綴り書き 壱ノ七
強引に曇天を引きずり、ヨウムはベッド下の穴へと飛び込む。
「ああ。忘れていたわ。お喋りなチーフに私の名前を聞いて。青鬼伝えるからと知らせて頂戴。期限は次の満月まで……ああ。ベル……どうか……無事に……」
胸の前で手を組み、女性はすっと目を閉じた。
穴の中は滑り台のようになっており、そのまま海中へと二人は投げ出される。身体能力が底辺の曇天は溺れている。慌ててヨウムが助け上げ、砂浜へと転がった。
砂浜の奥には豪華客船と思われる沈没船が打ち上げられている。
「ぷはっ! おい、曇天! 大丈夫か? 息してるかっ!?」
指先の一つも動かさない。ヨウムは真っ青になり、焦って曇天の身体を揺すった。
「動き過ぎてもう動けません。それに、すこぶる眠いんです。おんぶしてください」
「し、心配したじゃねぇかっ!」
「面倒くさくて息するの忘れてました」
「おぉいっ!」
砂を踏みながら駆けて来る足音。身体を徐に持ち上げて髪をかき上げた曇天は目を凝らす。
「だ、大丈夫ですかっ! お客様!? この時期でも夜の海水浴は危ないですよ。当ホテル自慢の塩分泉。若返りの湯で是非身体を温めてください。さあ、早く! 風邪を召されては大変です」
駆けて来たのはホテルの支配人だった。心配そうに二人を見つめながら左手を差し出して来る。警戒するヨウムを制し、その手を左手で取り、立ち上がる曇天。
「すみません。少しはしゃぎ過ぎてしまったようです。温泉。案内して頂けますか? それと、仕事を思い出したので明日帰りたいのですが、天桜港へ帰着する便は何時でしょうか?」
「おや? もうお帰りになられてしまうんですか? それは大変残念です……天桜港へ帰着する明日の便でしたら……」
スーツのポケットからフェリーの時刻表を取り出し、左手で捲りながら丁寧に説明をする支配人。支配人を眺めながら、曇天は自分の左手を見つめている。
「水仕事。もしくは、海で何か作業をされていましたか?」
「いいえ。していませんが」
「随分と冷たかったので」
「ご不快な思いをさせて申し訳ありません。この年になると中々冷え性も治りませんで……」
「貴方も左利きですか?」
「ええ。たまに不便ですが、生まれつきなのでこればかりは」
頷き、手をすり合わせる支配人は、どう見ても20代前半なのだが。
「失礼。少し電話をしても? ここに迎えを寄越します」
「構わねぇよ」
ヨウムが答えると、支配人は左手でスマホを取り出し、電話を掛け始めた。
「ああ。
支配人が電話を切ると、数分もせずにチーフ従業員の潮が現れた。無言で二人を案内する。案内された温泉は灯台の屋上部の一角。時間のせいか客は疎らだ。
男湯の暖簾の前に立ち止まり、潮は深々と頭を下げる。
「さ、佐藤様っ! さきほどは大変申し訳ありませんでした。旦那様の手前仕方がなく……お怪我は……大丈夫ですかっ? 申し訳ありません……申し訳ありませんっ……っ……ううっ……」
「てめぇ、何してくれてんだよっ! コイツ死ぬとこだったんだぞ! あんなのっ、おもてなしと真心とは正反対の行動じゃねぇかっ!」
両肩をぐいっと持ち上げ、詰め寄るヨウムを曇天が首を振り、胸元に抱えてやんわりと制す。嘴や顔周りを撫でられると意に反して、ヨウムの身体の習性で少し落ち着いて来てしまうのが情けない。
「地下牢のあの人。恐らく奥様ですよね? 貴方に名前を聞けと言っていました。青鬼へ名前を伝えろと。どうして亡くなったなんて……」
「お嬢様と奥様を守るためです……旦那様は、ある日を境に人が変わったようになってしまわれました……その日から、みんな監視をされているんです。旦那様の理想の世界が崩れてしまわないように。私がみんなを……お嬢様をお守りしなくては……いけないんです……」
