオBクニ。魔女。呪い。八百。ニク。人魚。八百」

「名前になりそうなんはヤオビクニ……か?」

「ええ。こちらはベルさんの絵本に出て来た海の女神の名前でしたよね?」


 そこまで書くと一度ペンを置き、曇天は潮が持って来た少女の絵本をパラパラと捲る。


「タイミングが良すぎる気もしますが……」

「潮って従業員か? 嬢ちゃんが小さい頃……なんなら生まれた頃から世話してる乳母みてぇなもんだろあの人。多分な。それで嬢ちゃんの眠くなるタイミングとかも分かってるんじゃないか?」

「本当にそうでしょうか……」


 曇天の疑問は続きを促す少女の行動によって胸に仕舞われる。


「これだけだとヤオビクニという情報だけしか分かりません。しかし、生きているはずの祠前の女性が逆襟だったのも気になります。なので、仮に数字と単語の順番を反対に並べ替えて言葉を作ります」


 曇天は二重線で今までの文字を消しながら、並べ替えた文章を書き換えた。


「ヤオ村。ヤオビ。魔女ヤオビクニ。八百呪い。人魚肉。八百……八百はヤオと読む時もあります。なので、カタカナのヤオの部分に八百を入れます。最初のヤオビはヤオビクニの80Bと同じなので連想のヒントとして消します。同じく最後の八百もヤオ読みの連想のヒントとして消します。そうすると……」

 

『八百村。魔女八百比丘尼やおびくに。八百呪い。人魚肉』


 「八百比丘尼は、父親の持ち帰った人魚肉を食べてしまい、人よりも長い時を生きることになってしまったと伝えられている女性です。海外では人魚肉を食べると不老不死ではなく人魚になってしまい、海へ還るという説もあります」


 八百比丘尼の伝承を話しながら、確信したように曇天は頷いた。


「彼女の別名は八百姫。人魚伝説の残るこの村の名前は矢尾姫村。恐らく本当は、矢尻の屋に尾っぽの尾ではなく、八百に姫と書いて八百姫村なのではありませんか?」


 少し迷って、ベルは頷いた。その名前にヨウムは羽を震わせる。


「八百姫村って……つい先日、津波で消失してなかったか? 確かニュースで……」

「滅びたはずのこの村に、何故僕たちは存在しているのでしょうか?」


 曇天の言葉に表情を引き攣らせたヨウムは、何かを確信して嘴を開く。



 ――――8――――

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