遠くで雷が鳴る。潮はさっと顔を上げ、ドーム状の透明屋根を見上げる。視線で何かを探し、二人へともう一度深く頭を下げた。
「お嬢様は雷が苦手なんです。近くにいてあげないとだわ。し、失礼します」
「あ、おいっ! 名前は?」
「祠の……幽霊の呪文……」
呟いて、潮はバタバタと走って行ってしまう。
晴れていれば星や月、夕日や朝日もよく見えそうだ。冷えた体を温めるべく、二人は温泉へと浸かっていた。
「なあ。あの子放っといて本気で帰る気か?」
「僕は正義の味方でもなんでもありませんので……内輪のことは内輪で解決してもらう方がいいでしょう?」
「あの子との約束は? 青鬼、連れてってやるんだろ?」
不機嫌そうに曇天を睨み付けて、ヨウムは曇天の耳朶を引っ張る。
「この村に本物は恐らく二つしかありません。僕には手に余る案件です」
「でもよ。オレの大っ嫌いなアイツの気配もすんだよな。この村、やたら小鳥が多いだろ? 絶対派手好きなアイツの仕業と思うんだよ」
「また悪魔ですか? なんなんです? 貴方たち。揃いも揃って暇なんですか? 貴方の都合に僕は関係ありません」
引っ張られた耳朶を痛そうに開放して、心底面倒そうに溜息をつく。曇天はそのまま湯船から上がろうとしているようだ。
「放置は気分よくねぇなあ……オレたち相棒だろ?」
「勝手に貴方が憑いてるだけじゃないですか」
「お前は危ういから、オレが見張っておいてやらないとな」
「だから、余計なお世話だと何度も……」
「怪異解決しねぇと、お節介なオレと離れらんねぇんだろ。お前?」
ヨウムの言葉に不服そうに唇を引き結ぶ曇天。その表情にピィちゃんはニカっと笑みを零す。
「それ、美味しいですか?」
「味はしねぇなあ。冷たくて美味い気はする。曇天も飲むか?」
「いえ、僕は結構です。黄泉の岩戸が閉まるのは……ね?」
はたと動きを止め、ヨウムはガタガタと震えだす。
「ややや、ヤバイッ! お、オレ……飲んじまった……」
先ほどの仕返しが叶ったとばかりに曇天は意地悪く微笑んだ。
「思い出しましたか? まあ、元から地獄の住人の悪魔ならば大丈夫なのでは?」
夕食時の会話を思い出し、焦ったピイちゃんは、ドライヤーで羽を乾かしながら、飲みかけのフルーツ牛乳の中身を洗面台へと流す。慌てて瓶を自販機の横のカゴへと返した。
『逃ガ……サ、ナイ……』
「何か言いました?」
「いんや?」
ヨウムは不思議そうに首を傾げる。遠くの雷鳴の音が近付き、風が窓を叩く。
「天気……荒れそうですね……」
にわかに外が騒がしくなり、二人は脱衣所を出る。入口の窓の付近に潮。潮の腕には抱きつくようにしてベルが蹲っている。スケッチブックは持っていない。いつの間にか増えていた、観光客が騒いでいる。
「どうかしたのか?」
「ま、窓に幽霊がいたとお嬢様が」
ヨウムの声を聞き、曇天に気が付いた少女が駆けて来て、腰元へと抱きつき、顔を埋めて震えている。
「私も見たわっ! 髪の長い女の幽霊よ。傷だらけで足がなかった」
「海藻が絡んでた。全身青白くて、腰から下が光ってたぜ」
観光客が口々に幽霊の特徴を述べ、恐怖は伝播していく。
「僕は明日帰る予定なんですが……」
首をぶんぶんと振り、涙目でしがみ付く少女の力は年齢にそぐわず強い。風雨も強くなり、轟音を唸らせながら何度もガラスドームの屋根を叩きつける。
「外がこれじゃあ流石に明日は無理だと思うぞ。嬢ちゃんもお前を絶対離さないって強い意志を感じるしな」
振り解くのを諦めた曇天は、クソデカ溜息で脱力する。
「分かりました……やむを得ません。解決しなくても、僕を恨まないでくださいね」
――――7――――
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